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2023年6月11日日曜日

岸田政権の左翼政策:新しい資本主義

岸田政権の新しい資本主義とは、思想的には世界経済フォーラムの「株主資本主義から関与者資本主義へ変更すべき」の受け売りだろう。ただ、差し当たりの政策としては、単に補助金をバラまくことであり、新しいのは看板だけだろう。


人への投資、科学技術分野への重点投資、スタートアップの起業加速、脱炭素化という4つの柱からなるそうだ。人への投資の部分では、再就職支援金給付、男女賃金差の公表義務化などを行うと言うが、それらは単なるバラマキや全体主義的強制であり、自由主義経済を破壊する政策である。

日本経済の低迷の原因は日本文化にあり、簡単に対症療法的に解決可能な問題ではない。再就職支援金のばらまき等では解決しないと思う。男女の賃金差を中心に以下議論する。
 

男女の賃金差は、単に男女の地位の差が原因であり、その差が能力の差によるなら自由主義経済の下では全く問題ではない。会社が男性社会であることが原因だとすれば、その解消には家父長制的組織の修正が必要だが、それは後で再度議論する。

 

女性の給与が低いのは、女性が社会での能力をつける文化にないことが原因だと思う。(補足1)その辺りの詳細を先ず明らかにするべきである。現段階で、女性役員を30%にする目標を立てることなどの目標設定は根拠不足だと思う。国を益々貧しくするだけだろう。

これを含めて日本の労働文化に関する多くの問題は、①同一労働同一賃金の原則、②労働の流動性拡大の実現で解決する。それらの実現を妨げている原因は、能力に沿った採用や昇格が為されていないこと、そして給与が仕事に対して与えられるのではなく、“扶ち”である点などである。

扶ち”とは、主君から家臣への給付金であり、それを労働の対価に改めるには、日本に残る家父長制的&封建的な労使関係の解消が必要である。男女の給与差を強制的に無くさせる全体主義的行政では、企業の競争力を無くすだけである。

会社への就職が封建社会の出仕や奉公のような日本の労使文化の解消には、学校教育の段階から対応すべきだと思う。ただ、差し当たり入社式の廃止、一斉に行われる採用試験の廃止なども、意識改革には役立つだろう。


会社への就職を、自分の持っている技術や能力を提供し、その対価としての賃金を受け取る”ドライ”な関係に近づけることで、上記①と②は自動的に解決されるのだが、そのためには高校から大学院までの学校教育の段階で、即戦力に近い教育を完了する必要がある。
 

何故なら、企業に入社したのちに教育する場合、企業にはその教育投資の回収が必要となり、同一賃金同一給与の原則が適用しにくくなるからである。


 

2)教育改革

 

高等教育は、記憶型教育から思考(問題解決)型の教育に変える必要がある。学歴を美しく飾ることを目的にするような教育は不要である。高校以降の教育では、即戦力となる人材育成を行うべきで、教養を広げるための教育はその前期課程で終わるべきである。
 

暗記教育は、中学までの教育で終了すべきである。そして、「如何に良い条件で生き残るかという問題」(補足2)を主体的に考える場として、高校や大学を変える必要がある。そして、高校で各教科を学ぶ段階から、その必要性を感じて自分で選択できるような教育をすべきである。

 

大学で学んだ後、学び残した部分を感じたのなら、高校に再び戻ることもあるだろう。従って、履歴書には自分の持っている能力や哲学の概略を記すのみとし、学歴の記述を廃止すべきである。(補足3)習得技術の証明は、仕事ですべきである
 

現在活躍されている人たちの中には、そのように学ぶべき所を、適宜選んでいる人も多い。前回記事で紹介した河添恵子氏や深田萌絵氏の学歴を見ると、彼女らの能力の高さが一流の学歴によるのではなく、必要を感じて様々な場所で学んだ結果であることが分かる。(補足4)
 

日本には世界の一流企業も多いので、それら企業が大学を作りそこで最先端の技術教育を基礎から行うのもよいだろう。最先端で働いた人たちが、一定年齢に達したときにそこで教鞭をとるのである。そのため文科省は、大学等設置の権限を一部自由化すべきである。

 

そして、企業と大学等との交流を、教育の段階からオープンにすべきである。勿論、産官学の連携から、官は取り除くべき。古色蒼然とした大学や、単なる失業問題の解決のための国立研究所などは非効率である。政府は、独立国家と法治国家としてのインフラ整備だけがよいと思う。
 

今更言うべき言葉ではないかもしれないが、外国に学ぶべきことがあっても、全面的にその外国の文化を受け入れるべきではない。一億総中流が日本の捨てがたい特徴だと国民の大半が考えるのであれば、現状のまま、廃れていくのも選択肢に入るだろう。


 

3)岸田政権の新しい資本主義のダイアグラム


上のダイアグラムには、経済成長して資金に余裕をつくり、それを分配する。分配により需要が増加することで、次なる成長へと矢印が引かれている。その真ん中に、官民が連携して成長と分配の好循環を作るという鍵となる文言が書かれている。
 

こんな図で、何が言えるのか? 

 

成長のところに、中長期投資での成長などが書かれている。誰が何を目的に投資するのか? 投資は企業が利益を目論んでするものである。分配のところに「給与の引き上げ」と書かれている。誰が何の目的に給与を引き上げるのか? 企業が良質の人材を獲得するために給与を引き上げるのである。

 

これらの経済行為に官民の連携の入り込む余地は無い。国は、企業活動のインフラとしての法律整備を行うことが重要だが、金のばらまきは腐敗した政治へ進む初期症状であると思う。


 

最後に:
 

学校教育、特に高等学校や大学での教育は何のためにあるのかを、日本社会は再度考えなおすべきである。学校は、素材としての人間をつくるのではなく、オプション前の製品としての人材を作るまで受け持つべきである。

 

こせこせと青年時代から金儲けを勉強するのか?という指摘もあるだろう。しかし、自分が必要を感じて学んだ訳ではない知識の多くは、急激に頭から消え去るだろう。また、人生で遊ぶ時間は大学の4年間だけだという言葉をよく聞くが、それこそ貧しいの実態である。

入社式など日本には、人生を類型的にし社会を閉鎖的にする儀式が多すぎる。何故、入学式や卒業式が必要なのか? その理由が単なる履歴書を飾る意味とその達成感という自己満足のためだろう。卒業式の時だけ羽織袴で出席し、急に中世人に戻る姿は見苦しい。

重点的科学技術政策というのも、非効率且つ腐敗の温床のような政策である。TSMCの誘致については、前回ブログで議論した。創業や優良企業の育成として政府がやるべきは、そのような土壌をつくることであり、個別に金をばらまくことではない。


以上、頭に浮かぶままに何時もより強い調子で過激に書きました。

 

補足:

 

1)職場の花としての役割を女性に期待していたのは、高度成長期のことだったかもしれない。しかしその時代は、既に終わっている。現在は、仕事よりも家庭を重視する姿勢が女性の文化として残っており、社会に出る総数に男女差があることが見かけの給与差を作っているのだろう。その場合、対策をとるとすれば、託児所などの充実と扶養減税と扶養手当の国庫負担で対応すべきと考える。

それは少子化対策にもなる。あまり細分化して個別対策をするのは、行政の無駄であり、腐敗の温床となる。
 

2)自分及び家族が良い条件で生き残るためには、その国が独立を保ち、国際的に高い地位を保つことが必須である。目標を基本的なものに設定することで、人により非常に広い裾野で自分の将来を考えることになる。

 

3)大学は役立つ学問を教育すべきだと言う風に大学教育の目標を書くと、それでは最先端学問などの教育ができないではないか?という指摘をもらいそうである。しかし、多くの専門家は、必要な基礎学問を専門に進んでから学び直していると思う。大学の学部教育を完全にオープンにしておけば、その時の要請にこたえることが可能である。大学の取得単位の認定も、卒業証書も不要である。従って、履歴書から学歴を除き、自分の習得した分野について書くのみでよいと思う。就職に関して、人事担当の人は、学歴に惑わせられること無く、人材評価ができる。

 

) 極端な例が、チャイコフスキーコンクールで優勝したバイオリニストである諏訪内晶子氏の履歴に見られる。自分の演奏に欠けているのが、西欧文化に関する理解だろうと思い当たり、著名なアイザック・スターン氏からの助言もあって、コロンビア大学で政治哲学を学んだという。

 

(15:30 一部削除&全体の編集して最終稿)

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