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2023年2月6日月曜日

荒井秘書官のLGBTに関する発言:LGBT問題とオフレコ発言公表の是非


首相秘書官の荒井勝喜氏(当時)が、オフレコを前提にした記者団の非公式取材(2月3日、於官邸)に応じた際、LGBTなど性的少数者や同性婚に対し差別的発言を行ったとして翌日更迭された。

荒井秘書官は、同性婚カップルが「隣に住んでいたら嫌だ。見るのも嫌だ」と発言し、同性婚の合法化について、「(ほかの首相)秘書官も皆、反対だ」「認めたら、日本を捨てる人も出てくる」と語ったと言う。

しかし、岸田首相は1日の衆院予算委で、同性婚の法制化に関して「極めて慎重に検討すべき課題」とか、「家族観や価値観、社会が変わってしまう課題だ」とも発言し、否定的な考えを示していた。

それにもかかわらず、マスコミの荒井秘書官に対する高頻度の非難報道もあってか、さっさとトカゲのしっぽ切りを決めたようだ。そして、「多様性を尊重し包摂的な社会を実現していく内閣の考え方にはまったくそぐわない。言語道断だ」「多様性が尊重される社会に向けて、様々な声を受け止め取り組んでいく」と表明した。https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA041UC0U3A200C2000000/

この件、最大の問題点は、岸田首相が全く自分の考えに自信も何もない上に、自分の頼りにしていた秘書官をさっさと切り捨てる節操のなさだろう。

大手マスコミも、自分たちがルール破りをまでして問題発言を探し出し、有名人の批判の言葉(補足1)を適当に引用して、火に油を注ぎ風を送るように扇いだ。岸田首相は、何か別の存在に気づいたのか、機敏に反応して節操なく荒井氏を罷免した。


2)荒井発言の本質

マスコミの中には冷静な報道もあった。例えばLGBTの方や街中の一般人の受け止め方を報道した上村彩子さんのレポートである。

 

https://www.youtube.com/watch?v=E-3QOUjFn7k


東京新宿二丁目のLGBTの人があつまるバー「RUSH」の経営者の方は、「子どもを作るわけでもなく、子孫繁栄があるわけでもなく、全然、生産性は無いですよって自覚があったし、そう思っていたので、別に何とも思ってない。モラルのない人だなとは思いますけど」と至って冷静である。

また、街中の若い男性は、「何とも思わないです。カレーが好きとか、オムライスが好きとか、そういう趣味・嗜好の話なんで」と、荒井発言の本質を理解しシッカリと評価している。

マスコミと岸田首相は、何か海外の世界を牛耳ってきた強力な勢力を意識してなのか、この件の処理に前のめりになってトカゲのしっぽ切りをしたと思う。

このマスコミと岸田政権の判断には二つの間違いがある。その一つは、荒井秘書官の発言は、オフレコを前提にされたことを無視していること。もう一つは、この発言は一般男性が言ったように、荒井氏個人の嗜好について発言したに過ぎないにも拘わらず大問題として取り扱ったことである。

勿論、品の悪い発言であり、もし公の場で為されたのなら辞職すべきだとの声も上がるだろうが、半私的な場における感覚と表現の自由の範囲の発言であり、敢えて取り上げるほどの問題ではなかった。


3)マスコミの犯罪的行為

荒井発言は本質的に、敢えて処罰すべきほどの問題でないと上に書いた。その一方、マスコミの行ったことの本質は、犯罪的である。それを明確に指摘した人がいる。名古屋市の「ヒメクリニック」院長、武藤ひめ氏である。
https://news.yahoo.co.jp/byline/shizumehiromichi/20230204-00335695

武藤氏は、“荒井秘書官の発言は差別発言だが、ジェンダー問題を抱える人を、面白おかしく扱ったり、視聴率のために利用しようとしたりするメディアの報道に比べれば、それほどの非難には当たらない”との趣旨のコメントをした。

この意見の一部は、既に新宿二丁目での一般人男性の意見と同じである。つまり、荒井元秘書官は単に自分の趣味・嗜好の話をしただけであり、一般人なら公的に処罰されるほど、思想・表現の自由の範囲を著しく超えているわけではない。オフレコ故、総理秘書官でも処罰には当たらないだろう。

武藤氏は以下のようにも語っている。「トランスジェンダーの当事者たちは、みんな過去がある。だけど、皆んな、そんな過去が真っさらになるくらいの覚悟というか、道を選んで進んでいる」「その新しい生き方を応援していただきたい」と。

つまり、トランスジェンダーの事実は積極的に表に出すことではない。彼ら彼女らは、その過去を裏に抱えて、一般人が知りえない程の覚悟をもって生きている。この点に関して一般人ができることは、そっと見守ることであるということだろう。

自然界の中に生きる動物の一種に過ぎない人間にとって、生物的性と心理的性の不一致はハンディであり、決して誇りにすることではない。彼ら彼女らは、それ以外の優れた部分を社会に提供して(表に出すようにして)頑張って生きている。

 

首相が誰かから教えられて言った「多様性を重視する社会」の多様性は、多様な能力のことであり、多様なハンディキャップではない。彼らの多くが、体の性と心の性の不一致の苦しみの中で、高い能力を築き上げた部分もあるだろう。ただ、それを理由に私的空間に踏み込んでまで、個人の嗜好まで規制してはならない。それは人権無視の全体主義の発想である。

今回の荒井発言に関してマスコミ記者が行ったことは、そのような人たちの裏に抱えた部分をオフレコの約束違反までして公の場で話題にし、それはハンディでも何でもないとの詭弁を大声で披露して、大衆の関心をあつめると同時に彼らを大衆の耳目で傷つけたのである。

マスコミは、彼らのハンディキャップを、まるで無視できること(か美点か)のように言及することで、LGBTの人たちの苦しみの過去と新たな決断を軽くあしらったのである。


4)LGBTとノーマルな性感覚の人たちを社会において全く平等に扱うの無理であり、それを強いることは人間の分際を超えた行為である

海外のグローバリストらはLGBTの人たちと一般の性感覚の人たちを社会において全く平等に扱えると考えているようだ。それは彼らの自意識が為した錯覚である。

米国の元大統領補佐官であったブレジンスキーは、ユダヤのディアスポラの民は、マイノリティの権利拡大というスローガンで自分たちの政治的権利を拡大してきたと語っている。しかし、マイノリティの権利はマジョリティに優先するとまでは、考えていなかった筈である。

勿論、激しく差別されているときには、マイノリティが逆差別的に優先されるべきだとの主張もあり得る。しかし、それはその特定の部分においてのみで、限定的でなくてはならない。例えば、目が見えない人には、見えるひとたちに対してよりも丁寧に道案内をしなければならないというタイプの逆差別である。

「子供を育てるのは社会であり、もはや個人ではない」という社会が、将来訪れることはないだろう。仮にそうなれば、同性婚も異性間婚も区別する意味が無くなるし、そもそも結婚という法的制度も意味を失うだろうが。。。

その時にはLGBTもノーマルな人たちも、「性感覚」を一つの嗜好の問題だと純粋に受け取れるだろうし、公的空間でも違和感を持たないだろう。しかしそれまでは、当事者はハンディとして心の裏に抱えることであり、一般人はそれを見守る位が適当である。

尚、社会は公的な空間だけではなく、私的な空間や半私的な空間をもった不均一な構造を持つ。その社会には、大好きな人も大嫌いな人もいる。しかし、公的な空間では全ての人を平等に扱うことで、その社会は全ての人を構成員として成立するのである。そして嗜好の問題は私的空間に閉じ込める。

 

その様にふるまうことが一人前の社会人としての必須要件であり、殆どの人がその心得を持つことが社会が安定に維持される為の必要条件である。知らない人も少数居る(補足2)が、私的空間内の人が教えるべきである。そして、それが不可能な人物はマスコミから締め出すべきである。今回の荒井元秘書官のケースはオフレコ故にこれには当たらない。

おわりに: 民主主義社会の基礎を危うく約束違反を何とも思わない空気

荒井発言をマスコミの大半はきつく非難している一方、参議院議員の鈴木宗男氏は、何故オフレコが表に出るのか。人権とかプライバシーがかかっている話を外に出すのは、信義違反、約束違反と思わないだろうかと発言している。
https://news.yahoo.co.jp/articles/b04fcf150893727faed941ae9b8ba09ebb28faf1

荒井秘書官も気を許して話をしたことが仇になった。民主主義社会は、人と人の間の信頼関係、つまり約束を守ることを前提としており、オフレコの話が表に出たことは、どこかにその原則に反した行為があったことを意味する。

それは社会を人間不信の空間にすることにも繋がり、取材する側も取材される側も、本来お互いに避けねばならない。つまり、荒井秘書官は公職にある身であるから、取材の趣旨とルールをキッチリと決めてから話始めるべきだった。マスコミは、オフレコ発言を報道すべきではなかった。それは単に、記者たちの取材力の強化のために役立たせるだけにすべきであった。

この記者たちの行動とやや似た行為が最近批判の対象となっている。それは回転すし屋での若者たちの行為である。暗黙の了解事項であれなんであれ、自分が手に取ることが許されない皿には手出しはしない。その社会で生きる最低限のルールさえ、守ることのできない人が増えている。今回のマスコミの騒ぎも同様である。(16:10 全面的に編集)


補足:

1)一例をあげる。脳科学者を名乗る茂木健一郎氏は、「岸田さんが『社会が変わってしまう』とか大げさなことを言っている時、一体誰に対してサービスして、何を守っているのか意味不明だと思う。同性婚とか、選択的夫婦別姓制とか、とっとと認めた方が根本的な意味での少子化対策にもなると思うんだけど、岸田さんのまわりの自民党では違う考えなのだろうか」と発言している。
https://news.yahoo.co.jp/articles/67d6076628241796cc6a1013ad8786f913404565

2)この種の発言をテレビの画面でみたことがある。発言の主はあのデビ夫人なのだが、6月14日放送の『踊る!さんま御殿!!』(日本TV)に出演。共演者の容姿を「あなた(の容姿)は汚い」と侮辱し、視聴者をザワつかせたのである。https://myjitsu.jp/archives/359244

この発言は、目の前の人物を自分の眼前から排除する発言であり、荒井発言よりもっと過激である。それが一般視聴者が視聴する公の場でなされたにも拘わらず、マスコミはむしろプラス評価をしたのか、相変わらず頻繁にテレビに出演している。




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