米国の国際政治経済における原則は、自由&機会均等そして民主主義と反テロリズムだろう。米国は、シリアのアサド政権は国民を虐殺し弾圧しているため懲罰の対象であり、それを支持するロシアも悪であるとしている。その決めつけは、エジプトやタイなど発展途上国の情況(注1)を見れば、一見幼稚な態度に見える(注2)。米国は戦略的な国であるから、この単純な思考の図式は、従って、一般(愚民)向けのものだろう。
一方、TPP交渉が山場にきており、日本に大幅な譲歩が”強制”されるかもしれない。こちらも、例外なき関税撤廃(自由&機会均等)やISD条項(法&正義)という同じ論理で、環太平洋経済の米国の論理による支配の企みような気がして来た。つまり、表向きの単純な言葉の裏には、米国の利益追求という目的が強固に存在すると考えるべきだろう。世界は、EUとかTPPで静かにブロック化が進んでいるのかも知れない。そして、それはグローバル化の前段階なのか、それとも(経済)戦争の前段階なのか判らない。
政治評論家の田中宇さんや副島隆彦さんらは、米国の本質を裏側に存在する産軍共同体の企みで解釈している様に私思う。自由と機会均等や民主主義と反テロリズム(注3)などの言葉で表の政策を企画し、実際にはイランやアフガンを攻撃して軍需産業を維持繁栄させている。その考え方では南沙諸島や尖閣諸島の紛争も東アジアを分断するために、第二次大戦後installされたものと言うことになる。実際、中国の横暴に備えて軍備増強するフィリピンなどに軍備用品を販売しているようである(モーニングサテライト2/17)。TPPのISD条項もその図式で考えれば、何でも裁判で解決する米国にとっては、一般に有利である。例えば日本企業の活動を日本以外で(裁判の)まな板の上に載せ、強者の論理で裁くことが出来、日本企業にとっては相当恐ろしい存在に見える。米国の本当の権力中枢、つまりこのような企画をする方々にとっては、日本国は愚民の延長上の存在だと思う。そして、上記”自由と機会均等や民主主義と反テロリズム”という善悪の物差は、彼らの目的を果たすための武器ということになる。つまり、イエズス会が植民地政策の前衛隊としての役割をしたという歴史をコピーして、”神の救い”を”自由と機会均等&民主主義と反テロリズム”に変換した政策かもしれない。
注釈:
1)エジプトではムバラク政権を倒して、民主国家が出来ると考えたのは単純だった。また、タイでは現政権と”選挙をすれば現政権が勝つだけだから、選挙に反対だ”という勢力との抗争が起こっている。民主主義といっても、所詮豊かな国の”カッコつけ”のようなもので、幻想的理想政治だと思う。
2)アサド政権が反乱を企てた民衆を非人道的な方法で鎮圧しているのは、非常に悲しむべき事態だと思う。しかし、それを現代の豊かな大国の論理で介入して良いものだろうか。もし、アサド政権を潰す様に介入した場合、更に多数の死者がでる可能性が高いと思う。混乱は国内で収拾することがもっとも基本的であり、現在政権を執っている側が出来るだけ被害を少なくするように混乱を沈静化することだと思う。大国の代理戦争の犠牲になって苦しんだ国民が、アジアにあったことを忘れてはならないと思う。
3)テロに訴えるしか方法の無い国民は世界に多い。例えば、ウイグルやカザフスタンなど。政治的には弱者を押さえつけて、民族民衆レベル(国家レベルでなく)の反抗はテロとして押さえつける、つまり、反テロリズムと言えば正義のように聞こえるが、所詮強者の論理である。
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