1)最近急にテレビに現れ、いわゆる右派傾向を強めつつある日本人の好みに合った発言している、ケント・ギルバート氏に違和感を感じる。以下の“ポツダム宣言は「無条件降伏」ではない 日本政府は条件付きで降伏した”と題するケント氏の記事も、その違和感を増幅するものである。http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20150530/dms1505301000005-n1.htm
ケント氏は以下のように書いている。“ポツダム宣言」の英文と日本語現代語訳を、久しぶりに読んでみた。申し訳ないが、数カ所で笑ってしまった。例えば、第10条の後半だ。「言論、宗教及び思想の自由並びに基本的人権の尊重は確立されるべきである」とある。終戦後、徹底した検閲を通じて日本のマスコミを管理し、虚偽の報道で日本人に贖罪(しょくざい)意識を植え付けた側が、宣言では日本政府に“言論の自由を確立しろ”と命じているのだ。”
しかしである。言論の自由といっても、現在でも一定の枠がある。ポツダム宣言の第10項には、「民主主義的傾向の再生と強化に対する全ての障害を取り除かなければならない」と書かれている。また、第6、7項に、“世界征服に乗り出す勢力の影響がなくなったと確認されるまで、占領する”とある。従って連合国の視点にたてば、言論統制は軍国主義の復活を防止するという趣旨で行ったという言い訳が可能であり、ケント氏のいうように笑ってしまうことではない。
更に、ケント氏は“第5条は『Followingare our terms』で始まる。「我々の条件を以下に示す」という意味だ。日本政府は条件付きで降伏したのである”と書き、「軍国主義の追放」「領土占領」「日本領土は本州、北海道、九州、四国と諸小島」「戦争犯罪人の処罰」「民主主義復活」「平和的政府の樹立」という約束項目を紹介している。Termsは項目であり、条件(condition)と訳すのには少し違和感がある。
それらは、机の両側に座って、出し合った条件とは意味がことなる。例えば、溺れかかっている人がいるとする。これら項目は、「1。浮き輪があるが1000円だ。2。使用後は100円で買い戻してやる。3。買うか買わないかはそちらの自由だ」とその人に言う場合の3項目に近い。「おれは溺れてなんかいない」と言えるのか。当時の日本は、そのような状況にはなかったと思う。
“無条件降伏の要求はこの後の第13条、「全日本軍」に対するものだ”もおかしい。補足2に示した原文と訳にあるように、第13項は、日本政府に対して全日本軍の無条件降伏を要求している。従って、ケント氏の言う“全日本軍に対するものだ”は正しくない。
実力行使できるのは、人間であれば手足であり、国家にとっては軍隊である。項目13は、手足を完全且つ無条件に封鎖しろと、日本政府に要求しているのである。日本のマスコミなどでよく出る、「日本は無条件で降伏したわけではない」というセリフには注意すべきである。
2)ポツダム宣言は、連合国側により停戦勧告として1945年7月26日に出され、それに同意することが日本から連合国側に8月14日通知された(補足3)。この文書を日本の全国民は読むべきだと思う。読めばその当時日本の置かれていた状況などが良くわかる。
つまり、生殺与奪を決定する側に連合国があり、日本は俎の鯉の状態であったのだ。そして、ポツダム宣言の本質的な意味は:「戦争が一部の軍国主義者によって計画実行されたのであり、その他の国民はその意志を共有していない」という理解を共有することを条件(補足4)に、連合国側が停戦を提案したということである。それを受諾した事は、日本には大東亜共栄圏建設に賛成した人は多いだろうが、この時点ではそれにこだわるのは賢明でないと判断したのだ。上記、「軍国主義の追放」「領土占領」などは停戦後の状態を記したものであり、停戦の条件は上記下線部である。
その時の日本の置かれた状況とポツダム宣言の文章に関して、一定の理解をしてから敗戦後のことに言及すべきだと思う。そして、大きな声で「日本は無条件で降伏したわけではない」と言う人の意見には、注意すべきであると思う。右にも左にも反日分子は居るからである。
国家と国家の関係は、未だに野生のルールの支配する領域にあるといえる。国際条約といっても、国家権力の下にある法律と契約との関係とは質的に全く異なることを理解すべきだと思う。
追加:
無条件降伏かどうかは、普通”天皇制の護持”に関して言及される。この点については、日本は無条件降伏したのだ。そのプロセスを以下に書くと、ポツダム宣言に対して、「天皇の国家統治の大権を変更するの要求を包含し居らざることの了解の下に、帝国政府は右宣言を受諾す」という8月10日付の連合国側への回答した。しかし、これに対して米国から「降伏の瞬間から、天皇と日本政府の国家統治の権限は連合国最高司令官に従属する」という回答が12日に東京に着いた。従属するという文章に議論が起こるが、天皇は14日の御前会議で宣言の受諾を確認された。内閣書記官長の書いた終戦の詔勅には、国体の護持に成功して降伏するとの一節が入っていた。しかし、皇室の安泰について、米国政府は何の約束もしていなかった。(片岡鉄哉著、「日本永久占領」より引用)
補足:
1)10. We do not intend that the Japanese shall be enslaved as a race or destroyed as a nation, but stern justice shall be meted out to all war criminals, including those who have visited cruelties upon our prisoners. The Japanese Government shall remove all obstacles to the revival and strengthening of democratic tendencies among the Japanese people. Freedom of speech, of religion, and of thought, as well as respect for the fundamental human rights shall be established.
(直訳)第10項:我々は日本人の奴隷化や民族の殲滅を意図しない。しかし、我々の囚われ人に対して虐待に至った者を含めて、全ての戦争犯罪人に対する厳正な正義が行われるべきである。日本政府は日本国民の間での民主主義的傾向の再生と強化に対する全ての障害を取り除かなければならない。基本的人権の尊厳視に加えて、言論、宗教、思想の自由が確立されなければならない。(意訳はウィキペディアにある。原文に対する誤解を防ぐ意味で直訳を行った)
2)13. Wecall upon the government of Japan to proclaim now the unconditional surrenderof all Japanese armed forces, and to provide proper and adequate assurances oftheir good faith in such action. The alternative for Japan is prompt and utterdestruction.
(直訳)我々は日本政府にたいして日本全軍の無条件降伏を宣言すること、そして彼らが心からそのように行動するという正確且つ十分な保証を差し出すことを要求する。日本のそれ以外の選択は、直ち且つ完全な破壊である。
3)ソ連が参加したのは8月の8日である。尚、ポツダム宣言受諾は1945年8月14日、スウェーデンとスイスの在外公使館経由で連合国側に通知された。ウィキペディアによると8月14日にトルーマンが全米に発表しているので、その日の内に届いている。日本では8月15日に天皇から全国民にラジオ放送により公表された。
4)条件と言っても、”その条件を飲めば停戦してあげる”という条件なのだ。
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