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2025年1月6日月曜日

日本は民主主義国家ですか?

日本は民主主義国家ですか?

民主主義国家とは、国民が国家主権を持つ(主権在民の)国家のことである。この民主主義政治を端的に表した言葉が、アメリカ大統領リンカーンの演説の中の「人民の人民による人民のための政治」である。

 

「人民のため」の政治とは、具体的には、基本的人権の尊重、国民個人の間の平等、そして全ての国民に一定以上の生活を確保することなどを実現する政治である。https://hugkum.sho.jp/261017



この原則の通りに国家が運営されれば、国民一般にとって非常に好ましい政治と言える。

 

ただ、国家運営の原則である「人民による」政治は、なかなか難しい。厳しい国際社会の中において、複雑且つ巨大な国家組織の運営の決定権を、専門的な知識に欠ける国民一般に与えることは非常に危ういからである。

近代の民主政治(補足1)では、間接民主制による場合が殆どである。国民は地区などで区分され、各区分が夫々の代表を選び、その代表たちが国家行政のトップを選出するのである。この制度は、各区の代表には高い見識が期待できるとして、上記民主主義の弱点を克服するために採用された。

 

日本の民主政治の欠陥:

 

日本では国会議員が行政のトップである総理大臣を選ぶので、政治のチェックや立法を行う国会と行政府(総理府)が近い関係にある。このシステムでは、政治そのものはスムースに運ぶが、それが日本のコネ文化とも関係して行政に緊張感を欠き、政治のレベルを低くしている。

その結果、日本の政界は国会議事堂のある永田町の村社会に譬えられる。「永田町、 村社会」でグーグル検索すれば、その実態を描いた記事がたくさん出てくる。

https://mainichi.jp/articles/20240116/dde/012/010/007000c

 

つまり、日本の国会議員は日本国という大きな組織を運営するに十分な見識を期待通りには持たないのである。この村社会では村長の推薦で住人になった一年生議員が村社会の掟を一から教育されるが、国際社会を渡り歩く日本国の政治については無知なままベテランとなるのだ。

 

政治の細部は、帝国大学出身の学校秀才たちの霞が関(というもう一つの村社会)が受け持つ筈だとして、大事な部分を胡麻化しているのだろう。何でも細部まで分からない者は、結局何もわかっていないのだ。

 

また、現実問題として国会議員になる道を考えると、政党から候補者として選ばれない場合当選するのはほとんど不可能である。高額の供託金を没収されて終わりである。

つまり、国会議員は国民に選ばれているのではなく、政党指導者が選んだ候補者の中から選挙という儀式を経て選ばれるのが現実である。(補足2)民主政治の維持の困難について考えているのだが、この時点で日本は民主制国家では無いことになってしまう。

これは、日本の政治がリンカーンの言葉にある「人民の政治」という民主主義の原則を満たしていないからである。明治維新と言われる革命政権を担った薩長土肥の人脈が日本の政治を支配する既得権益層を形成し、日本の政治はそれが出来上がった後はその支配から抜け出せないでいるのである。

 

閉鎖的で停滞した政治村の住民たちは、激動の世界を議論するのには元々無理がある。実際、NHKの国会討論などで、そのような世界レベルの議論を聞いたことがない。

因みに:

 

民主制に似た意味の言葉に共和制がある。これらの違いを論じた文章がネット上にもたくさんあり、それに気をとられると本質が見えなくなる。共和制国家では国民の代表として大統領(補足3)を国民が直接選出するのが本来の姿である。


ただ、ドイツの大統領は議会が選び、しかも儀礼的な権限しかない。一方、米国の大統領は間接的ではあるが国民が選び、行政のトップとして最高の権限を持っている。日本のように政治的実権を持たない王や皇帝の国で、憲法に民主制国家を謳う国も多く存在するが、それでも立憲君主制国家と呼ばれる場合が多い。

 

民主制と共和制を区別する議論はあまり意味がない。大事なのは民主制か専制かの区別である。日本の政治は民主制だと言われるが、永田町と霞が関を包含する明治の薩長土肥人脈の専制のにおいがある。そのことにもっと国民は敏感になるべきだ。


日本における国家の運営と評価:

国家を好ましい方向に向けて運営するには、一定期間毎に過去の運営実績を検証評価しなければならない。通常、一年間の実績の検証評価は次年度の予算等を議論する際に行われるだろう。日本国の場合、国会の予算委員会と予算を最終的に決定する国会がそれを担っている。

この一年間の行政の検証が真面に行われているかどうかだが、日本では殆ど行われていない。例えば、2022年に始まったウクライナ戦争に関連して、2024年2月時点で日本からウクライナに国民の血税から贈られた支援金は1兆2000億円であったが、このウクライナへの支援金が妥当だったかどうかの国会での議論を聞いたことがない。

https://www.fnn.jp/articles/-/662513?display=full


このような愚かな政治の実態は、上記のように明治政府の人脈が作る村社会がこの国の政治を所有しているから起こるのである。

 

日本の村社会政治の歴史:

 

日本の明治は、天皇制を看板にして薩長土肥が政治を支配した。戦後は、マッカーサーが占領軍の統治を安全かつ効率的に行うために、憲法において民主主義の原則を謳いつつも、その統治の系統を立憲君主制という形式で温存した。

 

「人民の政治」というリンカーンの言葉の最初の原則が侵害されたままなのだ。更に、米国の命じるままに動く政府を作るため軍の解体はもとより、政界の要人が追放され、諜報機関が解体されたのである。日本は、国家としての遺伝子をその時点ではく奪され、現在もそのままであり、未だ再生していない。

 

日本では「人民の政治」どころか、国家主権そのものに米国の頚木が架けられたままなのだ。

日本の右派政治家には、この米国の政治支配について指摘する人物が多いが、上記の明治の人脈の政治支配に言及する人物は殆どいない。この種の右派が政権をとったとしても、明治へ回帰するのみであり、もう一度敗戦で荒廃した日本への道を進むことになるだろう。

民意の準備が出来ていない状況下で民主主義の原則に忠実であろうとすれば、韓国のような民主主義国家となる可能性がある。市民革命を経験していない国への民主政治の臓器移植的な導入は、衆愚政治から特定の人たちによる専制政治に堕する可能性が高いのである。

 

人民が自国の真実の歴史を学び、そこを原点としてあるべき政治制度を探すという民族全体の知的な挑戦なくしては、民主政治の導入は難しい。この国民全体による日本の歴史の批判的レビューなくして日本の民主主義政治は出来上がらないと言っているのは、参政党の神谷宗幣氏のみである。

 

このような政治家が永田町に増加することが、日本が本当の意味での民主国家になるには必須であると思う。


終わりに:

韓国は額面通りに民主政治を実現しようと頑張ってきた国である。昨年12月20日のブログに書いたように、今回の大統領弾劾の動きに関して、米国国務長官のブリンケン氏が「韓国は民主主義の強靭さを示した」と述べたのはこの額面通りの民主主義の話であり、実質的には完全な間違いである。

 

https://www.yomiuri.co.jp/world/20241215-OYT1T50017/


何故なら、韓国の人民たちが何者かに扇動されて、自ら民主主義の形態を破壊する瀬戸際にあるからである。韓国は現在、北朝鮮の侵略を招いて消滅する危機にある。

日本は、これを対岸の火事ではなく 他山の石として学び、江戸時代の天皇制に滑らかに接続するような日本独自の民主政体を作り上げるべきである。

 

 

補足:

 

1)民主主義の原点は古代ギリシャにあり、そこでは直接民主制が行われていた。ただ、古代ギリシャは都市国家であったことや、参政権は市民が保有しているが、かれらは奴隷を擁する階級であったことなど、社会の規模も文化も近現代の先進国とは全く異なっていた。

 

2)オリンピック選手や俳優など政治と無関係な分野で有名になった人物が時として国会議員になるが、あまり有名でないが会社経営や学問の世界などでしっかりとした実績を残した人物が国会議員になる例は非常に少ない。

 

3)大統領は英語のpresidentの翻訳である。presidentは語源的には「(人民の)前に座る人物」という位の意味であり、共和国の首席行政官(chief executive officer of a republic)を意味する。日本は立憲君主国的形態を残しており、天皇の前に人を座らせる訳にはいかないので大統領と呼ぶ行政官を置けないが、首相公選制は憲法を変えれば取りうる。共和制の国家では大統領が国家元首を兼ねる。

 

(22:30 編集して補足2を追加;翌早朝数か所修正して最終稿)