2018年2月13日火曜日

ビットコインというインチキ(2):不換紙幣は紙幣の進化であり堕落ではない(補足0)

1)堀江貴文「みんなビットコインの仕組みを知らなさすぎる」という動画がyoutubeにアップロードされている。https://www.youtube.com/watch?v=wi2CKOerY1Q 

しかし、堀江氏が本当に仮想通貨を分かっていっているのか怪しいと思う。つまり、もし仮想通貨に希少性があるのなら、これまでの金本位制、つまりゴールドが貨幣となる通貨制度、と似た通貨制度として世界での普及は可能である。しかし、仮想通貨はいくらでも作れる。2月中に数十の仮想通貨のICO(initial coin offering)が行われることを、彼は知らないのだろうか。https://jp.cointelegraph.com/ico-calendar(アクセス出来なければ、cointelegraph ico-calendarで検索すれば出てくる。)

つまり、仮想通貨を合法とするのは、通貨偽造を認めるようなものである。勿論、偽物でも本物らしく見えるものは一定の評価を得て、値崩れの前には流通するかもしれない。しかし、何れ価値は0になるだろう。この場合は紙くずも残らない。

この人達は、電子マネーと仮想通貨とブロックチェイン技術の区別が出来ていないのではないだろうか。ブロックチェイン技術を用いた、ディジタル円とか、ディジタルドルとか、ディジタルSDRを用いれば良い。しかし、それは仮想通貨ではなく、ディジタル通貨である。ブロックチェイン技術については、IMFの総裁も興味を示している。

仮想通貨を擁護する人たちに共通しているのは、現在の不換紙幣に対する不審感である。そして、兌換紙幣から不換紙幣への変化を通貨の堕落と考えていることである。しかし、私は素人ながら、金本位制は時代に合わないので、貨幣制度を国家の信用とリンクさせる制度に進化させたと見るべきだと思う。勿論、それが成立するためには、その国家が節度ある金融政策をするという前提がある。

それは、中世の都市国家から領域を定めた主権国家への歴史の変化と同様であると思う。以下は耳学問ではあるが、30年戦争後に定まったウエストファリア体制が現在まで続いている。この主権国家体制と調和する貨幣制度は、金本位制ではなく現在の国家の信用とリンクする貨幣制度だと思う。

この現在の国家体制と調和する貨幣制度への移行は、ニクソンにより兌換紙幣としての米ドルの廃止により始まったのだと思う。もし、金本位制に戻すことが必要なら、何時でもできる。ただし、その時、金の値段は1グラム数十万円というとんでもない値になるかもしれない。(補足1)それでも、何の本来価値(intrinsic value)もないbitcoinよりもしっかりとした制度になるだろう。

2)金本位制は、物々交換の延長であり、金(ゴールド)の価値は物としての価値から貨幣としての価値に変化した。それでも、金の価値は、いまでも貴金属中最高の価値を持つロジウム(金より高価)や同じく触媒として使われるパラジウムなどとたいして変わらない。つまり、金の物としての価値と貨幣としての価値に大差ない。つまり、金本位制は原始時代の物々交換の時の貨幣制度と本質的に同じである。(追加2/13/18:30 この部分で、現在でも金を一定の範囲で通貨として観ているのは、西欧諸国などが、外貨準備として金を保持しているからです。)

勿論、金の預り証から紙幣ができた時に、一定の進化があっただろう。しかし、英国ロスチャイルド家のネイサン・ロスチャイルドが英国での貨幣発行権を独占することで、近代の銀行制度の大きな変化があった。紙幣は金と交換可能だが、何時でも金と交換できるという信用が兌換紙幣の価値を決めるようになった。つまり、金の総量が紙幣の金額の総量よりも少なくても、その比が一定値以下なら、必要な時には金に交換できるという信用で貨幣制度は維持されたのである。

20世紀後半になって世界経済が大きくなり、世界の基軸通貨であった米ドルの発行量と連銀(FRB)の倉庫の中の金の総量(約8000トン)との比が一定上になってしまったので、米ドルの金への交換を止めることになった。それがニクソンショックである。その原因として、連銀の倉庫にが本当は空っぽになったという説を唱える人もいるが、そうではないだろう。しかし、もしその時代にある国が、その国が持つ米国債を全てドルに換えて金と交換するように依頼すれば、直ちに連銀倉庫は空になり米ドルは紙くずになった筈である。(補足2)ニクソンの決断は当然だったと思うし、世界の貨幣制度も既にそれを織り込んでいなかった筈はない。

世界経済の拡大は、より多くの基軸通貨を必要としたのである。その要求には、米国が紙にドル札のデザインを印刷し、それを世界の欲しいものと交換すれば対応できる。それは差し当たり米国にとって嬉しいことだが、それは後々米国の経済感覚を不健全にしたのだと思う。現在、米国連銀は不健全な債券を資産から無くす苦労をしている。

3)国家の信用とリンクする貨幣は、国家のあり方と調和する。

金を貨幣として用いる場合には、金の偏在があれば経済活動は円滑にはいかない。しかし、金の預かり証になれば、紙と証明印があれば何時でも発行できるので、経済活動をより円滑に行える。更に現在、クレジットカード、プリペイドカード、電子マネー、更にアップルペイなどの技術で、支払う際の手続きの簡素化が進んだ。

しかし、その支払いは全て政府保証の通貨である。行政機関と金融を分離するのは、放漫財政に陥るのを防止するためであり、中央銀行は私企業というより政府の一部門と考えるべきである。実際、米国FRBでも日本銀行でも、そのトップは政府が承認(あるいは任命)し、剰余金は政府に譲渡される。日本銀行では、株式は公開されているがその99%は財務大臣が保有している。

ここで、全くの素人だが、個人周辺のお金の流れについて少し考えてみた。次の図は、それを図示したものである。法人の間の取引などを省いているので、GDPなどの統計とは無関係である。国民一般(政府や法人の構成員も含む)は、仕事に対して給与をもらう。それを使って、法人から財やサービスを購入し(①)、政府等から行政サービス(②)をうける。余ったお金は貯金という形で、法人である銀行に渡し、その代わり通帳に預金額をプラスしてもらう(③)。

ここで、図中の式:給与=企業に支払う物やサービスの代金(①)+税金(②)+預金等(③)となる。

この図に無いのは、労働とそれに対する賃金という往復の矢印である。その矢印の太さが、国民が支払う代金の総和の矢印(①+②)より少し太くなるように、国の内部で決めているということである。(補足3)この部分が預貯金の部分(青い線)であり、ちょっと異質に見える理由である。

この20年間日本国民は金融資産として1700兆円も持っていると言われている。会社も債務超過を避ける意味で、利益剰余金などを溜め込んでいる。一体、そのお金とはどういう意味があるのだろうか。

金融資産は単に預金通帳の上の数字であったり、株券や債券という紙切れであったりする。株券や債券は企業の債務であり、貯金は銀行の債務であり、現金は国家の債務である。つまり、金融資産は企業とか政府の債務であり、それは将来それらが提供する財やサービスの購入に用いることができるという法的権利を示したものである。その権利獲得の具体的な意味は、それまでに会社が行なった設備投資や国家が行なったインフラ整備や施設の建設などへの貢献である。

従って、それらは全てその義務を負うものが明確に存在することが必須である。それを欠いているデジタル仮想通貨の発行が、詐欺的行為でなくて何なのか。つまり、預金額として1700兆円あると言っても、そのお金に相当する工事や工作機械など物品の購入は全て既に行われているのである。マネーストックと言っても、それに相当する物としてのストックなど殆ど0に近いのだ。(補足4) なお、一部は外国に対する債券として存在するが、それはこの議論の補正項であり別途いつかその意味は考えることにする。

健全な家計や健全な企業は、債務超過ではない。従って家庭や銀行を含めた企業の正味の預金&現金の合計は、近似的に日銀を含めた日本国の債務である。そうであるのなら、お金が国家の保証する法定通貨、つまり国家の債務を切り分けたものであるべきだというのは、必然ではないのか。そして時々日本国の債務残高が非常に大きいことを問題視する発言が政治的意味をもって発せられるが、それは国民が異常に多くの貯蓄を持つことが問題であると言うことと等価だということである。

国家の純債務が0に近く、国民が多額の貯蓄を持つのが正しい国家のあり方だというのは、エゴイズムである。何処かに借金大国がなければ成立しない論理だからである。そのような世界のエゴイズムを引き受けてきた国があったとしたら(事実米国はそれに近い)、その国はちゃぶ台返しの様に一旦財政破綻をして、新ドルを発行すると言っても非難できないことになる。


以上は理系人間の素人考えであり、社会科学系の方の反論等期待します。

補足:
0)前回の記事に書いたように、ビットコインは金ににている。それらを貨幣に用いるのは、最新技術を用いているものの、貨幣制度の退化である。
1)連銀の倉庫に8000トンの金があるのなら、そしてマネタリーベースに相当する金を保有するとした場合、1g = 500ドルの金価格でドルは兌換紙幣になり得る。
2)8000トンの金は、約2.6億オンスであり、それを当時のレート35ドル/onceで計算すると、わずか91億ドルとなる。これは少なくとも2年後の日本の外貨準備より少ない額である。現在の金の市販価格は、1オンス(約31.1g)あたり1300ドルである。
3)労働と賃金の具体的な形と量は社会全体で決める。労働に客観的な本来価値があるわけではない。我々人間が一人一生かかっても、テレビ一台作る能力などない。我々はスイッチを推したり、ツマミを回したりするだけの行為を仕事と呼び、それにより過去の人類が築いた社会によって養われているのである。その自覚が現代人には欠けている様に、私には見える。
4)物品としての在庫は多少ある。しかし、それはここで本質的な意味を持つものではなく、企業の投資の一形態として存在する。

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