2015年2月3日火曜日

勝者はテロリストと呼ばれない

先ず、今回の後藤さん達日本人2名の惨殺を、そしてそれを行なったイスラム国(注1)を、日本国民の1人として強く非難する。更に、二人の日本人を救う為の努力を十分せず(注2)に、徒にイスラム国を刺激し、結果として二人の命が奪われたこと、更に、今後海外で活躍する多くの日本人を不安にしてしまったことに関して、安倍政権に抗議する。(注3)

以下の文章は、テロリズムを一般的に考えたものであり、今回の件を論じたものではない。

以下の文章では、テロリズムの定義としてウイキペディアのものを用いる。つまり、テロリズム(英: terrorism)とは、ウイキペディアhttp://ja.wikipedia.org/wiki/テロリズム:によると、何らかの政治的目的のために、暴力や暴力による脅威に訴える傾向や、その行為のこと。また恐怖政治のこと。フランス革命での恐怖政治に由来し、フランス語のterreurはラテン語のterreōから派生した語で「恐怖」を意味するという。 歴史に拘らなければ、英語のterror(恐怖)にism(主義とかやり方を意味する)をつけたものとも言えるだろう。テロの定義として、ここでは上記ウィキペディアのものを用いる。

注意を要することは、我々一般国民は、テロリズムという言葉を、凄惨な場面とともに聞かされているため、テロリズム=邪悪という等式(厳密には、テロリズム∈邪悪、つまりテロは邪悪の一つ)とともに理解するように調教されていることである。(注4)更に、為政者によってこの言葉がヒステリックに使われる場合、その政治的目的に関する一般国民の間(そして為政者となった者以外の国民に選ばれた議員達の間)での議論を、封殺する目的が潜んでいる可能性があるということである。

ある政治的な暴力行為(つまりテロ)があったとして、その評価を行なう場合には、その政治的目的も同時に論じなければならない。しかし、その議論に入ると、その行為を非難する側に何らかの不都合が生じる場合もあるかもしれない。その場合、議論を避けながら、その行為を行なうものを排除すること(これも政治的行為)を容易にする為、屢々テロリズムという言葉が強い言圧で用いられる様に思う。

歴史をすこし遡って考えてみる。例えば、凄惨な場面の行為者として、比叡山を焼き討ちした織田信長や、邪魔者である豊臣秀頼らを三条河原で晒し首にするという手法でその他の反抗勢力を封じて、江戸幕府を開いた徳川家康が居る。しかし、二人をテロリストと呼ばないし、その手法にテロリズムのラベルを貼る人はいない(注5)。この例は差し障りがないので選んだが、もっと近い時代に、強国が弱小国の国民に対して、或いは為政者が自国の国民に対して、暴力や暴力に因る脅威に訴えて、政治的目的を達した場合が数多く存在する。しかしそれらはテロとは呼ばれていない。それは、彼らが勝者であり歴史を書く側だからである。つまり、勝者にテロリストは居ないのである。そして、歴史の再評価により敗者になったものは、後にテロリストとされる場合もある。例えば、旧ソ連のスターリンが行なった粛正がテロの例としてあげられている。(上記ウィキペディア)

以上から、テロと呼ばれる行為は大抵、力の弱い者が力の強いものに政治的に反抗する目的を持って行なわれる。勿論一般市民を巻き込む暴力的行為は、事の勝敗に拘らず許されるものではない。しかしその原因、つまり、(1)彼らの政治的目的、と(2)その目的が生じた経緯など、とについて十分考察することが、テロを防ぐことにもつながる。場合によっては、力の強いものに改良すべきことがあるかもしれない。そのテロを減らす為の努力をしないで、一方的にテロリズム=邪悪=排除すべきものという公式により、強者が力のままに振る舞うことは、テロに巻き込まれる一般市民の数を増加させ、消費される兵士と武器と予算が増加することになる。

一部の識者が指摘する重要な問題として、その武器と予算で得をする人間が、強者の近くに居る可能性があることである。つまり、強者(つまり強国の政府)は弱者が起こすテロの共犯者であるかもしれないのだ。

注釈:

1)諸国の承認を得ていないから国と呼べないと言う考え方がある。領土、領民、主権を持っていることが国家の定義だとすれば、彼らの主張が本当であれば国家と呼べないことも無い。議論があるが、ここでは便宜上、イスラム国と呼ぶ。
2)イスラム国に人脈をもつ、中田考氏(元同志社大客員教授)やフリーのジャーナリスト常岡浩介氏www.youtube.com/watch?v=rqnm8KzHh5Mを利用しようとしなかった。中田氏は要請があればイスラム国に出向く用意があると表明していた。
3)二人の日本人を救うための努力を十分しなかったにも拘らず、あの事件を利用して、積極的平和主義や邦人救助の名目で、自衛隊員の海外派遣を常態化する道を開こうとしている。
4)殺人などの行為は邪悪であるが、その邪悪は国境或いは法律を越えて成立しない場合もある。つまり、戦争で敵を殺すこと、法に従って死刑を執行することなどは、悪とは看做されない。http://note.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/n233038
5)不特定多数の者を対象に暴力を働くことがテロリズムの定義ではないだろう。暴力や脅迫で政治目的を達成しようとする行為で、外交の延長上に位置する形での戦争以外のものである。

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