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人類史の本流は中華秩序なのか、それとも西欧型秩序なのか

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2022年12月6日火曜日

フラットな社会に安定国家は成立しない:多構造社会の必要性について

 
1)貴族は絶滅危惧種

 

現在の社会はフラットであると言われる。総理大臣も一介のサラリーマンも社会的には差はない様に見える。言葉も同じであり、趣味も何もかも大してかわらない。その傾向は今や世界でみられ、大統領の言葉と下町の言葉に大差ない時代のようだ。 

 

あるテレビ番組で、生まれながらの左翼と思われるある年配女性(YT)が、「天皇ってかわいそうだよね」と発言した。人権も自由もないという類のことをその理由として喋っていた。しかし、それは低俗な人間の天皇評価である。

 

その女性は、天皇のことを全く何も知らないし、ましてや天皇の仕事など死んでもできない癖に、あのような発言をしたのである。彼女は幼い思想(つまり世界史で活躍する邪悪な左翼思想ではない)に支配されているのであり、「理想的な国家」の視点からも完全に間違っている。

 

日本で天皇は特別な存在であり、その世界は我々庶民の世界とは最初から違うのである。ただ、YTのような考えが皇室周辺まで浸透しつつあるのが現実である。現在既に、日本の皇室は存続の危機にある。(補足1

 

西洋にはnoblesse obligeという言葉がある。このフランス語は、「高貴さは(XXを)強制する」と訳される。上記のYTの発言は、特別に高貴な方が自身に課される義務を「人権も自由もない状態」と感じる貧しい心が生んだのである。

 

自分の思考における貧困さがもたらした発言であることに気付かないのは、その女性が完全に左翼平民信仰に洗脳されているからである。その思想は、現在(2022年)の米国の支配層から、そしてスイスの田舎町から世界に発信されている。(補足2) 

 

そして現在、その“noblesse oblige”(高貴な者の義務、貴族の義務)を感じる人が、日本にも世界にも殆ど居なくなった。貴族は、人間世界の絶滅危惧種であり、現在の生存者は各国の皇室や王室の人達の一部を含め極少数だろう。

 

貴族は通常金持ちではあるが、金持ちであることは貴族であることを意味しない。金銭に支配されないという点で、経済的に豊かなことは貴族であることの必要条件である。“貴族階層”の中の貴族は、有史以来各種の俗な欲望以外を(も)考え追求してきた人たちである。

 

その階層は、貧困層が混沌の中に停滞している中で独特の文化を形成し、その中から近代文明が生まれた。 

 

しかし、現在の金持ちの殆ど全ては、俗世界の経済活動にむしろ積極的であり、金に支配されている。それは、現代の日本では、そして多分世界でも、単一の階層からなるフラットな社会が広がり、貴族と貴族文化が滅びようとしているからではないだろうか。(補足3) 

 

10数年前、新興金持ちの村上世彰氏が、「金儲けは悪いことですか」と喋ったテレビの画面が今でも目に浮かぶ。村上氏や同世代の堀江貴文氏(それぞれ当時の)は、貴族性が全く無くなった心の貧しい大金持ちの典型であった。 https://bunshun.jp/articles/-/11491?page=3

 

現在の金持ち達もその延長上にある。貴族階級を形成せずに巨大化し、世界の文化も何もかも破壊する最前線を担うことになっているように思える。そして、近代科学技術文明に相応しい、調和的な新しい社会を構築する処方箋を人類は未だみつけることが出来ていない。

 

米国には西欧に伝統的な貴族性を装う人達がかなりいるが、彼らとて貴族にはほど遠い。かれらは、自分達と異なる意見を持つ人の命と虫の命に差を感じない人達である。(補足4)


 

2)原点から考える

 

太古の昔、「ヒト」は野生の動物であった。そこから社会を造って生きる「人間」となった。習得する知識や技術の向上に伴って、社会は拡大・複雑化し、現在では巨大化し、国家と呼ばれる様になった。そのプロセスのシミュレーションは、社会の今後を考える上で参考になるだろう。 

 

ヒトが人間になるまでに得た最も偉大で本質的なものは、言葉である。(補足5)その言葉は、社会構造の複雑化(発展)に伴って、より複雑(高度)になっていく。つまり、社会と言語が密接に関連しながら発展し、そこで生きた人達の考えや伝統が文化と呼ばれる。

 

大きな社会は、様々な機能を分業でこなす必要があり、自ずと構造が出来る。構造のない社会は、少しの外的圧力と内的混乱で破壊される。例えば防衛専門の組織を持たなければ、近代化して敵軍に簡単に敗れ、その社会の全てを奪われるだろう。

 

生き残った社会は、自然と防衛軍を構造の一部として持つ。その他の様々な組織が効率よく機能するには、その運営方針の指示、各組織間の調整、などを受け持つ上部組織が必要である。社会全体の効率は、上部執行組織を含め、各専門の高い能力に依存する。

 

上部組織の業務は、各専門組織からの情報の分析と各組織間の調整など、かなり高度且つ複雑である。その結果、個人の人間の能力と社会全体がこなすべき仕事が要求する能力は社会の巨大化に伴って、大きく乖離してしまう。

 

それを埋め合わせるのが専門教育だが、そのカリキュラムを考えるだけでは、現状でも必要な人材の補給は無理である。それは一つの専門組織である政界を見ればわかる。現在補給されている人材は極めて劣悪である。

 

この30年ほどの日本の低迷は、人材起用や候補の人材そのもの、組織間の連携や組織内外での情報交換などが劣悪なことが原因だろう。今回の文章では、人材そのものに問題があるという視点で考察している。

 

人材そのものとは、専門教育以前の教育、人格形成から専門化が必要なのではないかと言う考えである。

 

例えば、芸能人に二世や三世が多いのは、頭角を表すのには所謂コネが必要かもしれないが、それと同時に芸能の才能は幼少期の人格形成の段階から磨く必要がある様だ。それは、政界、スポーツ界、医者や学者の世界でも同じではないのか?

 

つまり、本文章は「複雑で大きな国家というレベルの社会は、多重構造を伴うのだが、各構造毎の人材育成には、その構造毎に社会の形成が必要ではないのか?」という問題提言である。

 

政界の人材が劣悪なのは、政界での権力獲得と維持において、所謂俗界のリアルタイムでの支持が必須であるという民主主義を採用しているからではないのか。明治の頃の政治に活力があったのは、武士社会という部分社会が貴族階級という階層(つまり部分社会)を形成していたからではないのか?


 

3)江戸時代の階級社会

 

江戸時代迄の日本には、武士の社会には武士の言葉があり武士の文化があった。また、農民には農民の言葉があり、農民の文化があっただろう。勿論、互いに用事があれば話をするわけだから、言葉の構造や用法は殆ど共通だっただろう。

 

それらの部分社会の地位に自然と上下ができるが、それを階層と呼ぶことができる。階層は情報の流れる方向を意味する。その流れを作るのが権力であり、そのポテンシャルは階層に存在する権威の高低差である。(補足6)

 

例えば、武士の文化(武士道はその道徳に関する部分)は、国を守り統治するという武士(或いは武士社会という部分社会)の機能に適合している。国を守ることが、全ての民の生存に必須なので、上の階層(貴族社会)から武士階級に高い権威とそれに基づく権力が与えられた。そして、士農工商、それぞれの文化は、社会を分業して担うのに重要な役割を果たしただろう。

 

それぞれの階層で身につけた知識や価値観、つまり、武士階級で言えば戦士としての勇気や、対面した相手に対する端正さなどを、身に纏う服の様に考えがちである。しかし、その武士としての性質はその部分社会で幼少期に作られ、着替え不可能である。(補足7)

 

また、人間社会で育たなかった野生のヒト、例えば狼の群れの中で育ったヒトは、人間社会の基本を身につけることは最早不可能であり、いかに学習を重ねても服を着る様には人間にはなれない。例えば: http://karapaia.com/archives/52147667.html

 

上記の事実が示す重要なことは、「誕生間もないヒトは高度に可塑的な粘土のようなものであり、それを人或いは人間に成型するのは、社会の文化でありそれを身につけている両親や周囲の人達である」ということである。もし、適当な時期に相応しい形に成型されなければ、その社会で生きる人間にはなれない。


 

終わりに:

 

現在の日本は、国家を堅牢にする部分構造(社会)を持たない均一社会である。一方、米国を始め世界の国々は、潮流としては同じだが、未だに伝統的に貴族社会を持つ。社会が構造を持つということは、価値観も複数存在し、ある部分社会が受け持つ場面ではその価値感が表に現われる。

 

一方、日本は庶民一般の価値観が日本全体を覆っている。そして、戦争反対、核兵器反対、原発反対、環境破壊反対などが国是となっている。仮にルトワックが「戦争にもチャンスを与えよ」と言っても、「何を馬鹿な」で片づける。

 

そして、異なる文化圏では、価値観が異なり、厳密な意味で言葉が通じないことも理解できない。日本人は、諸外国も日本と同じように考える筈だと信じて疑わない。(補足8)

 

また、自国の歴史も正しく理解できない。何故なら、過去の歴史上の出来事を現在の言葉や感覚で理解することには、本質的な壁が存在することも理解できないからである。

 

ワールドカップサッカーで日本人サポーターのゴミ拾いが話題になった。最近その行為に好意的な文章を書いた。しかし、異なる文化圏ではあの行為は批判されることもあるという考えを心のどこかに持たない人は、馬鹿である。また、その様に批判した人を馬鹿にしたり忌避することはその上塗り行為である。

https://diamond.jp/articles/-/31373

https://www.sanspo.com/article/20221125-P3XO5F26MJFHTNA5IAJSKPEEEQ/?outputType=theme_qatar2022


 

補足:

 

1)秋篠宮家の親王、内親王の方々が、皇族であることを嫌がっておられると何かで読んだ。それは、恐らく幼少からの秋篠宮紀子妃からの平民教育が原因だと思う。その感情が本当なら、男系であるべき皇室は既に壊れている。

 

2)人間の創った壮大な文明における“noblesse oblige”を考えた時、obligeは下層或いは大多数からの視点での描写である。その義務という部分は、高貴な上層の言葉を用いれば、誇り高き世界における日常ということになる。上記YT氏の言葉は、例えば、「哲学者って可愛そうね。一生頭を使って苦しんでいる。」と言う粗野な人の発言と似ている。その“強制”が高貴な身分と同居することを知らず、下層の言葉で不自由として抽出したのに気がついていないのである。それは、下層と上層の間での、無益な言葉のやり取りである。その下層の視点で壮大な文明社会を体系化したのが、左翼思想である。その視点は既にその思想の限界を示唆している。

 

3)高貴さは、全体として貧困を感じる社会の中でのみ安定に維持される。経済的豊かさを温度の上昇と考えれば、現在の情況が分かり易く説明できる。つまり、現在の社会は、多くの分子(人間)が結合して有機体(社会)をつくっていても、温度上昇により分子がバラバラになり構造が破壊された情況に近いのである。更に温度が上昇すれば、原子状態から素粒子状態にまでなる。それは、人間社会に話を戻せば、人間社会の崩壊から個人の価値観の崩壊にあたる。

 

4)20世紀からの殆ど全ての戦争の背後に、彼ら貴族性を持たない金持ちとそのネットワークがあったと思う。そして、彼らの主な基地は英国と米国であり、活動エリアはグローバルである。そして彼らはグローバリストと呼ばれるようになった。

 

5)通常、日本語で「もの」は、物か者である。“言葉は喋るときにつかうもの”という「もの」の使い方に自信がない。

 

6)階層という言葉は、社会のサブユニット間に情報と権力の方向があることを示す。階層的に分割された各部分には、その中で閉じた社会的活動が存在することを考慮し、各階層を夫々部分社会と呼ぶことが可能である。

 

7)江戸時代はある意味で人間社会の一つの完成形なのだろう。その後明治になって、西欧文化との不適合が発生した。そして日本帝国の軍の強さは、江戸時代の階層社会構造に由来するだろう。

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