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人類史の本流は中華秩序なのか、それとも西欧型秩序なのか

1)米国が露呈させた中国共産党政権の真の姿と日本の課題   日本が抱えている最重要な課題は、コロナ問題や拉致問題等ではなく、表題の問に対して明確な答えと姿勢を持つことである。短期的な経済的利益に囚われないで、現在が世界の歴史の方向が決定される時なのかどうかを考えるべきである。...

2020年2月5日水曜日

再録)“内なる目”について:意識の発生&善と理想主義の系譜

この10日ほど、「人類は高度に発展した文明に適合する社会を作れるだろうか?」というテーマで考えています。その一環として、「社会の進化論と言葉及び文化の進化のモデル」について、2,3日中にこの欄にアップロードする予定をしています。この問題と関連が深い本に、ニコラス・ハンフリーという動物行動学者が書いた「内なる目」という本があります。過去に書いたその感想文を再録します。この内なる目は、人が「本音と建前」という「二つの自分」に分裂する原因であり、その「本音と建前」の分裂は厄介なことではなく、人が社会を作る基礎能力だからです(これについては2,3日中にアップします)。

 

以下再録部分:

 

1)人間は「自分」という意識を持つ動物である。その意識とは何なのか、何処で生じるのかなどについては、ほとんど永遠の謎である(補足1)。ニコラス・ハンフリーは、意識を“自分の心の中を観察する能力”と解釈し、それを“内なる目”と表現した。“内なる目”は出版された本のタイトルでもある(補足2)。つまり、自分の心の動きを見ることが、意識ということになる。

「意識を持つ動物にとっては、あらゆる知的動作には、それに関与する思考過程の“自覚”が伴い、あらゆる知覚にはそれに付随する感覚が、あらゆる情動には感情がともなうだろう」とハンフリーの本には書かれている(補足3)。自分という意識は、自分を外から眺め、且つ、自分の心の中をも見ることになる。内なる目は自分の全てを内部から見るため、ごまかすことは出来ない(フィルターは掛けられるが、それについては後述)。

2)人間は自殺する唯一の動物である。その根本的原因の一つは、人間は、自分とその心の動きまでも観察対象にする“内なる目”を持つことだと思う。
 人間の心には、自分とそれを取り巻く世界のイメージが投影される(補足4)。そこには重要なものは大きく、そうでないものは小さく、また、好ましいものから悍しいものまで、“色分け”されて投影されるだろう。つまり、人によって独特のフィルターがかかっているのである。通常、“内なる目”で観測された(追補参照)自分の像は中心に大きく存在する。その自分の像が耐えられないくらいに、醜悪且つ大きくなり、投影面からはみ出してしまう時、人は生き続けることが出来なくなるのだろうと思う。 

例えば犬や猫のような動物の場合、脳の中に投影した世界の図には自分は存在せず、自分は単に世界を覗く窓である。これが人間と、明確に自分という意識のないこれら動物との大きな差である。それは決して知能における差ではない。動物にも人並みの知能を持つものもいるかもしれない。因みに、コンピュータが記憶&計算能力では世界一の人間の頭脳よりも上であることを、最近の囲碁ソフトの世界チャンピオンに対する勝利が証明した。

この“内なる目”と自分の頭脳で再構成した自分と自分を取り巻く世界の投影図の中には、当然多くの人も存在する。“内なる目”は、他人の像とその動きを把握することが、社会生活をする人間にとって生存上有利であるため、進化の過程で生じたとハンフリーは考えたのである。つまり、”内なる目”は他人の心のシミュレーションのために生じたのである(補足5)。或いは、“内なる目”が生じた為にある種の猿が人間に進化した(補足6)とも言える。 

3)社会が成立する原理は個人が“利他”の精神を持つことであり、生物が生存する本能は“利己”の追求である。利他の精神を持ち、且つ、利己の本能と共存させることを可能にするのが、高度な知能と“内なる目”である。つまり、社会の構成員の全てが、内なる目で他人の考えと行動をシミュレーションすることにより、社会の中での利他を自分の利益、つまり“利己”、に転化するのである。  たとえば、自分が他を利する行動をとったとして、他の社会構成員が利己的にその恵みを受け取るだけなら、社会は壊れてしまう。従って、利他的行動は他人の考えと動きをシミュレーションしながら、行う必要がある。それが“内なる目”というシミュレーション装置が、高度な社会生活をする上で必須である理由である。

その複雑なシミュレーションを互いに繰り返して社会で生きる中で、発生した概念が“善”であり、それを元に多くのルールが積み重ねられ“人間文化”となったと思う。“善”の定義と行動の物差しとしての応用は、複雑なシミュレーションなしに社会を安定に維持できるので便利である。しかし、その一方で人間のシミュレーション能力を衰えさせる危険性がある。 

従って、“善”は人工的な概念(約束)であり、生命にとって本質的な“悪”(利己を追求すること)とは、本来真正面から対立する概念ではない。また、社会における善の体系を中心に置く政治姿勢を“理想主義”というが、それは従って“現実主義”とは真正面から対立する概念ではない。つまり、政治家にとっての原点は本来、現実主義であるべきである。 

4)“内なる目”は、醜悪なる他人だけでなく醜悪なる自分にも向けられることが多いかもしれない。醜悪な、つまり、利己的な行動は生命に本質的だからである。それを善良なる姿に変えるには、つまり社会を維持すべく紳士的(人工的(artificial))に生きる(補足7)には、エネルギーを要する。 

そのエネルギーを減少させるために、ある人はその“内なる目”に後天的な(学習の結果としての)フィルターをかけるだろう。また、ある人はそのフィルターを真っ黒にすることすらできるかもしれない(補足8)。地理的なある範囲での宗教や文化の存在は、その地域の人が独特のフィルターを”内なる目”に持つと言い換えられる。

また学校などは、教育とか暗示という言葉で形容されるフィルターを構成員に与える為の機関という面もある。例えば、軍隊における訓練などでは、”内なる目”には、極めて偏ったフィルターが掛けられるだろう。この“内なる目”という心理学的な考え方は、人間と社会を考える上で非常に便利な人間の意識のモデルである。

追補:(2016年5月15日の翌日の編集)


内なる目と意識では、意識の方が概念として広い領域を持つだろう。しかし、ここでは同一視して総合的に「内なる目」を用いる。二番目のセクションからは、ハンフリーの本を参考にして、独自の考えを書いた。

補足:

1)意識は魂の作用と考え、物質界の存在である人体と霊界の存在である魂を考える人も多い。もしそうなら、人間の意識を使って霊界が物質界に作用を及ぼすことが可能となる。現代その考えは否定されていると思う。ニーチェの言葉として、「ツアラトストラ」の第一部に「自分はどこまでも肉体であって、それ以外のなにものでもない。そして魂とは、肉体に属するあるものを言いあらわす言葉にすぎないのだ。」という文章がある。
2)内なる目、ニコラス・ハンフリー著、垂水雄二訳、紀伊国屋書店(1993); 原著はNicholas Humphrey著、“The Inner Eye”, 1986.
3)ここで、知覚と感覚を分けている。信号が脳におくられて、なんらかの感情を伴って感覚となり、思考のプロセスとともに、内なる目の対象となるのだろう。例えば、人間は何かが手に触ったという知覚を持つ。その信号は脳に送られて、手を引っ込めるとか、触ったものに攻撃を加えるとかの動作となる。しかし、刺激を受けて、それを知能で解析して行動するだけなら、その解析のプロセスを内なる目で見る必要はない。脳の視覚野に損傷を受けた人や猿は、“見たという感覚”なしに見て、その知覚情報を利用する。(pp68-72)
4)「内なる目により、心の面に自分をふくめ世界の像が投影される」という考えは、ハンフリーの本にはありません。本稿のオリジナルです。
5)チンパンジーやイルカの一種は、鏡に映る自分の像をみて、他の個体ではなく自分であると理解できる人間以外では例外的動物である。しかし、自分のこころの動きまで観察対象にはできないだろう。
6)“内なる目”は、進化論的心理学と呼ばれる分野の一つの成果である。
7)人工的とは紳士的と言い換えても良い。紳士(淑女)とは社会生活を営む人間が、生物としての本性を抑えて“内なる目”に美しく映る姿の人間である。社会とは本来無力な人間が地球上に君臨すべくつくられた人工的な構造である。そこでの人の振る舞いはアート的(artificial)でなくてはならない。ナイーブ(naïve)に振る舞えば、社会は破壊されるからである。
8)典型例を挙げる。https://www.youtube.com/watch?v=Gc9rsvBIh9U この動画は、内なる目に真っ黒なフィルターを掛けた、米国の知性の姿である。

2020年2月3日月曜日

国の崩壊は歴史の嘘から始まる

1)池上彰スペシャルに出演の李英薫元ソウル大教授

 

昨夜(2月2日、午後8時)の「池上彰スペシャル:日曜THEリアル」という番組は、冷静に日韓関係をみてみましょう」“歴史のウソ”指摘の韓国人編集者を直撃というサブタイトルで放送され、その一部を見た。番組では、「反日種族主義」という本の著者で編者でもある、元ソウル大学教授で現在李承晩学堂校長の李英薫氏にインタビューを行っていた。

 

その本は、李教授ら元研究者達が韓国が、まともな国に脱皮するために命の危険を感じながら書いた。李教授は、その延長上の活動として、youtube動画「李承晩TV」で、韓国近代史について放送している。その紹介を昨年10月4日の記事に書いた。日本語字幕を付けてアップロードしたのは、チャンネル桜である。

第一回:https://www.youtube.com/watch?v=WCxIQCBdj34

第二回:https://www.youtube.com/watch?v=wkDmu22L-NU

 

民族の歴史は、事実の集積ではなく、民族にとって大事な事実を、つなぎ合わせた物語である。(補足1)その中に、多くの辻褄合わせ的な嘘を含むことが多い。しかし、嘘が主題になっては、その民族自身の将来を危うくするのである。李教授達の視点は、日本人の知識人たちにも要求される視点である。最近の二つのブログ記事にも書いたように、日本人も嘘で歴史を塗り替えてきたことに変わりはないからである。

 

国家崩壊の危機が、日本の場合は静かに、韓国の場合は急激に進行していると思う。韓国は反日を基礎にして国家を作ってしまったこと、一方の日本は、基礎のない“国家とは呼べないレベルの国家”を作ってしまったことが、それぞれの原因である。

 

李元ソウル大教授達は、事実から目を背けた歴史教育は、その国を滅ぼすという危機意識により「反日種族主義」なる本を、韓国人の為に書いたのである。昨日放送の番組では、その李教授に対して知的でない対応をしていた。日本の戦争責任についての発言を期待して、インタビュアーがマイクを向けたのである。そのとき、李元教授は毅然と「日本の戦争責任については、日本人が考えるべきである」と返答した。

 

2)嘘は国を滅ぼす

 

嘘の歴史は国を滅ぼす。つまり、嘘が国家の基礎となっていては、世界の歴史が大きな地殻変動的時代を迎えた時、その国は滅びる可能性が大きい。国が滅びるということは、民は国家の保護を受けられず、命の危険にさらされるということである。それは、先の戦争末期の満州や樺太南部、朝鮮北部などでの日本人入植者の辛苦でも証明されている。(補足2)

 

日本は1945年に完全に滅んだ。それは、明治の時代の歴史を嘘で塗り込めたからである。(補足3)ただ、民は戦後命の危険にさらされなかった。それは、米国という先進国に支配されたこと、更に、「国が滅んだ後の民の命の危険」を、既に米国に”前払い”していたからである。大都市空襲と二発の原爆投下である。

 

民の犠牲としては十分だと見た米国は、残りの民には融和政策を、国家機構は換骨奪胎を行い属国化した。そして、1952年のサンフランシスコ講和条約後、日本は独立を許された。しかし、日本は独自に属国から普通の国になれなかった。

 

このことは、明治の国造りが独自のものでなかったことを証明している。いわゆる明治維新が、司馬遼太郎の「坂の上の雲」にかかれたような、独自の国造りであったのなら、そのプロセスを記憶した日本民族の遺伝子が、普通の国造りの為に直ぐに働いた筈である。

 

日本国民に危機が迫っていることは、右派も左派も理解している。しかし、左派は右派の攻撃に終始し、右派は「先の戦争はルーズベルトが戦争したかったからである」というところで歴史を遡ることを止め、鬼の首をとったかのように自慢している。愚かである。(誰が対米戦争を始めさせたのか?:https://rcbyspinmanipulation.blogspot.com/2017/08/blog-post_14.html

 

日本に嘘の歴史を植え付けたのは言うまでもなく、薩長の倒幕勢力である。その末裔が、いま尚政権の中枢にある。韓国には、歴史捏造を自省する李教授たちが現れた。しかし、日本には同程度にインパクトのある知識人はあらわれていない。

 

補足:

 

1)岡田英弘著「歴史とは何か」(文春新書)参照。故岡田英弘先生の歴史観は、奥さんの宮脇淳子氏により受け継がれている。偉大な岡田博士は、宮脇淳子の夫ということで知られていたというから、日本という国は救いがたい。https://togetter.com/li/1115877

 

2)ウズベキスタンにあるナヴォイ劇場が、日本人捕虜により作られたという放送を最近のテレビ(2月1日そこまで言って委員会)で見た。そこでは、日本人の名誉にかけて、立派に仕上げるのだという捕虜の中心人物の言葉や、地震で周囲の建造物が殆ど瓦礫になったときにも全く破壊されなかったことなどから、「流石に日本人の技術は素晴らしい」と賛美する方向で番組が進行していた。ネット記事でもその類の記事が多い。(例:http://everfree01.com/archives/2097https://www.youtube.com/watch?v=g9IuY4h0kdQ

しかし、日本人捕虜が参加したときには建物本体はほとんど出来ていて、主な仕事は大理石による床貼り、外壁工事、電気工事など「仕上げ」であり、基礎や本体工事を行ったわけでな無いとウィキペディアにかかれている。民族の辛苦を学ぶべき事例も、日本人賛美の材料になっている。最近のテレビ番組には、日本に技術を学びに来る外国人などを題材にしたものが多い。それらは、行き詰まった国に棲む民の見る幻影なのだろう。記憶の塗替えは、韓国の元慰安婦の人たちだけでなく、日本人の問題でもある。

 

3)これについては、2015年の記事に書いた。
https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12466514404.html

明治の倒幕劇の背後に英国があることについても若干触れた。
https://rcbyspinmanipulation.blogspot.com/2019/08/blog-post.html

 

2020年2月2日日曜日

日本再生の近道は国民に国家意識を創生することである

1)日本人の国家意識欠如

 

日本がまともな主権国家になるには、国民に国家意識が芽生えることが何よりも大事だと思う。数年前に、「保育園落ちた。日本死ね。」とSNSか何かに書き込んだ人がいて話題になった。その時、「日本が死ねば、あなたもあなたの子供も死にますよ」とテレビでコメントする人は、全くいなかった。日本国民に国家意識が欠如している証拠である。

https://www.huffingtonpost.jp/2016/03/14/hoikuenochita-blog-_n_9457648.html

 

日本国民の殆は、何かの式典のときに「国歌」を歌うが、何か後ろめたいことがあるかのように小声で歌う。何故か? それは日本国民が、日本国とその歴史に誇りを持てないからである。それは米国のWGIP (補足1)が原因だという人が多い。では何故、それを覆すような歴史の総括を日本政府はしないのか? 何故、何時も歴史認識に問題があると世界から言われ続けるのか?

 

大相撲に外国人力士を大勢入れて、長年最高位をモンゴル人に独占されても、大相撲は国技だと言い張る無神経。更に、その言い分を認めて、公益法人として税金を免除する政府の無原則な姿勢。更に、優勝力士の表彰式で日本の国歌を演奏し、モンゴル人力士も義理か無言の要請を受けてか分からないが、口パクで歌っている振りをしている。それに違和感を感じないのが、日本国民一般の実情である。(補足2)

 

このような情況下で、日本国民に国家意識を持てというのは無理な注文かもしれない。しかし、「日本国が滅んでも良いのでしょうか?」と問えば、100%絶対に駄目だと答えるだろう。殆どの日本人は、まるで出来の悪いわが子に対するように、日本国に愛着を持っている。少なくとも江戸時代から日本人の家系にある私には、それが良く分かっている。

 

国家意識の再生は、天皇を利用すれば簡単かもしれない。しかし、戦前のように全体主義的になっては大変である。現在の安倍独裁政権は、日本の大都市に賭博場を作ることを、国会でも殆ど何の反対も出さないで決めてしまった位だから、何をするか分からない。(補足3)そのように、国家意識を強制するようなことになっては、天皇家は滅びるだろう。それは日本国民の本意ではない筈である。

 

2)政治改革の方法について:

 

日本再生には、世界の何処にあろうとも、日本国民が日本国を誇りに持つと大声で宣言できるようでなくてはならない。義務教育から、現在の日本人の国家意識を改めなくてはならない。そのためには、日本は近代の歴史をレビューし、責任あるものは責任を追求し、被害を受けた者にはその保障をするべきである。 そうすれば、国家意識は創生されるだろう。

 

国家意識の再生ではない。日本人には国家意識など無かったからである。つまり、日本人には、人類皆兄弟的な考えが根強くあった。昭和天皇の開戦時の歌、「四方(よも)の海 皆同胞(はらから)と 思う世に なぞ波風の 立ち騒ぐらむ」は、それを示している。この歌は、明治天皇が日露戦争の時に詠んだ歌である。

 

このような歌を、国家元首が詠むようでは、戦争は始めるべきではないし、始めてしまえば勝てる訳がない。そのように指摘した人が居たと、これまで聞いたこともない。これがこの国の現状である。

 

日本国民の一人一人が一度、この日本文化というぬるま湯から出て、ユダヤの民が味わったような一人の寒さ厳しさを、人が生きる原点として、想像の世界でも良いから確認すべきである。そして、他人及び自分の考えや行動を、議論と評価の対象にしなくてはならない。

 

1952年の講和条約後に、そのように新しい日本として再出発しておれば、日本を話が通じる国として、国際社会が認めただろう。その場合、日本の指導者として相応しくなかった、或いは、致命的な間違いをしたと裁決された人たちは、「戦争における犠牲者としての名誉」(補足4)は剥奪されただろう。

 

日本人の欠点は、非論理的な点である。論理的にあの戦争を総括することなしに、再び民族としての団結を取り戻そうとするのは間違いである。つまり、右翼系の人たちが持つ「あの戦争で死んだ人達は、皆日本の為を思って一生懸命にやったのだから、皆犠牲者だ」という考えは間違いである。(補足5)

 

日本国民が国家意識を創生した後には、「指導者としての資質に欠けた者は、国政に参加すべきではない」、そして「相応しい能力を持っていると自信を持つ者は、その能力を国家のために役立てるべきである」の両方に賛成する人が殆どとなるだろう。

 

3)現状からの脱却

 

現在、地域の利権を国政で実現しようとする類の政治家が与党におおい。最近の例では、現与党幹事長は、和歌山のために捕鯨再開を実現した。それは、地域の利権を実現するとともに、非常に仲の良い国家の意向を汲んで、或いはサジェストにより、動いた結果だろう。それは、インド太平洋構想における重要なパートナーであるオーストラリアが、日本に対して悪い印象を持つように仕向ける策略の一環だとも考えられる。https://rcbyspinmanipulation.blogspot.com/2018/12/blog-post_21.html

 

兎に角、国政から地方の利権は排除されるべきである。そのために、ドブ板選挙から脱却しなくてはならない。(補足6)地方の利権から国政を開放するためには、道州制選挙区と一票の格差撤廃の実現が必要だと思う。それは小さな政府の実現にもつながる。勿論、比例代表制は廃止する。同州制は、元大阪維新の橋下徹氏が唱えていた。その時よりも大分前に、大前健一氏も道州制を提唱していた。

 

優れたアイデアが無いわけではない。それを国民が勇気を持って選択しないだけである。国民に国家意識を再生させて、政治的主体性を獲得させるべきである。それが遠回りに見えるかもしれないが、日本国再生への近道である。

 

 

補足:

 

1)War Guilt Information Programは、日本人に戦争責任を自覚させるための占領軍司令官マッカーサーが実行したプログラムである。身近な例では、ウィキペディアなどの記述が参考になると思う。

 

2)日本には、日本人は天皇家を中心にした大家族であるという考え方がある。例えば、神谷宗幣(日本会議の主要メンバー)という方が書いた本「本当の日本」には、“日本にルーツのある日本人は、歴史をたどると必ず天皇家の一族に繋がっている”という記述がある。更に、日本人には「人類皆兄弟」的な考え方がある。これは、あの笹川良一氏の著書のタイトルである。これらの考え方から脱却することが、日本人に「合理的思考に基づく国家意識」を再生させる重要な一歩だろう。

 

3)安倍総理には、自分には何でも出来ると思い込みがあるようだ。自分が親中姿勢をとれば、日本国民も親中になると思い込んでいるのだろう。自分は、友達が大学を作りたいと言えば、作ってあげられる。自分は、強姦犯でも無罪にできると思いこんでいる。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%A0%E8%A8%88%E5%AD%A6%E5%9C%92%E5%95%8F%E9%A1%8C

https://news.livedoor.com/article/detail/13187244/

 

4)日本でも世界でも、犠牲者や犠牲者候補のマイノリティーに特別な権利が与えられるようだ。この人工的錯乱は、米国の一部から世界に伝染している。

 

5)本来なら戦争責任者である筈の者たちが、戦争の犠牲者である一般戦死者が祀られるべき靖国神社に合祀されている。それを可能にしているのが、日本人は皆頑張ったという戦争責任を他に押し付ける思想である。そこでは、戦争をまるで天災のような感覚で処理している。天災だから、マッカーサーは救助隊の隊長のように錯覚された。退任のとき、20万人が“英雄”を米国に見送ったのである。国際社会は本質的に野生の支配の世界であるから、日本が敗戦国になった責任は、日本人が取らなくてはならない。その原点に立たなければ、天動説と地動説を間違えるような結果になる。

 

「日本人は皆家族である」的な考え方で、嘗ての戦争責任者を許す思想は、右翼系に多い。その代表が、櫻井よしこ氏である。「櫻井よしこさんの靖国参拝に関するコラムを読んで解った事」:

https://rcbyspinmanipulation.blogspot.com/2013/08/blog-post_29.html

 

6)どぶ板選挙は、国会議員が地域の有力者とその人脈により選出され、その国会議員は地域に有利な政策を誘導するという政治形態の根幹を為す。それは、中川一郎の自殺を論じた記事に書いた。

https://rcbyspinmanipulation.blogspot.com/2018/01/blog-post_20.html

2020年2月1日土曜日

日本版CIA(諜報機関)を作るべきか?

1)イントロと問題提起

 

先程の朝日放送系(名古屋テレビ)で放送されていた「正義の味方」(2月1日午前9:30-11:00)で、日本のスパイに対する脆弱な体制について議論していた。その最後の部分で、山田敏弘という評論家が日本にもCIA的諜報機関を作るべきだと主張していた。同番組に出席の評論家、宮崎哲弥、藤井聡、高橋洋一らもその考えに賛同していた。

 

私は、それより先に日本国にはすべきことが在ると思う。それは、国民の中に「まともな国家を持つ意思」を育てることである。その運動が、学校や町内会レベルまで波及するように、国会が火付け役をすべきである。野党は、桜を見る会などのスキャンダルを追いかける姿勢から抜け出て、与党をその議論に巻き込んでもらいたい。無理な注文かもしれないが。。。

 

今の安倍政権が強力な諜報機関を持てば、その情報を、政敵を排除するために悪用するだろう。従って、そのような両刃の剣的システムを持つ前に、国民の「国家意識の向上」を出来るだけ早く実現し、その後まともな政治体制を手に入れるという順番で、改革すべきだと思う。そうしなければ、日本の中国化が起こるだろう。つまり、マッカーサーが言ったように「12歳の民主主義しか持たない国」には、諜報機関は内向きに使われる可能性が高くなるのだ。(補足1)

 

米国のような、大人の民主主義政治を持つ国でも、諜報機関であるCIAは、選挙で選ばれた大統領の方に刃を向けた。その所為もあって、トランプ大統領はCIA元高官の機密情報へのアクセス権を剥奪することにしたという。https://www.nikkei.com/article/DGXMZO3433227020082018EAF000/

 

米国政府高官は、退任後も後任への助言などのために、機密情報へのアクセス権を持つことが慣例になっていたという。元CIA長官のブレナン氏は、機密情報へのアクセス権の剥奪は「言語道断の権力の乱用だ」と厳しく批判した。その批判は、民主的に選ばれた行政のトップに対する根拠を欠いた反抗である。

 

「言論の権利に対する侵害だ」(http://www.news24.jp/articles/2018/08/16/10401554.html)というが、言論の自由が基本的人権の一つだとしても、公益に逆らっては要求できない。元高官と言えども1国民は、正統に選ばれた国家のトップの決定が不満なら、司法に訴えるか従うかの選択しか許されない。政治的プロパガンダはすべきでない。

 

それよりも、BBCが報じたトランプ大統領の反論の方が、説得力がある:

「これまで、情報機関や法執行機関の長を務めた人物については、特別な見識を有する問題について後任からの相談に応じられるよう、また職責への礼儀としても、機密情報へのアクセス権限を保持することが許されてきた。どちらの理由も、ブレナン氏が機密情報のアクセス権限を保持することを正当化しない」

https://www.bbc.com/japanese/45204454

 

2)基本からの考察

 

現在の国際政治は、世界政府が無い以上、本質的には野生の原理が支配している。つまり、国際条約は法の権威を持たない。その中で、国家が主権を守るために、諜報活動が行われている。英国のMI6、イスラエルのモサド、ソ連時代のKGB、米国のCIAなどが特に有名である。その活動は、先日のソレイマニ将軍暗殺など、時として国際法を無視して行われている。(補足2)

 

これらの海外向けの諜報機関と協調する諜報活動が国内でも法を無視して行われている筈である。英国のMI5はよく知られているが、各国も公安警察などの名で呼ばれている組織が、それを担当しているだろう。それは国民の権利の侵害を最小限に抑えて行われなければ、公益性の主張ができないだろう。

 

日本のように諜報の意思に乏しい国は、つまり、一人前の主権国家となっていない国は、諜報機関を作れば必ず国内の政敵追放に使われるだろう。(補足3)その力を握った者達が、ある外国の支配下にあれば、どうなるか?それを考えれば恐ろしい。つまり、日本では言論の自由が無くなり、中国のような国家が出来上がるだろう。(補足4)

 

日本に欠けているのは、繰り返しになるが、国民における国家を担う必要性の自覚と実行する覚悟である。それを得れば、本来野生の原理の支配する“国際世界という海”に浮かんだ日本国という船が、海賊たちに襲われて沈没しないように、一定の手段と装備が必要だと国民の殆どが同意する筈。

 

その為の情報を集めるのが諜報機関であり、力の行使を担当するのが国軍である。それを持つ宣言として、直ぐに憲法を改正することになるだろう。それらのプロセスは、自然な流れでなくてはならない。いきなり諜報機関が必要だとか、憲法改正が必要だとか言うのは、子供がピストルが必要だと言うような類の議論である。

 

(編集 14:10;14:50;15:25)

 

補足:

 

1)国民に国家を担う意識が発生すれば、憲法改正は自然に実現するだろう。諜報機関を作れば良いというのが、安易な考えであることを教えてくれる例があったので追加する。韓国のパク・チョンヒ大統領は、国家の主権を確立するために核武装を考えた。それを良く思わない外国勢力が、KCIA (韓国の諜報機関)を動かして、朴正煕を暗殺させた。

 

2)国際法が完全に有効なら、そもそも戦争などは起こり得ない。勿論、国際間のトラブルは起こるだろうが、それらは国際的な警察機関と国際的な司法機関が裁く筈である。そのような世界政府的な体制には、国際連合は脱皮できないだろう。

 

3)現在米国上院で行われているトランプ大統領を対象にした裁判は、まさに、この権利の乱用に関するものである。そのような手続きを完備している米国の民主主義は、流石だと思う。

 

4)国家の対面を優先する中国は、武漢など湖北省の住民の安全よりも、病気の流行を抑えることに国家権力行使の目標を置いている。その結果、武漢は新型肺炎ウイルスの「閉鎖された培養器」のような状態になっている。それを大きな業績のように言うWHOのトップの言動は、中国の諜報機関の活動成果の一つだろう。因みに、戦前の日本でも国内諜報機関(英国のMI5に相当か?)が、一般国民の戦争に反対する声を弾圧する機関となった。特高警察である。(補足1の朴正煕の例も参照)