山梨大の若山教授がSTAP細胞に関する論文の取り下げを共著者に呼びかけ、理研などでも漸くその方向にあるようである。報道されている様に、写真や文章に関する数々の疑惑を考慮すると、非常に深刻な事態である。以前のブログで「この研究成果が、数年間世界の研究者による追試験や発展研究を経て科学界に輝きを維持しておれば、平成日本の最高の科学的成果だと思う」と書いた。(注1)残念なことに1ヶ月程で論文取り下げを決断する時期となってしまった。何故このようになったのか? 個別の原因の詳細は、今後調査の上、明らかにされるだろう。私が思い付くことは、筆頭著者にSTAP細胞が存在する筈だという強い思い込み(信念)があり、それに合致する様に実験結果も、その解析も歪められたのだろう。その“思い込みと、突っ走りのエネルギー”は大きな研究成果を出す上での原動力であるが、それを実際の成果に結びつける為には、長い間に定着している科学界の伝統を重んじることが非常に大切な条件になると思う。それは、基本的な研究の姿勢であり、実験計画、得られた実験結果に対する謙虚な対応、そして研究者間の忌憚の無い議論(注2)、そして発表のあり方などである。この基本的な科学文化の殆どは、通常大学院過程で配属された研究室において、教官や先輩達から(セミナーなどを通して)、そして、学会発表を通して他大学などの先輩から学ぶことである。ただ、共著者を誰にするかについては以下に述べる様に、大学でもかなり出鱈目に教わると言わざるを得ない。
ここでは、現代の科学研究と社会の関わり、研究者のモラル、科学論文の出版に関するプロセスなどにも問題があると思うので、短いコメントを書く。
先ず、過去20−30年の間の学会の変化として重要なのは、発表される論文数が多くなり、論文の審査が十分行なえない情況にあることである。ネット上のopen access journalなどを含めると、この20年に論文誌の数は5倍程度になったのではないだろうか。因に、open access journalでも審査付きを唱っている。(注3)
科学界に属する者は、論文審査を依頼されたら、十分な時間をかけて審査する(暗黙の)義務を負う。この仕事は自分の研究にさほどプラスにならない上、通常厳しい競争の世界に身を置いているので、真面目に対応すればする程、その負担も大きくなる。(注4)そこで、著名な研究者が共著者として含まれていると、その共著者のチェックがあったものと考えて、どうしても審査が甘くなるのである。また、論文発表するか或いは研究者の世界を去るか(publish or perish)と言われるように、論文の数は研究者としてのキャリヤーアップを実現する上で大切になっている。その結果、あまり重要でない成果や、実験対象が少し変わっただけの論文が多くなり、結果として一人当たりの論文数が非常に多くなっている。更に、電子顕微鏡の測定と解釈を依頼しただけで共著者に加え、自分も同様の協力をした際に共著者に加えてもらうという暗黙の協力関係が研究者間でなされている。これは本来の科学文化にはなく、慎むべきことであることは大抵の人は判っている。しかし、科学研究者と言えでも一定の地位に昇進して行かなければ研究の自由を得る上でも、そして経済的にも大変である。論文リストの厚さが人事選考の重要な決定因子であるのが現実であり、上記慣習から身を遠ざけることは出来ない。
本来は、その論文を学会発表して質疑応答出来る程度に熟知していなければ、共著者に名を連ねるべきではないのである。(注5)「単名論文が多かった昔と比べて、現在は、研究方法が多く且つ複雑になって、研究には多くの人の協力が必須である。そのため、どうしても著者数が増えてしまう。」というのは建前論だと思う。
今回の件では、研究の結果の中で中心的意味を持つ写真について、共著者全員が熟知しているべきでは無かったのかという疑問がわく。つまり、その写真を使わないで講演することは不可能なので、それを熟知していることが共著者の条件であると思う。出版されたあとになってあのような疑惑がでたことは、10数名の共著者が本来の意味での共著者に値しないことを示していると思う。一般論としても、研究が本来の伝統的科学文化の下で行なわれたのであれば、一つの論文に10数名が共著者欄に名を連ねることなどあり得ないのではないだろうか。(注6)基礎的な研究分野(物理化学)に属していた人に、生物関係の事は判らないだろうと言われれば、十分反論出来ないが、私の場合は、論文の著者数は2人−4人の場合が殆どであった。異なる大学などとの共同研究でも、著者数は最大8名程度だった。何れの場合も、私が主なる著者(筆頭或いは連絡先(C.A.))で無い場合、学会発表の代役などとても出来なかった。つまり、共著者になるべきではなかったと言わざるを得ない。
科学研究にとっての古き良き時代は去るとともに共著者の数が増加したが、本質的にその研究を熟知しているのは1人或いは2人だけという研究が現在でもほとんどではないだろうか。
昔は科学者の地位が高く、短期(数年)の時間スケールで評価されることが無かっただろう。そして、経済的にも社会的にも恵まれていたので、科学者も科学界もその本来の姿を保つことが出来ただろうと思う。単名論文が多かったのはそれが理由だろう。現在は、一寸有名な教授なら、ホームページの論文リストに300以上も並べているのをよく見かける。それが異常であると気が付かないようである。現在、論文の数、発表された雑誌のインパクトファクター、論文の被引用回数などを足し算した数値が、研究者の評価に屢々使われる。しかし、研究者が一生の間に出来る、その分野の分厚い総合的な本に残る本当にオリジナルな研究は、優秀な人でせいぜい一つか二つである。
科学研究の社会と一般社会との歪んだ関係が、このような悲しい結果を産む大きな原因であることを、科学行政にある人などを含め多くの関係ある人たちは知るべきである。
注釈)
1) ヤフーの智慧ノートにも同文を1月31日に投降した。
2)実験は数回行い、平均と標準偏差を示しグラフに示すなども、大切な実験解析法である。つまり、再現性と誤差を明示するのである。また、先輩にも遠慮なく疑義を申し立てることなども大切な科学文化である。
3)Nature誌も以前は薄い週刊雑誌であったが、今はNatureをフラッグシップとしてNature Medicineなどの雑誌がおそらく10誌位あるのではないだろうか。尚、open access journalとは投稿料を取り、掲載論文がネット上で公開される雑誌である。
4)学会においてある程度の存在感を示す様になって初めて、編集者から査読(審査)依頼がくる。そのような人はたいてい昼夜を惜しまず頑張っており、一般に非常に忙しい。また、適当な査読者を見つけることは編集者にとっても大変な仕事である。
5)私の大学助手(現在助教)時代、そこのS教授が米国でされた有名な論文の著者欄に、一人しか名前が掲載されていない理由を語ってくれたことがある。所属研究室の教授が、「この研究は良い仕事だが、私は十分学会で発表討論できないので、単名でだしたらどうか」と言ったと言う。古き良き時代のエピソードである。
6)国家を上げて行なう様な巨大な計画では、数十名の共著者の論文があったかもしれない。それは科学的テーマの下で行なわれたとしても、通常の研究ではない。また、目的が定まっている開発研究では、数十名の共同研究は不思議ではない。ある時に分子軌道計算を行なってもらったが、その計算方法(Gaussian 98というプログラム)を引用する際に、50名以上の名前を引用欄に書いたことがある。尚、技術的なサポート(単なる細胞培養など)は謝辞と言う形で名前を入れる習慣があるので、それをもっと用いるべきである。
0 件のコメント:
コメントを投稿