― 陽水の孤独と自己観察の成熟 ―
井上陽水は日本が生んだ世界的シンガーソングライターである。高音が独特の音声とリズミカルな欧米風メロディーにホレ込む人が多い一方、初期の「傘がない」や「リバーサイドホテル」にあるような退廃的或いは社会に背を向けたような歌詞に違和感を感じる人も多かっただろう。
ただ、それらのオリジナリティに富んだ歌詞の中にある、人間や社会に対する鋭い感覚と独特の視点からの描写には、高い評価がある一方、最初にはある種の嫌悪感を示す人もいたかもしれない。後者の人たちも、陽水の独自の“照れと茶化し”でドレッシングした表現に慣れれば、その魅力に前者の人たち以上にホレ込むだろう。
今回は数ある陽水の曲の中でも難解な歌詞を持つ「とまどうペリカン」という成熟期に達した陽水の名曲にスポットをあてて、陽水の社会と自己観察の変遷を追ってみたい。
1.初期作品における「孤独」の変遷
井上陽水の初期の世界観を決定づけていたのは、紛れもなく「孤独」の情調である。しかしそれは、単なる人間関係の不和ではなく、「周囲と世界を共有できない」という本質的な精神の孤立であった。
自分が見ている世界と、周囲の人々が見ている世界はどうも同じではない。社会の中で多くの人が当たり前のように共有している価値や感情を、自分は同じようには共有できない。そのような孤独である。
そして興味深いことに、陽水は若いころからその孤独を歌い続けながら、やがて「なぜ自分は孤独なのか」という問いを、自分自身の内部へ向けていったのではないかと思う。その変化を考えるうえで、四つの作品の発表年を並べてみると興味深い。
「傘がない」(1972年7月1日、シングル);「心もよう」(1973年9月21日、シングル);「氷の世界」(1973年12月1日、同名アルバムに収録);そして、「とまどうペリカン」(1982年10月21日、シングル)。最初の三曲は、1972年から73年という非常に短い期間に集中している。それに対して「とまどうペリカン」は約9年後の作品である。
この時間の隔たりには、何か意味があるように私には思える。初期の三曲は、まさにこの「孤独な自分」を外側から凝視し、その背景を探ろうとする試みの軌跡として位置づけることができる。
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『傘がない』――社会と自分との断絶 社会が重大だと考えていることと、自分にとって重大なこと(雨が降り、傘がないこと)との奇妙なほど大きな隔たりを描き、社会一般の価値観と自己との決定的な断絶を浮き彫りにした。
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『心もよう』――過去へ向かう手紙 現在の絶対的な孤独の中から、過去に存在した人間関係を静かに振り返るものの、決してそこへは戻れないという諦念の混じる孤立を歌った。
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『氷の世界』――孤独の原因は自分にもあるのではないか 孤独の刃をさらに内面へと向け、「自分が社会から孤立している原因は、社会だけではなく自分自身の内部にも何か(怖さ)があるのではないか」という微かな自問を始めた。
これらの初期作品において、陽水は常に「孤独に取り残された自分」を外側から眺めていた。しかし、ここから約9年の歳月を経て発表された『とまどうペリカン』において、彼の自己観察はまったく新しい次元 ――すなわち「複眼的自己観察」へと昇華することになる。
2.『とまどうペリカン』が提示する複眼的自己観察
本曲を一般的な「圧倒的なカリスマ性を持つパートナー(ライオン)に翻弄されつつも寄り添う人間(ペリカン)」という非対称な恋愛劇と捉える向きもあるが、それでは作中の言葉のリアリティが崩壊し、謎だらけの破綻した物語になってしまう。
たとえば、二人の歩行を阻む「邪魔者を消す」とは恋愛において何を指すのか。「爪を休め眠る時」まで遠くから見守る非対称な恋愛の光景とは何か。あるいは、風に追われる「その日暮らしのライオン」とは一体何なのか。一般的な恋愛歌という枠組みでは、これらの具体的かつ奇妙なフレーズの整合性がつかないのである。
しかし、これらを「純粋な表現へと疾走する創造的衝動(ライオン)」と、「雑念を消し去り、過去の足跡への執着を捨ててその危うい異才を見守り続けるクリエイターの客観的理性(ペリカン)」という自己内対話・複眼的観察として読み解くことで、作中のすべての言葉が驚くほどの必然性を持って腑に落ちる。ここで陽水は、自らの内部にある精神を二つに引き裂き、それぞれを極めて客観的に観察しているのだ。
1. 「ライオン」という制御不能な天才(創造的自己)
作中で激しく疾走し、闇におびえながらも吠える「ライオン」とは、陽水自身のなかに宿る「異常なまでの表現衝動と天才的な創造力」の象徴である。 論理的な説明を飛び越え、誰も見たことのない風景を言葉で作り出してしまう表現者・井上陽水。しかしその圧倒的な才能は、時として本人の理性や制御を超え、過去の蓄積に頼ることもなく、その瞬間瞬間のひらめき(風)に追われて先へ先へと走っていってしまう(=その日暮らし)。社会と同調することを拒み、彼を本質的な孤独へと追いやった元凶こそ、この自らの中に飼う「ライオン」だったのだ。
2. 「ペリカン」という戸惑う理性(客観的自己)
そのライオンの後ろを、雑念(邪魔者)を消し、過去の栄光(足跡)を消しながら健気についていく「ペリカン」は、「自らの異才を戸惑いながら見つめる、もう一人の陽水(理性・客観性)」である。 自分の中から湧き上がる途方もない創作物や衝動に対して、「これはいったい何なのだ」と自問し、圧倒されている。
ペリカンはライオンの走る速度には追いつけないかもしれないが、決して目を離さず、表現の手(爪)を休めて眠る時すらも、その危うさを見守り続けている。
あなたライオン 闇におびえて 私は戸惑うペリカン
ここには、自らの内に厳然と存在する「異質な天才」と「それを冷ややかに、あるいは途方に暮れながら見つめる凡庸な理性」という、見事なまでの複眼的自己観察が成立している。
3.孤独の原因が、社会から自分自身へ反転する
こう考えると、『とまどうペリカン』は、それ以前の陽水の作品と一本の太い線でつながってくる。若い陽水は、自分と社会との間にある断絶を歌った。『傘がない』では価値観の一致しない社会を呪い、『心もよう』では過去にすがり、『氷の世界』ではその原因が自分自身の内部にもあるのではないかという気づきが始まった。しかし、その正体はまだ分からなかった。
それから約9年が過ぎる。その間に陽水は数多くの歌を作り、日本を代表する歌手になった。そして、自分自身が他人には作れないものを作ってしまう人間であることを、否応なく知ることになったはずである。そこで初めて、「自分を孤独にしてきたものは、社会の側ではなく、この自分自身の特異な精神(才能)そのものだったのではないか」という認識が生まれたのではないだろうか。
もしそうなら、『とまどうペリカン』は単なる寂しさの歌ではない。若いころから歌い続けてきた自分自身の孤独について、その原因を完全に受け入れた振り返りの歌なのである。
日本文化の中の「ライオン」
そして、ここで日本文化という問題が出てくる。陽水の孤独を、単純に「天才だから孤独だった」と説明するのは適切ではないと思う。同じように、「日本社会が悪かったから陽水は孤独だった」と考えるのも単純すぎる。問題は両者の関係である。陽水のように精神が大きく飛躍する人間に対して、日本の同調性の強い文化がどのように作用したのか。
日本社会では、周囲と同じものを見て、同じように感じ、相手の気持ちを「察する」ことが重視される。それは共同体を維持するうえでは大きな力を持っている。しかしその反面、他人とはまったく違う精神世界を持つ人間にとっては、生きにくい社会にもなり得る。
陽水が感じていた孤独には、彼自身の民族的・文化的背景が深く関係していたのではないか。陽水の特異な精神と、日本文化の同調性。その二つが出会ったところに、陽水独特の孤独が生まれたのではないだろうか。だからこそ、その孤独は単なる寂しさではない。人間に囲まれていても消えない孤独である。
「愛してとまどう」という自己認識の成熟
そう考えてくると、『とまどうペリカン』の最後に置かれた「愛して」という言葉は非常に重要である。若いころには、自分を社会から孤立させるこの奇妙な精神が何なのか分からず、それを「怖さ」として感じていたのかもしれない。しかし、それから長い時間が過ぎた。
そして陽水は、自分を孤独にしてきたものこそ、自分に歌を書かせ、井上陽水という表現者を作ってきたものでもあると気づいたのではないだろうか。それは自分を苦しめる。しかし、それなしには自分ではない。排除することなどできない。だから愛する。しかし自分自身にも完全には理解できない。だから戸惑う。「愛して、とまどう。」この言葉には、若いころから孤独を歌い続けてきた井上陽水という人間の、一つの達観した自己認識が表れているように思えてならない。
もちろん、これは陽水自身が語った説明ではない。作品を時系列に並べて私が感じる、一つの仮説にすぎない。しかし、『傘がない』から約9年後の『とまどうペリカン』にいたる軌跡を並べて聴くと、そこには一人の人間が自分自身の孤独の正体(才能という名の業)を少しずつ理解し、引き受けていく物語がある。
ライオンは走り続ける。ペリカンはその後を追いながら戸惑っている。しかし、もうライオンを拒絶してはいない。愛しているのである。私はそこに、若い日の孤独を引き受けて生きてきた井上陽水という一人の人間の、成熟した美しい姿を見るのである。
あとがき
本論考の執筆にあたっては、AIアシスタントであるGeminiを広く利用した。筆者が提示した「初期3曲の孤独」から「『とまどうペリカン』における複眼的自己観察」へ至るという基本骨子に対し、Geminiは客観的な検証やロジックの補強を行った。特に、本曲を一般的な恋愛歌として捉えた場合に生じる矛盾となるフレーズの解説においては、AIとの協働が有効に機能した。
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