主権国の憲法は、国家の理想と目標を、遠くまで将来を見渡し定めるものであると思う。そこには当然歴史が”背景として”存在するが、それは数十年のものではなく、長い民族の歴史でなくてはならない。
そのような視点で見ると、日本国憲法に奇妙に見える条文が多い。つまり、直前の戦争が大きな重みで各条文に”背景でなく主題として”存在し、主権国家が独自に制定したもので無い様に見えるのである。 先ず、前文の最初(注1)に「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにする」という文章がくる。まるで、不良学生の反省文みたいだ。そして、日本=「不良学生」という考え方は一貫しており、9条で最も強く表れている(注2)。9条:「正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求する」のは当然だとして、日本は「武力による威嚇又は武力の行使は永久にこれを放棄する」のだから、“不良学生”日本はただ平和を誠実に希求しておれば良いということになる。秩序回復などの場面は、“不良学生”の出る幕ではないのだ。そして、第二項は「普通の独立国には、交戦権という国際的に認められた権利がある。その権利を日本国は“不良学生”だから放棄する。」と読める。
何故交戦権が国際的に認められているのか?それは、他国は必ずしも、第一項にある様に、「正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し」ていないからではないのか?“不良学生”は日本だけではないのだ。正義と秩序を基調とする国債平和を誠実に希求していない国があっても、日本国は“不良学生”なのだから、殴られても応戦してはいけないのだ。
他にも、判り難い文章が多い。たとえば憲法27(注3)の勤労の権利と義務の条文などもまともな文章ではないと思う。何故、このような条文が憲法に必要なのか?定年退職して働かないのは、憲法違反なのか?勤労の権利があるのに、応募しても会社が雇用しないのは憲法違反ではないのか?だいたい、権利と義務が同居するのはどういうことなのか。「児童は、これを酷使してはならない。」とある。大人は酷使して良いのかと言いたくなる。また、この「何々は、これを何々」という文章が多いが、「(何人も)児童を酷使してはならない」というような文章に何故しないのだろうか。
結論:憲法は、数年間数内閣に亘る議論を通して、改正すべきだと思う。
注釈:
1)「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。」
2)日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
3)第二十七条 すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ。
○2 賃金、就業時間、休息その他の勤労条件に関する基準は、法律でこれを定める。
○3 児童は、これを酷使してはならない。
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