1)現代日本の蛸壺政治について
前回、日本の蛸壺文化と現在の日本政治との関係について以下のように書いた。
日本の政党は、労働と富の分配の問題、教育や社会保障の問題、産業振興の問題、政治の制度や資金の問題などに対する姿勢における他党との区別を国民に主張している。それらは重要だが、政権与党の族議員たちがそれら各蛸壺内で議論する対象に過ぎない。国家の骨格を抜きに棲み分けている日本の政党と政治家は、そしてそれを尤もらしく地上波TVで議論する評論家たちは、日本国民にとって背信の輩である。
彼らは、2021年の米国バイデン政権の開始時から本格的になった国際政治における世界史的変動の真っ只中、日本の危機が近いと考えられる現在、103万円の壁とか政治資金規正の問題で延々と時間を浪費しているのである。
ここで族議員とは、1970年頃に自民党の政治家と行政の実行部隊である官僚たちとの癒着の一貫として出来たようである。(ウィキペディアの族議員)その後、与党国会議員たちは、”労働と富の分配の問題”以下の幾つかの蛸壺内に棲み別けており、それ以外の議論は日本国の政治には存在しないかのようである。日本の国会には行政の議論しかなく、外交や防衛などは一切、宗主国である米国に完全依存する形になっているのだ。
そして日本の野党は、全て観客席から自民党議員たちの演じる蛸壺内の芝居を批評して、国民の前に自分たちの存在感をアピールするという役割で満足する様になった。その一環として、日本共産党も昭和33年に暴力革命を否定し、政権奪取を目的とする本物の野党としての役割を終えている。https://www.npa.go.jp/archive/keibi/syouten/syouten269/sec02/sec02_01.htm
その結果、戦後30年程して日本国と日本国民は敵を感じなくなり、国家の必要性の第一を感じなくなったのである。現状は上述のようにそれとは正反対であり、四方核武装した仮想敵国に包囲されているにも拘わらずである。つまり、米国による日本の家畜化の完成である。
殆どすべての日本人は、日本国が天皇を中心として存在するという残余の感覚を持っているかもしれない。しかしそれは、論理を持たない日本人の「鰯の頭も信心から」の類の信仰のようなものであり、日本にはもはや本物の国家は存在しなくなったことを知るべきである。
2)日本における国家の成立と劣化
日本国が成立したのは、壬申の乱のころだろう。そこで、天武天皇はその正統性を示すために中国の史記をまねて日本書記を編纂させた。全文は漢文で書かれているとのことであり、日本列島が中国文化圏の中に位置していたことがわかる。
天武天皇によって統合された日本列島には、国家間の戦争がほぼ無くなった。そこから国家という組織の形骸化が始まったのだろう。ただ、蝦夷と呼ばれる異民族が時として辺境の地を侵略したため、それを征伐する役職が出来た。平安時代から存在する征夷大将軍である。
彼らは強力な武力を持つものの、民を統治するための独自の宗教を持たなかったため、伊勢神道を擁する天皇家を滅ぼすことは出来なかった。因みに、宗教には二種類存在するが、そのうちの人格神を崇拝する宗教(一神教)の方が、多くの場合、国家の権威を担う。(補足1)
時代が進んで、武家が力を増して、武家と天皇家の二元体制が出来上がった。それは鎌倉時代に始まり江戸末期まで温存された。信長と秀吉の時代、キリスト教が日本の二元体制の唯一の脅威となったが、彼らはそれを退ける選択をした。1587年の伴天連追放令である。
日本の婦女子を買い取って南方で売るという悪事を宣教師たちが行ったのが原因だろう。宣教師たちが“俗悪な人物”でなかったのなら、天皇家は亡んで日本はポルトガルか何処か西欧の国の植民地となっていた可能性があると思う。(補足2)
日本の政治的権威は天皇家が持ち、その権力は武家が持つという二元体制は、それなりに安定しており、欧米の帝国に破壊されることもなかった。しかし明治になって、この二元体制は消滅することになる。中国侵略を目指したであろう米国の蒸気船が、日本をその為の中継基地にする目的で立ち寄ったことからその政変は始まる。
米国は南北戦争の勃発によって、その後日本から遠ざかる。その後、日本の政変に拘わるのは英国やフランスなどである。英国ではユダヤ系のロスチャイルド家が中央銀行のイングランド銀行を手にしており、政権の陰で既に権力を得ていたと思われる。
英国の権力者は、その日本を普通の国家として改造し、極東の基地国とすることを考えたのだろう。それが明治維新である。その結果、天皇中心の富国強兵国家となったのが大日本帝国であった。それは見事に(英国の権力者の宿敵)ロシアを破るという功績を上げたのである。
ただ、日本は完全には英国の支配下ではなかった。それは、上記国家の軍事的ソフトウエアである宗教には手を付けられなかったからである。それが幸か不幸か、日本が壊滅的敗戦に向かう原因となった。皇国日本の外務大臣小村寿太郎は、ポーツマス条約で米国のSルーズベルト等と会ったにも拘わらず、日本をロシアに勝たせた英米の企みが見えなかったのである。
その後、独走を始めてしまった日本が、英米の怒りによって滅ぼされ、日本国民は実質的に国家を無くすことになったのである。
3)日本での国家の消滅
明治維新に対する日本の教科書における誤解については何度か書いているので、これ以上は立ち入らない。ここで思い出してもらいたいことは、大日本帝国は国内の政治力学によって出来上がった国家ではなかったということである。(補足3)
その後の大戦で敗戦し50年ほど経過して、日本国に天皇という政治的権威を完全否定された効果が発現定着して、米国の家畜国となったことに今国民が気付きだしたのである。
天皇が果たした大日本帝国時代の役割は、昭和憲法第一条により明確に否定された。第一条:天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。(これが昭和憲法のエッセンスである)
その結果、日本に存在する政治的権威は、米国が移植した非軍備の民主主義が受け持つことになったのである。こんなものが主権国家の支柱としての役割を果たす筈がない。軍事力を奪った後、民主主義を植え付ける方法は、それ以降も米国に用いられている主権国家破壊の戦略である。
軍隊を指揮する旗頭の居ない国に主権などない。更に、軍隊の無い国家に主権など樹立できる筈がない。それが、アマテラスの子孫である筈の天皇を空蝉のように規定し、非武装を謳った平和憲法の効果である。
このようにして日本の政治的権威が失われ、政治権力の中心が日本から米国に移った。日米安全保障条約とその後改訂された条約がそのための契約書である。日本の自衛隊と呼ばれる軍隊は、米国の指揮下で動くことが吉田茂により約束されている。
終わりに:
以上が日本の国家としての経緯の概略である。このような考え方は、経糸である時間軸と横軸である地球の広がりの全体を対象にしないと不可能である。そのような広範囲を視野に入れた思考は、短い生命と有限のエネルギーの一人の人間には困難である。
そこで必要なのが、数世代にわたる情報の共有と数百人或いはそれ以上のヒトの頭脳の連携である。そこには完成度の高い言葉とそれを用いる論理の伝統が必要だろう。それらは日本の弱点であり、これまで全世界と全時代を視野においた思考が出来なかった理由だろう。
日本人の殆ど全てがインターネットにアクセスでき、SNSを有効に利用できるようになれば、これまで不可能だったことも可能となる。そのような努力を始めた人たちが現れだした。そして、将来日本国が新しい姿となる可能性がある。
補足:
1)日本の政治的権威であった天皇はアマテラスの子孫であり、アマテラスを崇める伊勢神道の神主である。伊勢神道は私の独自の用語(外宮神道の意味ではない)であり、自然を崇拝する神道をアマテラスを崇拝する様に一神教化した宗教である。ここで宗教は、善悪を創造して敵を悪とし、民を纏めて戦争するためのソフトウエア的武器である。
明治以来の日本に出来た多くの宗教も、政治的思惑で創設されたものであることを知るべきである。信仰の自由とは、世界を政治的に改変する動機で基本的人権に組み込まれたと考えられる。このことに言及しない法律家や社会学者たちは、麻原彰晃より頭が悪い。
2)信長は宣教師たちの知識と鉄砲などの技術に関心を示し、彼らに融和的であった。秀吉もポルトガル人たちの悪行やその背後にあったと思われる日本の植民地化の企みを嗅ぎ取るまでは、キリスト教にむしろ融和的だった。(ウィキペディアの伴天連追放令参照)
3)国内の政治的矛盾の解消という形で大日本帝国という国民国家が出来たのなら、当時の武士や国民にその封建制から立憲君主制への変化の歴史が共有された筈である。しかし、他国の意図がその政変に深く絡んでいた場合、新しい国家のその後の動きが国民の意図する方向に進まない可能性が高い。
(1/25、セクション3の「大日本帝国もまともな主権国家ではなかった」を「大日本帝国は国内の政治力学によって出来上がった国家ではなかった」に改め、この部分の趣旨を補足3として追加しました。既にお読みいただいた方には、この部分の誤りに対して深くお詫び申し上げます。夕方並びに翌早朝編集、最終稿とする。)