日本語は、論理を含めた情報伝達の手段として出来がわるい。 論理展開に向かない言語を持つことと、感性や感情を優先する文化は同根である。為政者間及び為政者と選挙民との間の(論理に基づいた)議論は、近代民主主義の必須要件であるため、この問題は深刻である。少なくとも、そのような言語環境に居ることを自覚することが、例えば、先の戦争の時の様な政治的な混乱を防ぐためには大切であると思う。今回、日本語の出来が悪いのは何故か?について、新たにヒントを得たのですこし書く。
日本語は世界のどの言語とも繋がりのない言語である。内外の学者が類縁語を探したが、見つからなかった。(注1)日本にもっとも地理的に近い韓国の言葉も、語順は似ているが、類縁関係にないとのことである。日本民族は、言語の骨格が出来上がる時期を含めて長期間孤立していたのだろう。(注2)日本語が完成度の低い状態にあるのは、漢字の輸入が原因であるという説がある。それは、「漢字と日本人」(文言春秋)の著者である高島俊男氏の主張である。高島氏の解説では、未発達な状態にあった日本語に、大きな体系をもつ漢語(漢民族の言葉、中国語)を部分的に(つまり漢字を)移入したために、日本語の発達が止まってしまったというのである(上記新書24頁)。
言語の発生と進化を記した文献がみつからなかった ので何とも言えないが、おそらく、言語の自然で軽微な変化或いは他言語を取り入れた形での改良はありえても、進化、つまり最終的に骨格まで換わる様な連続した変化は余程の事が無い限りおこらないと思う。おそらく言語の発生及び進化は、例えば、民族の生存を賭けた様な極限情況や、奇跡的な宗教体験と知的凝集の結果として非連続的に起こり、後世からそのプロセスを推察することは不可能なのではないだろうか。従って、漢字を輸入したことで言語の進化が停止するような大きなデメリットはなく(下に書く様な不便はあるものの)、表現の幅がひろがったメリットの方が圧倒的に大きいと思う。
兎に角、漢語の輸入により多くの新しい概念を組み入れ、且つ、漢字の一部をとってカタカナを、草書的な表現から仮名を発明して、日本語は文字を持たない言語から三種類の文字をもつ言語に進歩した。明治以降、“国民国家”(注3)として新しく日本国を建国する際、国語として日本語も整備した。その際、多くの西欧的概念を二字熟語として加え語彙を増やしたが、その結果、多くの同音異義語が出来た。(注4)そして、日常会話において、前後の文脈から多くの同音異義語から一つを選択するという神業的な作業を行なわなければならなくなったのである。
日本語では同音の漢字が多いので不便だが、漢語においては漢字は、一語一音節一字であり、不便はあまりないらしい。実際に漢語に用意された音節の数は、1500程度あり(注5)、日本語の100程度より遥かに多い。(同上書33頁)また、英語では3000音節程度あるとのことであり、音節数の比較だけでも言語としての完成度の差は歴然である。(注6)
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漢字が日本語にとって重要になればなるほど、それを抱き込んだ日本語はキメラ的な言語に変化して来た。そこで、漢字を追放しようという運動もあったが、それは不可能なことである。もしそれを行なえば、日本語の利用価値はなくなり、命が無くなるのである。(同上書、第四章)我々日本人は、キメラ的であろうと、日本語を用いて生きて行くしか無い。今後、我々が他に取り得る道があるとすれは、日本語の根本的改良よりも、例えば英語と日本語のバイリンガルになることではないだろうか。
例えば自然科学系では、論文は英語で書く。その際、日本語の原稿を用意して、それを翻訳するという方法では、上手く論文が書けないことが多い。下手な英語でも、最初から英語で書いて改良していく方が、最終的には短い時間で投稿できるのである。バイリンガルは部分的には進んでいるのだ。
注釈:
1)チベット系のレプチャ語、ビルマ語、インド南部のタミール語などとの類似が研究された。しかし、同根説は成立しなかった。
2)大陸から帰化した人は大和朝廷が出来たときからかなりいたと言うことである(歴史とは何か、岡田英弘著)。従って、孤立といっても文化が変化しないレベルのものである。
3)二月三日のブログ参照(岡田英弘著、歴史とは何か、文芸春秋)
4)「せいし」とワープロで打つと、正史、静止、精子、生死、制止、製紙、正視、姓氏など多くの漢字表現が表れる。同音異義語が多く出来たのは、西欧語を漢字を用いて熟語にする際、漢字の元々の意味を利用したためである。それらのうち、かなりの二字熟語は中国に逆輸入されたが、中国語では漢字は一語一音節一字なので同音異義語にはならない。また、江戸時代までに出来た熟語は漢字の意味を重視せずに作られたため、同音異義語が少ない。
5)四声と言われる調子が異なる発音を異なる音節とする。
6)この音節数の違いが、日本人が英語を習得する上で大きな障害になる。特に英語の聞き取りが困難な理由だろうと思う。つまり、日本人は通常strengthという単語を、ストレングスという5音節の発音で習得する。本当は、strengthは一音節であるという。つまり、一音節で発音する単語を5音節で習っていては、英語を話し聞くことが出来る訳が無い。日本の英語教育の間違いを、この音節に言及して議論したことは無いのでは?
<日本語の出来が悪いという文章を書いた筈だったが、その文章の出来が極めて悪いので、悪質なジョークの様な記事でした。そこで、本日手を入れました。(2015/6/1)>
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