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人類史の本流は中華秩序なのか、それとも西欧型秩序なのか

1)米国が露呈させた中国共産党政権の真の姿と日本の課題   日本が抱えている最重要な課題は、コロナ問題や拉致問題等ではなく、表題の問に対して明確な答えと姿勢を持つことである。短期的な経済的利益に囚われないで、現在が世界の歴史の方向が決定される時なのかどうかを考えるべきである。...

2024年4月3日水曜日

「日本崩壊」の大元に日本文化があり、それを改質するには大学改革等文化の改質が必要

 

現在、日本の経済は低迷し、日本の政治は売国政策の中を進んでいる。この軌道から何とか日本再興の道を探したい。そう考えて本文章をかいた。間違いの指摘や批判を歓迎します。

 

1)歴史と問題点

 

明治以降の日本は、国の近代化において英米の助けもあってアジアの先頭を走った。しかし、政治は100年程前から崩壊の道を、経済は50年程前から低迷の道を、それぞれ進んでいる。

 

政治においては、米国大統領セオドア・ルーズベルトが日露戦争で日本に協力的だっただったが、その意図が読めなかったことが日本の政治崩壊の原点にあるだろう。日本はそれ以降米国の敵国となった。1945年の敗戦で日本の政治は崩壊し、その後米国の属国としての政治の中にある。

 

経済においては、米国金融資本が作り上げた自由貿易制度(ガットとその後のWTO)の中で、グローバル経済の恩恵を受けて発展した。バブル崩壊の1991年以降、労働生産性の向上や新規産業創生などに遅れを取り、賃金上昇を抑制することで生き残ってきたが、その後低迷の中を進んでいる。

 

それらの原因は何か? 政治面では、日本の政治家の質が低いからであり、経済面では会社経営陣の質が低いからである。その様な人材劣化は何故起こるのか? 夫々の分野で、大勢の人間の中から選抜し能力に優れた人物を高いポジションに座るというメカニズムが、日本に文化として定着していないからである。

 

日本の政治家には、家業として政治家になった人物が多いので、質が低くなるのは当然である。民主政治の下では意図的に厳しく能力主義を働かせなければ、能力に欠ける世襲候補者でも選挙地盤と知名度などで有利なため落選させられない。

 

日本の政治に新風を吹き込むには、取りあえず選挙制度の改革が必須である。立候補の壁を低くし、候補同士に議論させ能力を大衆の前に露見させることを法制化するのである。米国の大統領選挙等に学ぶべきである。これらの点については昨年4月の「岸田首相襲撃事件から学ぶべきこと:現行選挙制度は改正すべき」で書いた。https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12799561159.html

 

日本の会社経営者の質の向上には、会社の人間関係において風通しを良くすることだろう。そして、会社の共同体的性質を弱め機能体としての性質を強めるのである。同僚は協力者であるが競争者でもあるべき。その上で、適材適所の原則が働きやすくなるように、日本社会の労働流動性を高めるのである。

 

それら問題点の大元にあるのは、一言で言えば、日本文化と西欧型経済の不適合だろう。日本文化は感性を重視し総合的であり、西欧文化は理性を重視し分析的である。西欧経済システムは近代西欧文化の中で発展した。そのシステムを受け入れると決めたからには、西欧文化の本質を学ぶべき。それは感性と統合重視の文化の中には無く、理性と分析重視の文化が重要になると思う。(補足1)

 

その日本と欧米の溝を埋める働きをすべきなのが教育であり、大学等教育機関である。日本では西欧の学制に学んだのだが、教育の在り方は十分には学ばなかった。その責任は日本政府、特に文科省にあるというのが、スタンフォードのフーバー研究所で研究員を務めた西鋭夫氏である。

 

2)低レベルの日本の大学

 

日本の全ての分野でエリート層を養成する教育を実現すべきである。その中枢にあるのは差し当たり大学なのだが、それが全く出来が悪い。そう指摘するのが、ワシントン大学に学んだ西鋭夫教授である。(補足2)https://www.youtube.com/watch?v=b3Ky4g9wYZ8

 

 

西鋭夫氏は言う。日本にも天才は大勢生まれてきている。それが大成しないのは、日本の教育特に大学教育の質が低いからであると。大学教官の質が低く、プロの学者とは言えない人が多い上、学生の勉学意識が低いのである。日本の大学では、日本社会一般と同様、能力主義となっていないのだ。

 

学生は、一定の能力をつけたからではなく、4年という時間を経過したという理由で卒業している。西鋭夫氏の留学したワシントン大学を例にあげると、入学時に4000人いた学生の内卒業できるのは多くて2000人であると言う。卒業できない者は所謂落第であり、学校を変えるしかない。

 

つまり、ワシントン大学の卒業生と言うだけで、出身学科分野での一定の知識と能力が期待できるのである。そのような教育を施すには、教官の質が高く且つ学生の勉学意識が高くなくてはならない。日本の大学教授の質は低すぎるのであり、そのような教授には学生の勉学意識を搔き立てるような教育、そして査定には厳しい教育等できはしない。(補足3)

 

日本では、企業が採用する際学生に求めるのは素材としての質であり、現在持っている技能ではない。一方、米国で大学の卒業生を採用する場合、短期の研修を経て実戦力として期待できる。就職時に即戦力に近いことが、日本に欠けている労働の流動性を確保する第一歩である。

 

3)最近の日本の経済対策は麻薬のようなもの

 

日本の経済低迷の根本にあるのは、日本の文化であり慣習である。その根本的原因を考えないで、消費税を導入したのが経済低迷の根本原因である(それも一因だが)という類の考え方を主張する人たちがいる。景気回復には財政を拡大してマネーサプライ(要するに民間の金融資産)を高めれば良いのだと主張する、所謂リフレ派である。

 

マネーサプライを高める主役は、本来民間であり行政ではない。政府の金詰りや不況時には、一時的には財政出動もやむを得ないが、本来身の丈にあった財政規模を実現すべきである。その為には、省庁再編縮小や国会の定員削減など、やれることはいっぱいある。つまり産業においては労働生産性向上を目指し、行政においては効率的な行政を目指すべきである。

 

日本の経済は、1990年まで発展途上国に特有の低い賃金と通貨安などで利益を積み上げた。バブル崩壊は、その特権的立場の消滅で始まった。バブル崩壊前は、通貨の価値の上昇に伴って株価(景況感)も上昇するという相関があった。つまり、欧米に比べて日本の安い労働力による高い労働生産性が、日本製品の高い国際競争力となり、円高を招いた。その後は、賃金上昇による労働生産性低下が、製品の国際競争力低下の原因となり、経済成長にブレーキを掛けた。

 

この円高不況からの脱出を円安誘導(つまり積極財政)で何とか実現させたのがアベノミクスである。本来は、日本の企業文化の改質とそれによる労働生産性の向上を、企業の生き残り戦略の中に誘起させるのが政治の役割だったが、30年間それが出来なかった。日本の政治は、その必要性にすら気づかなかったのではないだろうか。

 

日銀が先頭にたって円安誘導するという異次元の政策(アベノミクス)と、途上国からの安価な労働力の輸入で、一応景況感を回復させた。それらはスポーツにおける禁止薬剤服用のような対策である。もっと真剣に本質的改革を考えるべきであったが、リフレ派と政治家の結託で、そうはならなかった。

終わりに:

 

日本の没落の背景に日本文化がある。それは政治でも経済でも言えることである。近代を引っ張ったのは西欧の哲学であり技術であった。それらは西欧文化に育った大樹である。日本は、日本文化の良い面を温存しながら、西欧文化を哲学から学び現実の政治と経済に応用しなければならなかったのである。

 

西欧では、公の空間を法と正義を骨組みにつくった。つまり、理性で公空間を作り上げた。しかし日本はそれを、正義もあるだろうが思いやりと自重の精神などで作り上げた。つまり、感性で公空間を作り上げた。それを金銭取引で優れた能力の人たちが、人の欲望に訴えて破壊を始めたのが現代の世界である。勿論、彼らには優れた知性がある。これら、理性、感性、知性が総合されるような世界が来ないだろうかと思う。

 

 

補足

 

1)感性と総合的視点も大事である。国民の福祉を犠牲にしてまで経済が上昇しても仕方がない。米国の現状がそれを教えている。

 

2)この動画で引用するのは最初の5分程です。後半については、異論もありますので積極的には引用しません。なお、西鋭夫氏は関西学院大学文学部を卒業後にワシントン大学大学院に学んでいる。ワシントン大学は米国シアトルにある名門大学であり、所謂アイビーリーグと同じ程度に評価の高い大学である。大学の質の目安になる世界大学ランキングでもベスト100大学の中に入っている。https://school.js88.com/scl_dai/daigakujyuken/world_university_rankings/digest

 

3)6年前にこの問題を考えてブログにしている。その補足4を次節に再録する。日本の大学生に強い勉学への意識が欠落していることを謳った歌に、ちょっと古い世代だがデカンショ節をもじった寮歌がある。哲学=デカルト・カント・ショーペンハウエルの思想を勉強することという極めて浅い考え方が謳われている。https://ameblo.jp/polymorph86/theme-10112533148.html

 

デカンショ節は民謡(丹波篠山デカンショ節)から、第一高等学校(後の東大)に始まり、全国の学生歌となったようだ。デカンショは、デカルト、カント、ショウペンハウエルを短縮したもので、半年三人の哲学者について勉強すれば、あとの半年は寝て暮らすという内容。要するに、名門大学に入学しただけで、あとは遊んで暮らして卒業を待つという大学生の生活を自嘲気味に歌ったのだろう。それが学生に受けた理由は、理想の学生生活ではないが、その後の人生において学生生活での勉学があまり意味を持たないということだろう。それは、大学で修得した学問など誰も評価しないことを意味する。その当時から、あの敗戦までの日本の歴史は決まって居ただろう。

 

(18:45 編集)

 

 

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