2017年5月5日金曜日

芥川龍之介の小説「薮の中」の感想:藪の中の真実(私の推理)

1)昨日、たまたま表題の短編を読んだ。短いので直ぐに読めたのだが、誰もが気になるのは真実はどこにあるのかということである。文学の世界でも研究の初期には真相を明らかにしようとされ、“「藪の中」を研究するということは事件の真相を明らかにしようと試みることにほぼ等しかった”とウイキペディアには書かれている。

どうもスッキリとした結論は得られなかったようで、「真実探しに意味があるのか?」という意見もあったらしい。その後、黒澤明の映画「羅生門」がこの「薮の中」を原作として作られた。そこでは、死体の第一発見者が顛末を見たと言う設定になっているという。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%AA%E3%81%AE%E4%B8%AD#.E6.98.A0.E7.94.BB

私も明け方推理してみたが、割合簡単に結論らしきものが頭に浮かんだ。それは映画「羅生門」の筋書きとは異なる。「藪の中」と「真相」でGoogle検索して見つけたいくつかのサイトを見たが、それらの推理とも異なっていた。

「薮の中」の話の筋は以下の様である。

山科の薮の中で、夫婦が盗人(多襄丸)に襲われ、縛れれた夫の前で女房はレイプされる。翌日樵(きこり)により現場に残る夫の死骸が発見され、その近くに縄(ロープ)と櫛が落ちていた。樵の証言では、死骸の周りの草や竹の落ち葉が一面に踏み荒らされていたという。殺されたのは金沢の武弘26歳で若狭の国府の侍、女房の名は真砂で19歳である。真砂の母親の証言によると、真砂は男にも劣らぬ位に勝気な女である。また、同時に金沢の武弘を優しい気立ての男と証言している。

盗人の多襄丸は女房を載せていた馬を奪い逃走するが、途中で落馬し下級の役人(放免)に搦め捕られる。多襄丸、妻の真砂、そして巫女の口から語られる殺された武弘の死霊が事の顛末を語るが、それらは自分の立場を守るために嘘を含んでいて、当然互いに異なっている。そして、真実は「薮の中」だということになる。しかし、よく読むと、著者は謎解きの解答をしっかりと用意していると思う。そうでなければ、作品に重みが出る筈がないだろう。

私の推理では、この事件の後半部分の筋を決めたのは、被害者の女房である。レイプされたあと、口惜しさの中でもそれに支配されず、その場から生還することと今後の生き方の方策を、冷静に考えて実行したのである。

2)私の推理を書く前に、黒沢明の映画「羅生門」での筋書きを書いておく。その方が理解しやすいと思うからである。この映画では、武弘の死体の第一発見者である樵が一部始終を目撃して、語り手として登場するらしい。その証言として、以下のような筋書きがウイキペディアに書かれている。

盗人は手込めにした武士の妻に情が移り、土下座して求婚する。しばらく泣いていた妻はやがて顔を上げ、武士の縄を切り、2人に決闘を促す(つまり、決闘に勝った方の妻となるとの意思表示)(補足1)。しかし武士は、盗人の求婚を拒絶しなかった妻に愛想を尽かし、離縁を言い渡す。盗人はその武士の言動を見てためらい、考え込み、最後は武士に同調し、その場を去ろうとする。すると泣き伏せていた妻は突然笑い出し、2人のふがいなさを罵る。罵られた2人は刀を抜き、決闘を始める。しかし両人とも場慣れしておらず、無様に転げ回って闘う。辛くも盗人が優勢になり武士にとどめを刺す。しかし妻は盗人を拒み、逃げ去る。1人残された盗人も、武士を殺した恐怖心から逃げるようにその場を去った。(上記ウィキペディアの中の記述)

この筋の中で、()内に決闘に勝った方の妻となるという女の意思表示に至るプロセスは間違いだと思う。また、暫く泣いていた妻という記述と、不甲斐ない二人を見て突然に笑い出すという記述は、短い時間の心の動きとしては全く不自然である。 

私の考えた話の筋の前半は、多襄丸の白状したことと同じである。しかし、武弘と多襄丸の決闘の動機について、多襄丸は嘘をついている。つまり、「卑怯な殺し方をしたくないので、男の縄をといて“太刀打ち(決闘)をしろ”と言った」というのは、武弘の女房の真砂の策に嵌ったことを隠すための嘘である。 

多襄丸という泥棒は、人の命をなんとも思っていない。多襄丸を捕らえた放免によると、昨年も寺の後ろ山で物詣にきたらしい女房が童女と一緒にころされていたのは、この男の仕業だということだと証言している。

手籠めにされた真砂は、自分を守れなかった不甲斐なさと、自分を見る目に蔑みの表情を見て取り、夫武弘を腹立たしく思った(補足2)。そして多襄丸が自分に未練を残しているのを見て取った真砂は、多襄丸に夫を殺させその間に逃げる策を考えた。多襄丸を手が離せない状況に置くため、「決闘して勝った方に添うことにする(結婚する)」と言ったのである。その気にさせるセリフには色々あるだろう。真砂には、勝敗は見えていた筈である。

多襄丸も真砂の魅力に負けて、その策に嵌ってしまう。太刀打ちで男を刺した後、真砂がいないことに気づいた多襄丸は、とどめを刺さずに急いで彼女を探す。真砂が助けを求めに行ったに違いないと考えた多襄丸は、追っ手が来るのを恐れてその場を早々に逃げ去る。 

女房の真砂は逃げた振りをしてどこかに身を隠していたのだろう。現場に戻って、悶えている夫武弘にとどめを刺す。死霊がかたる「誰かは見えない手が胸の小刀(自分が最初自害のために刺した)を抜いた。同時に俺のくちのなかには、もう一度血潮があふれてくる」という最後の一刺しは、真砂によるものでしかありえない。

もちろん、死霊がかたる最後の自害する直前の場面で聞いた泣き声には、真砂の泣き声も混じっていた可能性はあるだろう。また、真砂の証言の中の、夫の自分を蔑んだ目で見るところまでは真実だろうが、夫を刺したのは自分だけであり、自分も後を追うつもりだったというのは嘘だと思う。

以上が私の推理である。小説にかかれた内容と矛盾する点は何もないと思う。薮の中から見える断片的な姿を繋ぎ合わせれば、真実は見える筈である。 

上記ウィキペディアの記事には、「薮の中」の研究が簡単に文献とともに紹介されている。その中には、そもそも「藪の中」は「原画」を欠いているという主張や、芥川自身が自作に否定的な発言をしているといった記述がある。これらの言葉は、私には作品に対する難癖のように思える。

補足:(後日追加)
1)はっきり言えば、安劇場風演出である。
2)男勝りの勝気な真砂は、当時既に夫武弘を低く評価していたと思う。そして、盗人の「古墳を見つけて出土品を隠してある。それらをを安く売りたい」という話に簡単に乗ってしまう夫にある種の軽蔑感をもっていた。その証拠に、妻の真砂は道外れの出土品を隠してあるという場所には行かず、馬とともに道脇に待機している。

0 件のコメント: