はじめに
いまの日本は、経済政策や防衛力整備の議論こそ盛んだが、「そもそも日本は世界をどう見て、どこへ向かうのか」という国家戦略の根っこが語られていない。
戦後80年、日本人は自分たちの文明的な立ち位置を忘れ、アメリカの言葉で世界を見ることに慣らされてきた。その結果、日本は「誰かの戦略の一部」としてしか国際政治に参加できなくなっている。
本稿では、
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日本・中国・欧米の「文明的な三角形」を捉え直し、
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日中台の歴史共同研究という独自の国家戦略の入口を示し、
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その先にある「多極世界」と日本の役割
を、できるだけ平易に整理してみたい。
1.日本人はなぜ「国家戦略」を語れないのか
戦後の日本人は、外交・安全保障・歴史を語ろうとすると、すぐに
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「アメリカがこう言っているから」
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「国際社会の価値観がこうだから」
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「民主主義 vs 独裁の戦いだから」
という 借り物の言葉 で思考を止めてしまう。
問題は、「民主主義」や「人権」そのものではない。問題なのは、自分たちの経験からではなく、占領政策の中でアメリカが“普遍的価値”として導入した思想を、そのまま信じて内面化してしまったことである。(補足1)
欧米にとって「民主主義」や「人権」は:
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国内政治では統治の仕組み
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国際政治では国益を正当化するための“言語”
にすぎない。しかし日本だけが、それらの“言語”を 道徳そのもの と信じてしまった。
その瞬間、日本は「自国の利益を語ること」に罪悪感を抱く国家となり、国家戦略を構想する土台を失ってしまった。
2.日本・中国・欧米の文明は「非対称三角形」の関係
本来、日本・中国・欧米の文明は「等距離」ではない。深層構造では、日本に近いのは中国であり、欧米は日本から遠い。にもかかわらず、日本人は欧米を「価値の同盟国」と感じ、中国を「価値の敵」と感じてしまう。それはなぜか。
① 欧米:契約と力の文明
欧米政治の核心は、きわめて単純だ。
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利益になるか、ならないか
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力が増すか、減るか
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契約を守るか、破るか
民主主義や人権は、この判断を正当化するための「看板」にすぎない。米国の冷戦期の介入戦争や、現在の制裁外交が示す通り、行動原理は常に リアリズム(力の論理) である。
② 日本:中国と驚くほど似た「深層」
一方、日本と中国は、政治体制こそ違えど、
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歴史の連続性を重んじる感覚
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家族・共同体・義理・恩の重視
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「文脈」や「空気」を読む行動様式
において深い共通性を持つ。日本社会は「契約」よりも「関係」で動く。中国の「面子」や「関係(グァンシー)」は、日本の「義理」「世間」と極めて近い構造である。
③ 文明の非対称三角形
三つの文明を図示すれば、以下のようになる。
つまり、日本と中国は「深層で近く」、欧米はまったく別の文明である。にもかかわらず、日本は欧米を理想化し、中国を誤って恐れ、両方を 同時に誤解 してきた。ここからすでに、国家戦略の前提が狂っている。(補足2)
3.誤った世界観が生み出した「戦略的麻痺」
この文明的誤解は、実務レベルの外交判断を次のように歪めてきた。
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米国の価値観外交を「本気」と信じ込む
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対中政策を「民主主義 vs 独裁」で理解する
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台湾やウクライナでの問題を「価値観の戦い」と錯覚する
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「日中は価値観が違う」と決めつける
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「日本の国益」を語ると罪悪感を覚える
その結果、日本は善悪の物語に自らを合わせ、自国の生存条件を冷静に計算できない国家となっている。こうした視点のままでは、いくら防衛費を増やしても、どれほど同盟を強化しても、それは結局「他人の戦略の一部」でしかない。
4.日中台「歴史共同プロジェクト」
日本が自らの視点を取り戻し、欧米的思考の檻から抜け出すための現実的な入口、それが「日中台による歴史共同研究」を日本が主体的に設計することである。
① 日本軍は「共産党」とほとんど戦っていない
日中戦争で日本軍が主に戦った相手は蒋介石の国民党軍であり、共産党軍との本格的戦闘はほとんどなかった。
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日本軍 vs 国民党(=現在の台湾政府の前身)
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共産党は勢力を温存し、内戦で勝利
という構図は、「日本の侵略」と「共産党の正統性」が直接衝突しないことを意味する。これは歴史共同研究を進めるうえで、中国にとって大きな利点だ。
② 「三者の歴史」として再構築する
本来、日中戦争の歴史は、
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日本
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中国(共産党政権)
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台湾(国民党政権)
の三者で語られるべきである。ところが現在の日本は、米国・台湾の歴史観だけを採用し、中国との和解可能性を自ら狭めている。
③ 日本がつくるべき「三者を立てる枠組み」
日本が主導すべき研究枠組みとは、例えば:
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共産党の「抗日戦争勝利」の物語を否定しない
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台湾(国民党)を正当な当事者として扱う
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日本自身の加害の歴史も隠さない
という 三者を同時に立てる構造 である。これが成立すれば、
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中国は「日本が理解不能」という恐怖から解放され、
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日本は「歴史カードへの恐怖」から抜け出し、
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台湾も自らの歴史的位置づけを確認できる。
歴史は過去の物語ではなく、未来の衝突を減らすための“戦略資源”である。
5.「多極世界」と日本の役割
今日の国際不安定を生んでいるのは、「世界を一つの価値で塗りつぶそうとする発想」である。
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トロツキズム(世界同時革命)
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グローバリズム(市場と価値観の普遍化)
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人権外交(価値の押し付け)
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ネオコン(民主主義の普遍化)
これらは歴史的に同根であり、いずれも 主権国家体制の否定 に向かう。
① 中国とトランプは、すでに「普遍主義」を降りている
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中国は改革開放以降、世界同時革命を捨て、「内政不干渉」を外交原則にした。
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トランプは「アメリカが世界を背負う」という発想を疑い、
米国を“普通の主権国家”へ戻そうとしている。(補足3)
表面上は対立していても、両者は 「単極覇権の終わり」 という一点で利害が一致する。
② 日本は「覇権を持たない中心」になりうる
日本には、
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他文明を支配する普遍主義を持たない
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内政不干渉的な文化(「和をもって貴しとなす」)
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欧米とアジアの“中間文明”
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戦後の“非覇権国家”としての実績
という特徴がある。
だからこそ日本は、“文明の違いを認め合う多極秩序”への移行を説得しうる稀有なプレーヤーである。その第一歩が前章の歴史共同プロジェクトであり、その先に、日本・中国・アメリカ(トランプ)が互いの主権と文明の違いを認め合う多極世界の形成が見えてくる。
おわりに
日本にいま必要なのは、防衛費の数字論争でも、「アメリカにどこまで従うか」という従属の度合いの議論でもなく、「世界をどう見るのか」という文明的な原点の問い直しである。
日本と中国は、本来かなり近い文明であるが、欧米は日本から遠い位置にある。この現実を直視したうえで近隣国と歴史を共有し、多極秩序を構想すること。それこそが、「日本が誰かの戦略の一部ではなく、自らの頭で世界を考える国家」に戻るためのもっとも現実的なロードマップである。
補足
1)明治維新が外国に誘導された革命だったとすれば、日本にはもともと近代国家観が欠けており、戦後の米国による“組み換え”は、厳密には“上塗り”である。
2)日中の間、日韓の間、日ソの間に解決不能な問題を残し、且つ朝鮮を二つに分断したのは、米国の戦略の一環である。世界の警察として各地に米軍を配置する根拠が必要だからである。これらの物語は、今回の話と平行して存在する。
3)トランプ大統領は、11月7日の高市首相の発言について問われた際、「同盟国が友人とは限らない。多くの同盟国が貿易で米国から搾取している。中国よりも酷い」と述べている。これは彼の“普遍主義の否定”を象徴する発言である。
(本文章はOpenAIのchatGPTの協力で作成しました)

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