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2024年4月17日水曜日

巣鴨プリズン跡で行われたパンデミック条約・IHR改悪に反対する集会

 

つい先日、池袋サンシャインビル隣の東池袋中央公園に「永久平和を願って」と書かれた「平和の碑」があることを知った。この公園は、東条英機以下の極東軍事裁判で戦犯とされた人たちが処刑された巣鴨プリズン跡に作られ、石碑はそのことを記念して建てられた。

 

この記念碑のことを知ったのは、あるブロガーのパンデミック条約・国際保健規則IHR改悪に反対する集会と池袋でのデモ行進を報じた記事に紹介されていたからである。https://ameblo.jp/docomo1923/entry-12848248070.html

国家主権を脅かす事態に抗議する集会が、国家主権を失った苦い経験を記念する公園で開かれたことになる。

 

「永久の平和を願って」という曖昧でお粗末な碑文と公園の片隅に追いやられた様な置き方から、日本国がこの瀕死の経験から”生還”したものの、何も学んでいないことを示している様に感じた。そして、その評価にピッタリの岸田首相と上川外相の日本国では、デモの効果は疑問であり参加者の心配事が現実になるだろうと思った。

 

この碑文について、ブログ投稿者に以下のようなコメントを書いた:

 

東京裁判のA級戦犯とされた人たちもここ(この石碑周辺)で処刑されたのでしょうか? そのような処刑場跡のモニュメントにしては非常に小さく控え目です。そのように作らなければならなかったのだろうか? また、「永久平和を願って」という文は、第三者的で、日本民族の誰かが建立したにしては不思議です。

 

これに対して、以下のような返答(主旨を変えず短縮)をもらった:

 

巣鴨プリズンを公園にする際に、管理する豊島区が碑を建てたとネットにあった。公園の隅の目立たないところに作られ、特別な案内板もないので、公園に来るほとんどの人はその碑の存在自体知らないようだ。特別な団体が建てたのではなく、豊島区として設置したので「第三者的」な文言になったのかもしれない。

 

つまり、国家はこの記念碑には関与しなかったということである。国はこの大切な経験から何かを学ぶことを拒否した、或いはその現場を国民からなるべく隠したかったとも考えられる。何方にしても日本の政府は愚かである。そしてその愚かさは、日本国民全ての責任である。

 

近代日本の建国は、日本国内部の歴史的経緯からではない(補足1)ので、国家としての纏まりもなく、国家主権なる言葉も単にお経の様に暗記されているだけでだろう。日本国には主権を国民の為に行使するという本来の国家の能力など無く、それがパンデミック条約とIHR改悪に無警戒な外相を生んだのだろう。(補足2,国家主権について)

 

2)巣鴨プリズン跡に作られた公園

 

元首相以下戦時の閣僚が当時の敵国に惨殺された現場に、同じ日本人がそれを記念し建立した碑であるにも拘わらず、その表の文章は第三者的且つ抑制的である。それが最初に感じた違和感であった。(補足3)

 

「永久平和を願って」と書かれているが、誰の為の平和で、どのような方法で誰が獲得するのかなど、何も書かれていない。その碑文には日本人の意思が表現されていない。

 

ネット検索すれば、この公園及び石碑についてのかなりの数の解説が見つかる。その一つの記事に、石碑裏に書かれた建立の趣旨が紹介されていた。https://tokyo-indepth.com/2022/04/05/ikebukuro-1/

 

第二次世界大戦後、東京市谷において極東国際軍事裁判所が課した刑及び他の連合国戦争犯罪法廷が課した一部の刑が、この地で執行された。戦争による悲劇を再びくりかえさないため、この地を前述の遺跡とし、この碑を建立する。昭和五十五年六月

 

そしてそのブログ記事には、この石碑について「見せたくない碑」との言及がある。日本国が自国の失敗をこの公園の訪問者になるべく見せたくないという解釈である。恐らくその通りだろう。見せたくないが建立しない訳にはいかないという中途半端な姿勢には、国家としての結束や統一性が感じられない。

 

3)巣鴨プリズン跡石碑が目立たなくした理由の推測

 

上に引用のtokyo-indepth.comのコラム記事に、この石碑を「見せたくない碑」と言及する部分があったと書いた。見せたくないのは、建立者が連合国に対して恐らく遠慮があったからだろう。その遠慮の根拠の一つに、日本国は東京裁判を受け入れることを条件に連合国と講和が出来たことがある。

 

このサンフランシスコ講和条約の第11条は以下のようになっている。

 

日本は、極東国際軍事裁判および国内外の連合国戦争犯罪裁判所の判決を受け入れ、それによって日本に投獄されている邦人に課せられた刑を執行する。 かかる受刑者に対する恩赦、減刑及び仮釈放の権限は、それぞれの場合に刑を課した政府の決定及び日本の勧告に基づく場合を除き、行使することができない。。。

https://treaties.un.org/doc/publication/unts/volume%20136/volume-136-i-1832-english.pdf

 

この巣鴨プリズンで絞首刑になった東条英機以下の当時の日本の指導者に対する裁判を、日本国は受け入れる約束をしているのである。現在、日本国がサンフランシスコ講和条約後の国際体制の下にある限り、その解釈を受け入れる義務がある。(補足3)

 

しかし、この戦争の経緯や意味を深く学ぶことは日本の国家主権の範囲内にある。日本が本当に講和条約のこの条文を受け入れているのなら、そして日本が主権を回復したのなら、あの戦争までの歴史を詳細に健闘し、そこから多くを学んで新しい日本の体制に活かすべきである。

 

仮にその戦争の経緯が連合国の悪だくみであっても、それを知ること及びしっかりと国民に知らせることは、国家主権の範囲内であり、サンフランシスコ講和条約11条は、それを禁止しているわけではない。

 

巣鴨プリズン跡をそのような場として国民に提供したくないのは、単に現在の日本国があの戦争をレビューしたくないからである。つまり、日本の政治勢力の中心は、第二次世界大戦で敗戦を経験しても明治維新の時に作られた大日本帝国のままだからだと考えられる。自分たちの失敗を国民に周知すれば、その地位が危うくなるのである。

 

そして、現在政府を牛耳る既得権益層の人たちが、二度目の敗戦プロセスに入る端緒として、パンデミック条約・国際保健規則IHR改悪があると思う。

 

終わりに:

 

パンデミック条約・国際保健規則IHR改悪は、グローバリストたちの世界帝国建設の一環で、保健行政に関する各国の主権を取り上げる企みである。それに反対する集会とデモ行進の趣旨を考えると、この公園で最近にない大規模な集会が行われた意味は、大きい。今後反芻され、大きな力を生む端緒となってほしい。

 

(19:00及び翌日早朝編集)

 

補足:

 

1)明治の日本帝国は、外圧の中で外国(英国)の影響下にあって、俄普請的につくられた国家であった。それまでの1000年間の歴史を無視して、英国の支援の下に天皇を国家の統治者とすることで短時間に創り上げた。そしてその実質的権力者として長州と薩摩の下級武士たちが座ることになった。現在も日本国の行政はその末裔が中心になって動いている。

 

2)国家主権とは、国家の構成要素のうち、近代的な領域国家における意思決定と秩序維持における最高で最終的な政治的権利をいう。具体的には、統治権( 国民および領土を統治する)、対外独立権(他国の支配に服さない)、政治的自己決定権(国家の政治的形態を決定する)三つからなる。

つまり、国家が国内最高の権力であり、外部の力にも従属しないことを意味する。西欧史的には、近代国家の成立に当たって、封建諸侯に分割されていた権力の国王への集中と、ローマ教会などの外部権力による干渉を排除するための理論として登場した。

 

3)「碑文なんて、そんなもんです」と言う人も多いだろう。感じ方は、あの戦争と東京裁判の異常性に対する感じ方によると思う。確かに「見ざる言わざる聞かざる」の日本なら、特別に不思議という程ではないだろう。その日本のままでは“日本民族”に未来はないと思うのが、”過剰”に反応する理由である。

 

4)サンフランシスコ講和条約第11条については、野田佳彦元首相による国会質問がある。https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/a164308.htm

この質問は、この条文と日本との関連を考える上で参考になると思う。

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