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2025年11月27日木曜日

国際保健規則(IHR)改訂への主権国家としての懸念―国際法や条約は国内法より劣位の筈

(本稿は、筆者の構想に基づき、OpenAI ChatGPT(GPT-5)の支援を受けて作成したものである。)

1.はじめに

近年の国際政治は、大国間競争の激化と国際機関の権限強化が同時並行で進んでいる。とりわけ、公衆衛生・感染症対策の名のもとに、各国の政策空間に踏み込む国際的枠組みが次々に提案されている。2024年6月に採択された国際保健規則(IHR)や今年5月の「パンデミック協定」はその象徴である。

 

しかし、これらの議論には前提として重要な問いがある:――条約や国際法は、国内法、とりわけ憲法とどのような関係にあるべきか。この基本問題をあいまいにしたまま国際的枠組みを受け入れれば、国家主権と民主的統治は簡単に侵食されうる。

 

本稿では、主権国家における条約の本来の位置づけ、日本国憲法の体系、批准制度の意味、日本独特の「国際法優先思想」の危うさ、そして今回のIHR改訂がもつ構造的問題を論じる。

 

2.主権国家体制における「条約」の本来の位置

国家主権とは、国家が自らの領域において最高の決定権を持つという原則である。主権国家が国際社会と関係を結ぶときに用いる手段が条約であり、条約とは国家の意思によって自ら負うことを選択した“国際的義務”である。

 

ただ、国際的義務は誠実に履行されるべきだが、憲法の理念が示すように、国家の第一の責務は国民の生命・自由・権利を守ることである。もし国際的義務がこれらの基本的価値と衝突する局面に至るなら、国家は国際的摩擦を覚悟してでも、国民の安全を最優先に判断すべきである。

 

つまり、条約は国家の外部行為であり、国内の法秩序の最上位に立つものではない。これは国際法の創成期から続く大前提であり、国家がその内部で最終的に従うべきものは「自国の法」そして「憲法」である。

 

もし条約が憲法を超えるならば、国家主権は空洞化し、国民の自己決定権は国際機関に委ねられてしまう。

 

3.日本国憲法は条約をどう位置づけているか

日本国憲法98条は以下の二つを定めている。

 

1項:憲法が最高法規であること。
2項:条約および確立された国際法規を誠実に遵守すること。

 

重要なのは、どこにも「条約が憲法を超える」とは書いていないことである。むしろ法体系としては、憲法 > 国内法 > 条約(国内で効力を持つのは国会の承認・国内実施法を通じてのみ)が自然な読みである。

 

「条約は憲法より上位」という政治家の発言が散見されるが、それは解釈として誤りである。憲法が最高法規である以上、憲法に反する条約は国内では効力を持ち得ない。

 

4.なぜ条約には“批准”が必要なのか―そして「協定」という名称が悪用される危険

条約は、署名しただけでは国内では何の法的効力も持たない。批准には以下の意味がある。

 

・国民の代表である立法府が内容を審査し、国内で実施可能かどうか判断する
・行政権が外交上合意した内容を「国内で拘束力ある法」として承認するかを決める
・主権者(国民)が国際義務を受け入れる最終判断の場である

 

つまり批准とは、条約と主権者を接続する最終の民主的プロセスであり、この段階なく国際義務を受け入れることは本来許されない。

 

ここで近年問題化しているのが、政府が「条約(Treaty)」ではなく「協定(Agreement)」という名称を使うことで、批准の必要性を曖昧にし、国民を誤認させる可能性である。

 

国際法の体系では、名称は法的拘束力を左右しない。実際、1956年の日ソ共同宣言は「宣言」であったにもかかわらず、日本政府は国会批准を経て発効させた。これは「名称に関係なく、国家に義務を課す国際合意は国会承認が不可欠である」という先例を明確に示している。

 

したがって、「パンデミック協定」も名前にかかわらず、国家主権・国民の権利に影響する重大な国際合意である以上、当然ながら国会の批准を要する。もし政府が「協定だから批准不要」と言い張り、内閣の専決で締結するなら、主権の喪失であり、立憲主義の重大な逸脱である。

 

5.日本における「条約優先思想」の危険性

戦後日本では、外交官や政治家の間に「国際法は国内法より上位である」という言説が広まっている。しかしこれは: 憲法98条の誤読; 対外協調を過度に重視する政治文化; 行政による条約運用の独占; 国会の審査能力の弱さ、がもたらしたものであり、法体系の正確な理解ではない。

 

この「国際法上位」思想は、国内法体系を外圧で上書きできるという誤った感覚を生み、国民の権利や自由を国際機関に委ねる危険性を高める。

 

6.世界各国ではどうか ——「条約は国内法より下位」が標準である

日本の政治家の言説とは異なり、多くの主権国家は以下の立場を取る。

 

英国:条約は議会が国内法化しない限り効力ゼロ。
北欧(デンマーク・ノルウェー):条約適用には議会承認が必須。
米国:条約は憲法に反すれば最高裁が無効化。
ドイツ:EU条約であっても基本法が最終判断者。
イスラエル:基本法が条約・国際法に優越。

 

これ等を見れば、世界標準は明らかである。
 

どの国も「国内法主権」を堅持し、条約に自国制度を明け渡してはいない。

 

7.IHR改訂とパンデミック協定——主権侵食の構造

世界の感染症対策は、いまや国家主権の枠を超えて「国際協調」「グローバル規範」の名のもとに再編されつつある。とりわけその象徴が、2024年6月の国際保健規則(IHR)改訂と、2025年5月の「パンデミック協定」である。

 

改訂IHRでは、WHOが「パンデミック緊急事態」を宣言でき、その宣言下ではワクチン接種、検査、移動制限、検疫、都市封鎖などの強力な措置が事実上の義務として加盟国に求められる可能性がある。さらに各国には、WHOと直接連動する「IHR当局」の設置が義務化され、国内の監視・隔離体制が恒常的に国際規範と結びつく構造が生まれた。

 

また、パンデミック協定では、ワクチン・治療薬・診断薬の分配や供給義務が国際的に定められ、医療資源の流れが国内ニーズより国際合意を優先しかねない枠組みが提案されている。この協定は憲法73条に基づき 内閣単独で署名可能 であり、国会審議が形骸化すれば主権移譲そのものとなる。

 

IHR改訂とパンデミック協定の共通点は、国際規範を国内政策の“上位”に置く構造を持つ点である。
これは感染症対策の枠を超え、主権国家とは何か、民主主義とは何を守る制度なのかという根本問題を突きつけている。

 

とくに日本は、条約の国内効力に関する誤解、行政優位、国会審査の弱体化が重なり、主権が最も損なわれやすい構造にある。IHR問題はその脆弱性を照らす典型例である。

 

8.終章 ——いま主権国家として何を守るべきか

本稿で見たように、国際的取り決めは国家主権と民主主義に直接影響を与える。IHR改訂とパンデミック協定は、その危険性を象徴的に示した事例であり、日本の制度的弱点を露呈させた。

 

主権とは抽象概念ではない。それは国民の自由、政策決定権、そして憲法秩序を守る“最後の防波堤”である。重要なのは次の三点である:

 

1)名称に惑わされず、重要な国際合意はすべて国会による批准を必須とする
2)国会審議を形骸化させず、主権者である国民の監視の下に置く
3)「国際法上位」という誤った政治文化を改め、憲法を基軸にした国内法主権を回復する

 

国家が自らの憲法より国際規範を優先させれば、民主主義の根幹は失われる。国際協調は重要である。しかしそれは、主権と憲法秩序を明確に守ったうえでのみ成立する。

 

主権を守るかどうかは、国家の存続だけでなく、国民の自由の存続そのものである。いま問われているのは、日本が「主体的な国家」として未来を選ぶ意思を持てるかどうかである。

(おわり)

 

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