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2025年1月19日日曜日

日本の蛸壺文化と対米従属政治

1)日本は蛸壺文化の国である

 

日本の文化が蛸壺的であることは、丸山眞男によって指摘されている。日本の学問や文化や組織は、専門化が進み、それぞれがその中で集団を作り、部門間相互の意思疎通が困難であるというのである。(ウィキペディア参照)

「逆説の日本史」で有名な井沢元彦氏は、日本の歴史学者における蛸壺化について述べている。それによれば、日本史と世界史は全く別学問として存在し、日本史に世界の歴史の中の日本という視点が反映されているように感じないという。

 

更に、時間軸に対応して多くの専門に分断され、学者たちに通史に対する理解が無いというのである。例えば中世が、鎌倉時代、室町時代、安土桃山時代という具合に専門化が進むだけでなく、更に領域毎に鎌倉時代の経済の専門家、政治の専門家、文化の専門家という具合に細分化が進んでいると語っている。

 

歴史家たちは、その狭い領域で意見交換し、その中で安住しているのだというのである。つまり、鎌倉時代全体に対する理解も、群盲象をなでる状態なのである。

 

https://www.youtube.com/watch?v=f_DVbk-tFT8

 

そのような文化の蛸壺化が進んだ国では、例えば現代政治を専門にする学者は、明治の歴史などは通説をそのまま受け入れる習性がついてしまっている。気候変動などの自然現象も全くCO2原因説を疑うという習性も能力もない。そのため、現代政治の真実が全く見えないだけでなく専門家としての能力さえついていないだろう。

 

全ての分野が複雑に絡まって時代が進行している現代、常に全体を意識する視点のない文化の国では、何事においても本質を理解する力のある専門家がいない。文化の蛸壺化は民族の知性の劣化の原因となっているのである。

 

現代政治において日本独自の問題として深刻なのは、日本の近代史の大きな節目である明治維新について歴史家がまともに研究してこなかったことである。その結果、現代の政治家や政治学者は、日本現代の政治についてまともな考え方をもっていないし、専門家としての能力にも欠けている。

 

誤解の中心にあるのは、その中心にあった人物とその末裔が作り上げた明治維新が日本独自の改革であり外国はその切っ掛けを与えたに過ぎないという誤った解釈である。それを専門外としてそのまま受け入れるので、現在の外交専門家や政治家は、英米の戦略に翻弄され続けた日本の近現代を全く理解しないのである。(補足1)

 

丸山眞男の蛸壺文化の話に戻ると、ウィキペディアの解説文には以下のように書かれている:

「共通の根を切り捨てた形で専門が分かれ、その専門の中で仲間の集団を作っているため、集団の相互間での意思疎通が困難であるとされている」と。

 

壺の中に安住するタコには、いくつもの壺が綱で繋がれ、その先が海上のブイにつながっていることなど全く見えていない。近い将来、そのブイを目印に船でやってきた漁師に捕獲されるという彼らの近い将来を想像する手掛かりが全く見えていないのである。

 

この悲しい現実は、激動の世界の中で危機を迎える可能性の高い日本の将来について全くと言っていいほど沈黙を保ち、政治の改革に関して無力な日本の知識層の姿に相似である。
 

 

2)日本の工業製品と蛸壺文化

 

次に、議論の本筋からずれるが、日本の製造業への蛸壺文化の影響について若干議論する。

 

この蛸壺文化の国では、出来上がった最終的に使用に供される総合的な製品よりも、単純な金属加工の機械であったり、ソケットやパイプなどの材料やチェインやジッパーなどの部品の製造で競争が厳しい世界の中で生き残る企業が多い。

 

例えばパソコンでは、かつて世界の最先端だったNECをはじめとする日本の企業は、もはや非常に小さいシェアしかない。製品の魅力(或いは性能)対価格の比を独断でみれば、後発のアップルや最近パソコン製造を始めたマイクロソフトに追い越されている。(補足2)

 

パソコンという総合的商品で市場を席捲するには、パソコンを理解しパソコンと人間との関係の全体像を考え描く人物が設計から製造の指揮をする必要がある。パソコンいうキャンパスに自分たちはどのような絵を描くのかという思想が具現化したような品物でなければ、個性ある消費者に歓迎されないだろう。アップルなどの製品には自分たちが考えるパソコンが表現されていると思う。

 

しかし日本では、類型的なパソコンに対する理解に安住し、他社との競争に勝てる性能と価格を先ず想定し、それに適合する部品を集めて組み上げるのだろう。その結果、消費者が特定のメーカーを選び、そのパソコンを持った時に所有欲を満たすことなどないだろう。それではレノボにも勝てない。
 

パソコンと同じ顛末をたどるのではないかと心配されるのが、現在の日本経済をけん引している自動車である。自動車は現在、インターネットにつながるスマートカーに進化しつつあり、自動運転車が標準になったとき、日本車はテスラ社(米国)やBYD(中国)の戦略には勝てるのだろうかと心配になる。

 

その他の分野、例えばAIやSNS関連のサービスなど、総合力を必要とする事業の発展は米国や中国で進んでいる。

 

https://www.nikkei.com/article/DGXZQOSG108LH0Q4A211C2000000/

 

最初に日本は部品には強いと書いたが、それは日本が職人の国であることと関係している。職人芸とは、工業における蛸壺文化の結果ではないだろうか。確立した技術の製品においては精度や純度が勝負を支配するので、職人技で諸外国を相手に高い競争力が維持できるのだと思う。

 

世界の消費文化は急速に変化する時代にあり、日本の職人芸の通用する範囲は日々狭くなる可能性が高いだろう。ただ、日本国内では古来の蛸壺化した文化を継承し、生活のパターンに変化が乏しいので、伝統工芸的な部分では日本製品が将来も残ることが可能だろう。(補足3)

 

 

3.日本の政治における蛸壺文化
 

日本の政治も蛸壺文化的で非常に発想に乏しい。1945年の敗戦後にマッカーサーの統治となり、日本は吉田茂とその部下らによって米国への隷従政治を採用することになった。1951年の講和条約後も、表向きには独立の体裁をとりながら、その本質に変化はない。

 

一度出来上がった体制が一定期間継続されると、国家のそれぞれの部門の担当者が、その体制に順応する形で専門家する。一旦それらの専門から国家全体が出来上がると、そのパターンを破壊して、そこから抜け出ることが出来ないのである。それが蛸壺文化の特徴である。

 

明治から昭和初期まで強力な求心力の国家であったように見えた日本帝国であったが、その立憲君主制の強固な独立国の姿も、借り物であった可能性が高い。その証拠に、講和条約を経て70年経過しても、日本の数十か所に他国の軍事基地を置き、首都近辺の領空まで他国に支配されたままでも良いと考える政治家たちが政権与党をつくり、それが異常であると感じないのである。

 

勿論、異常であると言う人は幾らでもいる。しかし、かれらは口先だけであり、その異常さが他人には説明できないだろう。何故なら、その異常を本質的には理解していないからである。平然と、「日米の戦略的互恵関係を維持しなければならない」と言うのである。彼らは戦略的という言葉も互恵という言葉も、更に国家という枠組みも理解していないので、そのようなセリフが言えるのである。
 

将にその対米従属政治を続けるため、日本の保守勢力は合併して自由民主党となったのだ。その結党は、国民による政権政党の選択という政治参加の道を封じ、知性に乏しい日本社会党との議論を装うことで対米従属を長期に継続するためである。

 

そのような政治では国民を欺くことになるとして問題視する人物が突然変異のように現れれば、政界から或いはこの世から追い出したのである。(補足4)

 

現在、その問題点に気づいて国政に参加している政党には、数年前に結党された参政党という弱小政党(参政党)が一つあるのみである。亡国の徒と売国の輩が日本の中枢を占領しているのである。(佐藤 健志 (著)「右の売国、左の亡国:2020年、日本は世界の中心で消滅する 」)

 

現在、日本の政治は、日常的な問題を対象として対立を作り出し、それによって政党を形成している。決して日本の骨格そのものの問題を対象にしたことが無かったし、それは自由民主党の結党の意義(対米従属を継続)に反するので避けてきたのだ。

 

それらは、労働と富の分配の問題、教育や社会保障の問題、産業振興の問題、政治資金の問題などであり、それらに対する姿勢で日本の主な政党全てが成立している。それらは重要だが、族議員たちがそれら蛸壺内で議論する対象に過ぎない。国家全体に関係する骨格の問題を抜きにする日本の政治家は、そしてそれを尤もらしく地上波TVで議論する評論家たちは、日本国民の将に背信の輩である。

 

根本的な大問題である日本の政治における独立国としての日本の回復は、この図の蛸つぼに入って、くだらない議論をして既得権益を得ている政治家には成し得ない。日本国の再生には、政治家の総入れ替えしかないと思う。

 

最初に掲載した図のいくつもの蛸壺と、それらを束ねる綱や海上のブイ、をもう一度みてもらいたい。この図は日本国を表している。蛸壺は日本国を構成する諸機関であり、蛸壺を束ねる綱は米国の為に働く輩たちである。今後やってくる漁師のことを問題視する人や政党は殆ど存在しない。

 

因みに、今後やってくる漁師とは、第三次世界大戦が起こす世界の中心的な権力であり、その中心は勿論米国である。

 

憲法を改正して、独立国となるという党是で成立した自由民主党だが、その党是が完全なまやかしであったことが、十分な理解力のある人には中曽根内閣時代には明らかになっている筈である。彼のどこが大勲位に値するのか?

 

例えば、日航機123便墜落の事実が完全解明されておれば、その自由民主党が第一党としての地位を失い米国隷属の政治に終止符を打つ切っ掛けになっていた可能性がある。(補足5)それを政治が問題にしなかったのは、すべての政界の人たちが蛸壺の中に既得権益をもって安住したかったから、その隠ぺいに協力したのである。


 

補足

 

1)最近のニュースだが、日本製鉄のUSスチール買収を批判した米国の鉄鋼会社CEOは、「日本よ、気をつけろ。あんたたちは自分が何者か理解していない。1945年から何も学んでいない。われわれがいかに優れていて、いかに慈悲深く、いかに寛大で寛容か学んでいない」と発言した。米国の本音に配慮してゴンカルベス氏は発言したのである。これが英米に翻弄され続けた日本の近代史における現在の状況である。

https://www.zakzak.co.jp/article/20250118-BWLS7NXXRRMUJHFDWK2J7ZGZTM/ 

 

2)最近、NECVersaPro(インテル12世代CPU)を使ってみたが、マイクロソフトのSurface(若干古いがlaptop3を使っている)とは見た目から中身まで大きな差がある。劣悪なTNディスプレイを採用していたので、即売却した。

 

3)茶碗には取っ手が無い。熱いお茶をいれても茶碗を手に取ることが出来るにもかかわらず、ハンドルを付けないのである。磁器が焼けるようになり、細くても強度の十分なハンドル装着が可能となっても茶碗にハンドルを付けるという発想が出ない。ボタンを見てもジッパーを見ても、それらを取り付けた着物が現れない。両足を個別に収容するズボンのような構造も、まともな形で取り込まないのが日本文化である。


4)中川一朗やその息子の中川昭一がその一例だろう。そのほか、孫崎享著「アメリカに潰された政治家たち」がそのような政治家を取り上げて解説している。
 

5)この事故は、自衛隊のミサイル演習で無人の標的機が日航機に衝突したという説などが、単行本や後にyourube動画などでも多く紹介されている。自衛隊のミスで520人の死者を出したとなれば、当時中曽根内閣が検討していたミサイル防衛構想や米国レーガン政権が進めるSDI(戦略的防衛)構想への参加が、国民の反対で不可能になる。そこで、日本航空とボーイング社の協力で、圧力隔壁破壊説をでっち上げたというのである。

 

https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12836247903.html

 

=== 1月20日早朝、分かりやすく文章を追加し、更に数か所修正を施しました ===

 

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