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人類史の本流は中華秩序なのか、それとも西欧型秩序なのか

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2024年9月8日日曜日

低迷日本の支配層と蔓延る既得権益

 

日本低迷の原因は、至る所に既得権益が真菌やカビのように蔓延り、活力を奪っていることである。政治においては、劣悪な人物が既得権益で政治家となり、内政においては既得権益病を蔓延らせ、外交においては諸外国に軽視され利用され続けて、現在まで国益を大きく棄損し続けた。そして世界大戦の可能性の中で、国家の存続を維持することができるかどうか危うくなっている。

何故そのようなことになるのだろうかと考えると、何時もいびつな明治以降の歴史にぶつかる。しかも、その歴史は現在までの日本政府によってひた隠しにされていて、マスコミも大学などの研究機関も決して触れない。日本は、影の部分では恐ろしく統制された国家である。そんな中で、徐々に民間や海外在住の日本人により、明治以降の日本に関する情報がインターネットに流されるようになってきた。真実は本来あるべき場所には無かったのだ。https://www.youtube.com/watch?v=BJpmBPm37Vg

 

 

 

明治以降の政治経済における中心的勢力は、独自にその地位に就いたのではなく、大英帝国の大きな支援の結果だった。日本の近代史は、長州人(或いは薩長土肥)を中心とした既得権益層の世界史的暴走と、国内での既得権益としての権力の維持の歴史と言えるだろう。(補足1)つまり、大きな既得権益層を中心に日本の近代が進行したとも言える。

現代日本において既得権益に正しく対処できない大きな理由は、明治からの日本の近現代が絶対的権力を持った巨大な既得権益層中心の歴史だったことと、その隠ぺい体質が日本に深く浸透したことにある。それが昭和の大戦につながり、日本人から既得権益や生来の身分による差別と戦う気力だけでなく、それら不平等や不公平に対する真面な感覚まで奪ったのである。

そして敗戦後、国際法違反の大都市空襲や原爆投下で大虐殺を行った米国の統治下に入ることに対して、日本人庶民の中に悲しみと怒りの気持ちと伴に不思議な安心感を抱くという人たちが多く居た(と思う)。このような歪な政治権力と西欧文化の無批判・無理解輸入の結果、近代文明の基礎が育つ前にその芽も枯れ果てたことが日本低迷の原因だと思う。西欧文化が大事なのは、ギリシャに始まりキリスト教の下で発達した西欧文化が近代文明の基礎を為しているからである。

ただ、その近代西欧文化も現在、地球規模で破壊されようとしている。米国中心のポストモダニズムと中国の無神論が原因だろう。近代を消化不良で採り入れられず、ポストモダンと無神論に弄ばれている日本というのが、現状である。

 


歴史とマクロな話は以上にして、以下に現代における既得権益をミクロの視点から観察する。マクロな歴史的な問題の解決には、ミクロな理解を抜きにはあり得ないと思う。


1)公私の峻別: 西欧近代文明の思想

西欧近代文明は、人間と社会の間にいくつかの基本的な原則を設定することで成立している。それらは、①人間の社会参加においては、公私は峻別する;②私人そして社会人(=公人と定義)としての振る舞いを時間によって分ける;③社会におけるその人間の位置は、専門性と能力によって殆ど決定される、などである。ここでは、「公」は官庁に関するという意味ではなく、社会に関するという意味であり、「私」に対立する。大企業など諸法人は「私」ではなく「公」に分類する。(追補1

勿論、株式会社などは法的には私的な存在である。しかし、社会の中にあって万人の為に富を生み出す装置であり、決して株主だけのためにあるのではない。つまり公的存在である。松下幸之助が「会社は社会の公器」と言ったのは、会社の本来持つべき社会的役割を社員や他の人たちに訓示するためだろう。同じ言葉を世界経済フォーラム(WEF)のクラウス・シュワブが言っているが、その目的は彼らの企みを隠すためだと私は思っている。(補足2)

既得権益の中に居座ることは、これらの原則を全く理解しないのか理解した上でのことか分からないが、私的な利益を優先した反社会的な行為である。その動機は一私人としては自然であるが、集団を為して既得権益層を作り、彼らを社会から取り除く機能の監視と破壊までを行うのは、国家の乗っ取りに等しい。

彼ら既得権益層を告発する機能はマスコミが果たすべきであり、そしてその社会から排除する機能は、検察を中心とした行政官が行うべきことである。それらを正常に機能しないように支配しているのが、現代日本の支配層、つまり既得権益層の政治家たちである。

米国や日本のマスコミには、上記のような期待される機能は全くない。同様に、それらの国々の検察にも、肝心なときに真実と社会正義に基づく捜査をする機能など期待できない。司法の武器化は、米国政治の現状を知る鍵であるが、最近の政治資金規正に関する捜査などを見ると、日本でも同様であると思う。

国の動物モデル:全ての臓器は公たる全身の為に働く

国或いは民族で纏まった社会は、各要素が機能体として高能率で働き、整合性を持って統一された存在であるべきで、動物などの生命体がそのモデルとなるだろう。

 

 

そのような民族や国家では、目や鼻、腕や足、口や舌、胃や腸、肝臓や腎臓、心臓や血管システム、リンパなど免疫システムなどに相当する諸機関が、全体を正常に保つべく専門的機能を受け持つだろう。(補足3)

動物では、臓器の細胞は24時間365日全身に奉仕し、それと同時に他から生命維持のためのサービスを受けている。臓器細胞は100%「公」である身体全体に奉仕し、「私」を優先する細胞など存在しない。存在した場合、それはがん細胞であり、身体を死の危険に導く可能性がある。

社会或いは国家における人間も、社会にサービスする公的時間と帰宅後の私的時間を区切ることで、公的時間のみでその高効率な機能体を作り上げることが出来る。その理想的な形では、国家は機能体であると同時に共同体でもある。以上が国家の動物モデルであるが、株式会社も基本的にこのような機能体であるべきである。

適材適所の原則

社会への個人の参加は、成壮年期に適材適所の原則に従ってなされるべきである。高度な技術文明と経済の巨大化した社会の諸機関においては、適材適所の人事はより専門性に重点を置いてなされるべきである。私的な人事では、人が良いとか控えめだとかいう曖昧な人物評価が重要であっても、社会の公器では一定のコミュニケーション能力は要求されるが、よりドライに能力と専門性を目安にした人事であるべきである。

若過ぎて或いは老いて、或いは何らかの原因でその適正を持たなければ、私人としてのみ生きる時間が長くなるだろう。その人事の流れに淀みがあってはならない。既得権益は、このような社会の停滞部分において発生する。

この人事で欠かせないのは客観的且つ科学的な個人評価である。それは公の意識を持った人により公の時間でのみ可能である。私人に客観的評価など不可能なことは言うまでもない。つまり公私の峻別は、専門的機能体組織の組み上げには必須である。

(一日の内での公私の区別の話だが、)社会に参加している人たちもオフィスアワーが終われば、私人に戻る。そして人との付き合いも私的なものに替わるので、仕事の後の飲み会など、仕事上の付き合いの延長は原則ないだろう。勿論、公私の峻別は概念的なものであり、それを意識しておれば、仕事仲間で私的にも良い関係になることを妨げるものは何もない。

労働の流動性や同一労働同一賃金の原則など、公私の峻別があればきわめて自然に進む筈である。それがなかなか達成できないのは、近代西欧の公私の峻別の文化がその基礎から日本に導入されることはなかったからである。


日本経済低迷と日本型労使関係

日本の労使関係では、入社式というヤクザ社会のような儀式を経て、オフィスアワーも在ってなきが如く公も私も含め全人格をその会社に捧げることを基本とする。そのモデルは、封建社会における藩と藩士の関係である。https://www.careermart.co.jp/blog/blog/archives/5834

現在の政府は、その表に現れた副作用的な部分を対症療法的に取り除く政策を実行しているが、根本からの変革がないなら、単に全体的な活力を削ぐだけに終わる。そんなことが理解できる知性を、日本政府も日本の議会も有していない。下の動画をじっくり聞いて考えてもらいたい。

https://www.youtube.com/watch?v=-w0lgS8h7NU&lc=UgythiYf7ZuOeNlQTKF4AaABAg

「Japan as No1」が米国で出版されたときには、経済的には大股で米国が敷いたレールの上を進み、日本型労使関係の強みを発揮していた。そのモデルのままで何十年たっても改めることなく、西欧文化の中の労使関係の基礎にある考え方に十分には学ばず、表に現れた現象のみから対策を建てようとしているのが日本政府である。

封建社会が近代に対応できなかったように、その日本型の労使文化では専門性が高くなるに従って、上手くいかなくなる。それが日本の活力の低迷の本質である。それにも関わらず、日本の低迷の原因は財務真理教だなんて言っている政治家や評論家は、彼ら自身が現在の職業の適性を欠いていることに気づいていないのである。


2)日本の政治

日本では歴代の総理大臣は国会議員の中から選ばれてきた。彼らの多くは家業として政治家を継承してきた人たちであり、その適性故に政治家になったのではない。家業を継承出来たのは、冒頭に議論したこと(大英帝国の教唆と支援による明治維新)を主因とし、社会が一定の豊かさを維持し且つ平和であった為、大衆に方向性を持った大きな不満が無かったことを副因とする。

 

政治家を支配者とみるマスコミは、大衆に対して人生を3つのSに関心を持って生きることで完結させるべく、テレビ番組を作っている。https://ja.wikipedia.org/wiki/3S%E6%94%BF%E7%AD%96

その衆愚化政策のパターンは、米国経済を支配する層がつくりあげたことは良く知られる。あのハリウッドやディズニーを経営している一族ら金融資本家たちである。戦後、将にその人たちが中心になって、米国に奉仕する日本をつくりあげたのであり、マスコミも政府諸機関もそのレールの上を直走っている。(追補2

何かやりそうな人物が現れると占領軍が作り上げた検察の特捜部が活躍する。

 

 

 

例えばロッキード事件などが有名である。特捜部(だけでなく警察庁)は、ロッキード事件や政治資金問題を捜査するが、決して日航機123便事件を捜査しない。日本の司法は、毒ぶどう酒事件の裁判でも明らかなように、クロマトグラフという科学的証拠を無視することも得意技とする。勿論、7月8日事件、木原氏妻の元夫殺害事件などでも科学的考察は一切無視するのである。

日本の官界も、小さな封建藩主と藩士のグループが棲み分けている世界である。国益よりも省益などという言葉がそれをよく形容している。内閣人事局をつくり、その小藩の構造にメスを入れたようでも、根本が理解されていないのでうまくいく筈がない。


3)科学会と既得権益

科学の発展は学会があってのことである。学会は、提出された論文を学会や論文誌の査読という場で議論し、著者に修正する動機を与える。学会は、発行している学会誌を学会員が成し遂げた成果を発表する場として提供する。学会は、科学の発展を目指す完璧な機能体としてできた筈であり、既得権益など入り込む余地がないように感じる人も多いだろう。

また、科学の発展が真実に絶対的な価値を置く特別な人たちによって担われて来たと考える人が多いだろう。頭脳のみを用いる場合は、そのような考えも成立したかもしれないが、現在の自然科学研究では高価な装置が必須になり、実社会との関係が深まることで科学の世界も徐々に変質している。

研究や教育の予算を研究者以外、例えば国家が持つ以上、既得権益の発生の場の例外にはなりえない。科学(自然哲学や社会哲学、更に人文哲学;補足3)よりも工学や医学、さらに気象や災害に関する学会では、政府予算以外のお金も関係する場合が多くあり、既得権益が蔓延る状況がみられる。

もっともわかりやすい例は、政府の地震調査研究推進本部とそれに群がって予算を獲得する人たちである。「30年以内に70〜80%」とされる南海トラフ地震の予測は、地震予知及び対策関連の予算と関係して、既得権益を作り出した。それは、一般に地震に関する学問への誤解を深めることになった。
https://www.youtube.com/watch?v=0BCZgf5JlNQ
https://www.tokyo-np.co.jp/article/313763?rct=trough_uchimaku

もう一つの例として、ウイルスや対ウイルスワクチンの研究などでも科学のゆがみが見られる。
パンデミックに備えてのワクチン開発研究などでは、データの改竄など政治を優先するような事態がに深く絡んだ医学の破壊ともいえる傾向である。この問題に関しては、「日本の研究者、COVIDのワクチンが201種類もの疾病につながる副作用を起こすと発表」としてアップされたある方のブログを紹介する。https://ameblo.jp/sherryl-824/entry-12866373028.html


終わりに:

以上、公私の峻別と既得権益の発生の話について書いてきた。上にあまり書かなかったことだが、「私」の中に非常に重要な部分として宗教がある。選民思想を濃厚に持つ宗教も存在し、それが現在中東での残忍な戦争の中にみえる。上記ポストモダニズムも、彼らの利己主義の産物であると思う。


追補:

 

1)通常「公」は官庁や地方自治体に関して用い、株式会社など生産のほとんどを行う組織を私企業と呼び「私」に分類する。本文にも書いたが松下幸之助が言ったように、それでは社会が随分住みにくくなってしまう。日本の私企業の一部には、この(日本にも古来からあり)松下幸之助(が言及した)思想が及んでおり、それがそれら日本企業に民のための企業の側面を与えている。この重要な視点に世界経済フォーラムのクラウス・シュワブも気づいて、「株主のための会社から関係者全員のための会社に資本主義の原則を換える」と言い出したのである。日本においては、共産主義独裁を用いることなく、企業はその理想に近づいていたのである。

一方、シュワブを支えるユダヤ系大資本(国を持たないディアスポラの人たち)には「公」の思想がなく、それが米国において新自由主義経済という化け物を作り出し、それを中心にした文化にポストモダンなどという名前をつけたのである。

 

2)米国に奉仕する日本を作り上げるために、米国は戦後日本に様々な経済的支援を行った。更に、米国は日本が独自外交に動かないように、3つの領土問題を作り上げ、周辺諸国と常に緊張関係にあるようにした。それでも鳩山一郎が1956年の日ソ共同宣言後、そして安倍晋三が2018年の会談後、ロシアとの平和条約にほとんど合意したが、米国がそれをつぶしたと考えられている。日中の間の尖閣問題は、近い将来の戦争の引き金になる可能性がある。

 



補足:

1) 江戸時代までの天皇制なら、日本は満州利権の獲得から対中戦争には進まなかった筈である。戦争に明け暮れたのは、大日本帝国が西欧型帝国のコピーだったからである。天皇の背後には、西欧のある国々の支援と干渉に支配され人たちが居たのだ。明治のクーデター或いは革命は、日本独自の歴史的展開とは言えないので、明治の支配者をここでは既得権益層と呼ぶ。

2)世界経済フォーラムは人口増加に伴って地球規模の様々な異常が発生していることを懸念し、拡大する現在の資本主義経済に警鐘を鳴らしている。そして、選ばれた人たちのみが生き残る世界帝国の建設を目指す人たちと結託して、地球規模の共産主義的体制の樹立(グレートリセット)を企んでいるように見える。

3)消化器は産業、循環器は輸送と金融、手や足は国防、目や鼻は外交に相当するだろう。免疫システムは諜報や出入国管理から軍隊の一部に相当する。広く知性ある人材を集めるべきは、動物の脳の各部分に相当する諸機関である。国家の動物モデルは、一対一対応はしないが、国家のあるべき姿を考えるためのモデルとしては役立つだろう。

 

(21:00 編集; 9/9/5:00 全面的に改訂。カッコ内は翌日追加。)

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