自由と平等は民主主義の根幹となる概念である。しかし、結果としての平等を目指す政策は、社会主義の領域である。つまり、平等の原則は制度によって持ち込まれるべきであり、数値目標を立てて行うべきではない。安倍内閣は、数値目標を安易に掲げて、それに向かって社会を押し込むという愚かなことをしすぎると思う。
今朝の読売新聞によると、2020年頃までに女性の管理職比率を30%程度までに引き上げるという目標を掲げて、企業に圧力をかけているらしい。管理職にふさわしい女性がいれば、つまり彼女が管理職につくことで会社の業績向上が見込めるのなら、会社は当然彼女を管理職にするはずだ。ふさわしくない女性を管理職に無理やり昇格させて、会社の経営にマイナスになればそんな”平等”など意味がない。時の政権から臨時の見返りで会社自体は当面マイナスにならないとしても、その見返り分は国家全体としてのマイナスになる。そんな簡単な理屈がわからんのか?
数値を出せば、それに縛られてしまう。それが物価上昇率目標年2%の呪縛に囚われた、現在の日銀の姿だと思う。安倍政権の所謂アベノミクスの第一の矢は金融政策であった。それが、株価を底値から引き上げる役割をしたように見えた。しかしそれも経済に詳しい人には、上昇するフェーズに日銀の量的緩和が重なっただけで、つまり、株価上昇などの成果は単に平均回帰にすぎないという意見が多い(補足1)。金融で経済の舵取りができると考えるのは間違いであると口を揃えて言っている。
通貨は、本来物と物との交換の仲立ちをする脇役である。それに主役のような役割を期待するのはそもそも間違っていると思う。つまり、通貨にそれ以上の需要がないことが、金利がゼロ付近に張り付いていることでわかっているにもかかわらず、過剰な量的緩和を行うのはどう考えてもおかしい。
資本の移動が自由であり、関税がゼロに近く、更に輸送コストが低下した場合、低賃金でエネルギーや不動産などのコストの低い国に製造業が流れ、その結果価格が下落するのは当然である。それを補うには、新規産業や高付加価値産業の創出、それに国内外を移動できないサービス業や小売などの充実などしか方法はない。それは各企業が、組織をあげて努力するしかない。その組織の構成に注文をつけるのは、大衆への目くらましなのだろうが、愚かなことである。
アメリカは次期大統領の時代には、その程度はわからないが孤立主義の方向に動くだろう。政府は、その対策を考える方が大切ではないのか。
補足:
1)北野一、「日銀はいつからスーパーマンになったのか」、講談社2014
つまり、平均回帰への引き金になったということで、その効果は4ヶ月ほどで終わったと書かれている。
私的解釈をすれば:化学反応で言えば、金融政策は触媒的機能を果たすだけであり、触媒は反応速度を上げることはできても、化学変化の方向まで変えることはできない。
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