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2015年2月24日火曜日

名演説の力: 昨夜のテレビ番組の感想

昨夜、池上彰氏が戦後の世界を変えた言葉について、その背景やその後の歴史の変化について紹介していた。面白く、且つ、為になる番組だったが、同時に強い不満感も持った。

その番組では、素晴らしい演説が紹介されていた。例えば、人種差別に反対するキング牧師の演説では、 “I have a dream that one day on the red hills of Georgia, the sons of former slaves and the sons of former slave owners will be able to sit down together at the table of brotherhood.”(私には夢がある。それは、いつの日か、ジョージア州の赤土の丘で、かつての奴隷の息子たちとかつての奴隷所有者の息子たちが、兄弟として同じテーブルにつくという夢である。)を筆頭にして、多くの形での人種差別をあげ、”I have a dream that "という同じ形の文章で繰り返し、その撤廃を聴衆に強く訴えている。そして、それらが心に刻み込まれるように工夫された名演説である。(http://aboutusa.japan.usembassy.gov/j/jusaj-majordocs-king.html)  (注釈1)

ケネディー大統領の演説も非常に有名である。その中の「そして、同胞であるアメリカ市民の皆さん、国があなたのために何をしてくれるかではなく、あなたが国のために何ができるかを考えようではありませんか。また同胞である世界市民の皆さん、アメリカがあなたのために何をしてくれるかではなく、人類の自由のために共に何ができるかを考えようではありませんか。」が特に有名であるが、それだけでなく世界のリーダーとしてなされた演説全体を味わうべきだと思う。http://www.jfklibrary.org/JFK/Historic-Speeches/Multilingual-Inaugural-Address/Multilingual-Inaugural-Address-in-Japanese.aspx

しかし、このような名演説を味わうときに、同様に重要なことは、キング牧師やケネディー大統領が凶弾に倒れたことである。その事実を深刻にそして同時に考えるべきだと思うのは、世界を動かしているのは、このような名演説を携えて登場する知性と勇気に満ちたリーダーなのだろうかという疑問が残るからである(注釈2)。

例えばケネディー大統領の暗殺の場合、明らかに綿密に計画されたものであると考えられる。そして、それを裏付ける様に、弟のロバートケネディーもその後暗殺された。上記疑問は、ケネディー大統領が暗殺されたことだけでなく、それ以上に、その暗殺とその謎に対して米国が十分な調査とその報告を行なっていないことから生じるのである。

冒頭に書いた強い不満感とは、昨夜の番組は片方の視点でしかこれらの名演説にふれていないからである。つまり、「世界を変えた名言から知る戦後70年」というサブタイトルをつけながら、「本当に名言は世界を変えたのか?」という疑問について何の答えも用意していなかったからである。

大衆が仮に、知性と勇気をもったリーダーを選ぶことが出来れば、世界が平和と繁栄に向かうという前提が成立するかどうか?それがイエスでなければ、大統領の名演説も現実の政治の中ではなく、人文科学(文学など)のなかでのみ意味を持ち、且つ、民主主義は実際に政治を動かす勢力の隠れ蓑の意味しか無いことになる。少なくとも、その疑問に答える努力が番組内でなされなければ、視聴者である選挙権者に誤解を与えることになる。

注釈:

1)この同型文を繰り返して演説する方法は、20年程前にフランクリン・ルーズベルト大統領が日本の真珠湾攻撃を非難する演説をラジオで行なった時にも用いられている。http://ameblo.jp/shinjiuchino/entry-10933130759.html 既に大統領は、無線傍受により攻撃を知っていたが、日本の不意打ちを強調して反日感情を全米に醸成する目的で、“Last night, Japanese forces attacked Hong Kong. Last night, Japanese forces attacked Guam.” と“昨晩、日本軍はXXを攻撃しました”を繰り返す方法を用いている。真珠湾攻撃の経緯を知っている日本人にとっては、これを聴いた時に米国民が抱いた反日感情の強さと同じ程度に、ルーズベルトの狡猾さに腹立たしく思うだろう。

 この演説は、キング牧師のものとは全く歴史的な役割が異なるが、聴衆に訴える手法は同じだろう。また、米国の政治的な強さは、裏舞台での緻密な戦略立案の後に、このような演説で国民の力を結集出来るルーズベルトのような政治家が存在することだろう(又は、だったのだろう)。
 因に、日本の民主党があれほど無様な姿を晒したのは、舞台裏(裏舞台ではなく)の協力が得られなかったからだろう。別の言葉で言えば、自分達が人形でありながら、自分の意志で動こうとして舞台裏に嫌われたのだろう。

2)キング牧師の演説の最初の方にこの様な文章が出てくる。文章、しかも憲法という形で書かれた”ことば”でも、100年間実現しないことについて、不渡手形という強い表現で非難している。
”100年前、ある偉大な米国民が、奴隷解放宣言に署名した。今われわれは、その人を象徴する坐像の前に立っている。この極めて重大な布告は、容赦のない不正義の炎に焼かれていた何百万もの黒人奴隷たちに、大きな希望の光明として訪れた。それは、捕らわれの身にあった彼らの長い夜に終止符を打つ、喜びに満ちた夜明けとして訪れたのだった。 しかし100年を経た今日、黒人は依然として自由ではない。100年を経た今日、黒人の生活は、悲しいことに依然として人種隔離の手かせと人種差別の鎖によって縛られている。”
”われわれの共和国の建築家たちが合衆国憲法と独立宣言に崇高な言葉を書き記した時、彼らは、あらゆる米国民が継承することになる約束手形に署名したのである。この手形は、すべての人々は、白人と同じく黒人も、生命、自由、そして幸福の追求という不可侵の権利を保証される、という約束だった。
今日米国が、黒人の市民に関する限り、この約束手形を不渡りにしていることは明らかである。”

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