2018年2月20日火曜日

オリンピックと愚民化政策

1)大衆に対する警句として屡々用いられることばに、「パンとサーカス」がある。大衆が愚民化すれば、政治も文化も退廃し国家も危うくなる。この言葉の原典は、古代ローマのユウェナリス(西暦60−130)が古代ローマ社会の世相を揶揄して書いた詩篇である。権力者から無償で与えられるパン(食料)とサーカス(見世物)によって、ローマ市民が政治的盲目に置かれていることを指摘した。

市民とは市民階級の人たちであり、その下で働いていたのが奴隷である。奴隷といっても知的に優れたものは医師や会計士となって働いたというから、市民権を得ていない外国人(ギリシャ人)だったらしい。(以上、ウィキペディアによる。)その市民ですら、或いは、そのような市民だからこそ、差し当たり平穏なら頭を使わず単なる動物としての本能しか働かせないのである。

奴隷として外国人を働かせていた以上、外国人の反乱は十分考えられる。また、外国からの侵略があれば、自分たちも奴隷のような身分になる可能性もあり得る。また、ローマ内部の政治的混乱などもあり得る。ユウェナリスの生きた時代、ローマは現在のイスラエルまでも支配していた時代であるが、この詩人には尚その国の危うさが見えていたのだろう。

2)ここ数日、オリンピック報道がテレビのバラエティー番組を占領している。日本人による金メダル等獲得のニュースは素晴らしい。その演技や記録(タイム)は人間業とは思えないレベルなのは、彼等、例えばフィギュアスケートで金メダルをとった羽生さんや銀メダルの宇野さん、ハーフパイプで銀メダルを取った平野さんらすべてが、幼少期より練習に励んでいるからである。

詳細は分からないが、その影でオリンピック出場資格を目指しながら得られず、オリンピック開催前30歳の若さで、自室で死亡した人の話も聞く。かれらの競技に挑む姿勢からみて、それらはスポーツというよりも仕事或いは人生そのものである。それら競技が仕事や人生そのものとなり得るのは、テレビ等の宣伝媒体と一体となることで、高い経済価値を生むからである。つまり、これらの競技はまさに「パンとサーカス」のサーカスである。日本人のメダル獲得を素直に喜ぶだけでは、済まされないように思う。

スポーツの英語訳であるSport(s)を再び英和辞書で見ると、スポーツ、娯楽、楽しみ、冗談のような日本語訳が書かれている。更にスポーツ(sport)の語源を調べると、disport(=遊び興じる)である。(補足1)そのスポーツを一部の人たちの仕事或いは人生にしてしまう現在社会は、正常なのだろうか。或いは、オリンピックの競技をスポーツと呼ぶのは正しい言葉の使用法なのだろうか。

スポーツがテレビなどと結びついて資本主義経済の宣伝媒体となって久しい。そのスポーツにたいして高い権威付けをしているのがオリンピックであり、その権威付がオリンピック選手達の演技に高い価値を与え、選手たちの社会的地位を上げる根拠となっている。

オリンピックが平和の祭典というのは、古代ギリシャの話に過ぎない。現在、オリンピックは資本主義経済&政治の祭典である。オリンピック競技に高い経済的利用価値を付与すると同時に、選手を国籍分けにして競争させ、世界の人々の心のなかにナショナリズムを高揚させるという大きな政治的役割を果たしているからである。

3)今回のオリンピックの特徴は、北朝鮮問題に関する国際政治の緊張が、ピークに達している時期に開催されたことである。この問題に最も深刻に係るのは北朝鮮、韓国、そして日本の三カ国である。その深刻な時期にも拘らず、日本のマスコミは国民にその問題の議論よりも、オリンピックの熱狂を煽っている。

グローバル資本主義世界の意図は、国民の関心をそらして政治的白痴化の世界に持ち込み、自分たちの政治目的を達成することである。それは、政治と経済における世界支配である。明らかに、オリンピックは資本主義経済、更に、世界政治において人々の愚民化政策の道具になっている。マスコミもその戦略に協力している。https://www.youtube.com/watch?v=Gc9rsvBIh9U (政治に目覚める大衆をおそれる、ブレジンスキー米国元米国大統領補佐官の言葉)

氷の上の宙返りや踊り、そして、昔は刑罰であったと言われるスキージャンプ(補足2)などのサーカスを見て興じる人々の姿は、やがて氷山にぶつかるタイタニックの上での華やかなレセプションに興じる姿に重なる。タイタニック乗組員は、その華やかな初航海の雰囲気の中で、氷山群が近づいているという無線連絡を聴き逃したか無視したのである。

人の一生は短い。従って、人類が高度な文明を築くためには、知性ある人々は専門家として各専門を受け持ち、それを正常に総合的につなぐ必要がある。そのつなぎ目を受け持つのが、やはり専門家としての政治家とその下の官吏であり、その経緯を検証するのが歴史家の役割である。その政治と歴史検証を、自分たちの望む方向に導いているのが、一部の巨大利益と人類支配を目論む人たちではないだろうか。(補足3)その道具として、オリンピックが少なくとも結果として利用されている。

多くの知性ある人々の力は、専門家としての地位を維持するために消費され、更に、愚民化された一般大衆の中に希釈されて、政治的な力が消されている。そして、政治と歴史を自分たちの望む方向に導く一部の支配層のシナリオを容易にしている。(補足3)その道具として、オリンピックが(少なくとも結果として)利用されている。

元々スポーツは実践するためのものである。それを教える為の教員は必要だろうが、見世物としてのスポーツはローカルなものに留めておくべきだと思う。それを華やかな国際社会の主舞台に持ち込んで、ナショナリズムを高揚させるために用いたりするのは邪道であり、止めるべきである。

今回の第二次大戦以後最大の危機と言われる中、華やかに開催されたオリンピックを観ての感想である。
(以上の考えは、随分と僻んだ見方だと思われることは覚悟の上である。ただ、スポーツの世界がなんとなく異常に見えてきたので、それを指摘する方向に論点を決めて書いた。オリンピック賛美論のアンチテーゼである。)

補足:

1)disportはdis + portであり、disは除く、離れるなどを意味する接頭語で、portは港、或いは基点である。つまり、仕事等の正規の場所や行為から一時的に離れることを意味する。

2)この説は広く伝わっていたが、現在では否定する話も多い。ただ、昔刑罰は見世物になったという歴史は、三条河原の死刑だけでなく、世界に広く存在する。そう考えると、スキー・ジャンプは人類の考えそうな刑罰ではないだろうか。人類の歴史のうち汚い部分に蓋をしようとする勢力が力を増している現在、それを隠そうとするのも自然な成り行きである。http://www.sankei.com/west/news/140126/wst1401260080-n1.html https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9A%AE%E5%89%A5%E3%81%8E%E3%81%AE%E5%88%91

3)政治支配と歴史の捏造は密接に関連している。それを指摘する意見は方方に有る。

https://www.youtube.com/watch?v=Dy5rpz2hu4k&t=387s https://www.youtube.com/watch?v=LEqCjvTvutc&t=795s 4)北朝鮮問題が第二次朝鮮戦争に繋がり、東アジアに大量の死者を出す可能性が危惧されている。http://webronza.asahi.com/politics/articles/2017090800003.html

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