慰安婦問題についてもう少し本を読もうと、大沼保昭著「慰安婦問題とは何だったか」(補足1)を読み始めた。しかし、第1章で以下のような記述を見て読む気が失せた。
6ペイジ目に「過去の戦争と植民地支配で日本がどれだけ取り返しのつかない行為を犯してしまったかを国民自身が知り、問題に直面しなければ、問題は解決しない」と書かれている。
また、7ペイジにかけて、「こうした取り決め(サンフランシスコ講和条約と日韓基本条約)のない北朝鮮を除けば、日本の戦争と植民地支配に関わる賠償・保障問題は法的には一応「解決」していた」。
そのあとに以下の文章が続く。この文のエッセンスは、最初に引用した文章と同じである。「他方、国民の多くは日本が戦争と植民地支配でどのような非道・蛮行を犯したかを知らない。こうした問題の「解決(補足2)」がどれほど多くの被害者を放置し、中国や韓国などの国民の怒りの種になっているかも知らない。日本の政府と国民がともに歴史に対峙しなければ、日本はいつまでも被害を受けた国から批判されつづける。」
しかし、この著者の論拠には注意すべき点が三つある。それらは、1)異常な戦争の時代と平和の時代を峻別していないこと、2)講和条約や日韓基本条約の役割を十分考慮していないこと、3)国家と個人を明確に分けて議論していないこと、である。
確かに、軍に同行して多くの兵士に性サービスを提供する日常は、代償として高い給金をもらっていたとはいえ、現代の視点で考えれば非常に過酷な境遇である。しかし、満州や千島を南下して女さらいや強姦を繰り返したソ連兵の行動について、どう評価するのか。もちろん、ベトナムでの韓国の慰安婦制度についても言及するひとも多い。http://www.sankei.com/world/news/150513/wor1505130021-n1.html
悲劇的で異常な当時の世界の中で、日本軍周辺の慰安所だけをクローズアップする手法は、全体的に鬱憤がたまった集団において、弱虫を見つけ出して袋叩きにする学校での虐めと酷似していると思う。
講和条約や日韓基本条約(以下講和条約等)は、戦争の時代が終わったことを敗戦国と戦勝国が宣言する行為である。具体的には、講和条約等以前の出来事の評価とその埋め合わせを取り決め、今後はこの講和条約等の時点を起点にして両国関係を考えましょうという公的な約束である。そして、「そののちの出来事は通常の価値判断で互いに処理しましょう」という意味も当然含まれていることである(補足3)。
戦地で食料に困窮すれば、現地の家に押し入り食物を奪うこともあるだろうが、講和条約前の判断基準では敵軍に向かう兵士の補給行為の一つとなるだろうが、平和時では強盗となる。国民国家における徴兵制度は、”殺人鬼奴隷制度”である。殺人鬼と性サービスのどちらが非人道的なのか? 従軍慰安婦だけ、平和時の価値基準で評価してこの本は、世界の日本パッシングに協力している。(英国ガーディアンの記事のコラム参照)因みに韓国は、強制連行があったとする物的証拠を示さず、元慰安婦の曖昧な証言を証拠としている。一般の裁判では物的証拠を必須としても、日本パッシングでは証言で十分だとする欧米の態度は卑怯である。
国家が歴史に対峙することは当然であり、講和条約後に戦争時にあった個々の事象について改めて評価することはあっても、それは今後その様な状況に陥らない様にするためである。つまり、個々の事象についての評価を外交に反映すること、例えば、改めて謝罪する必要は特別な場合を除いてない(補足4)。
国民各自が歴史を勉強すること、歴史上の個々の出来事を各自評価をすることは大切だと思う。しかし、それは私的なこころと知識の問題であり、国家の外交へ反映させるためではない。国家に永続性があっても、国民はすでに世代交代しているのであり、歴史に”対峙”(補足5)などできない。
それら根本的な諸点で上記本の著者はまちがっていると思う。
補足:
1)中公新書2007年、大沼保昭氏は当時国際法選考の東大大学院教授
2)この「解決」は「講和条約や日韓基本条約での解決」の意味
3)わかりやすい例では、殺人は戦争行為ではなく犯罪行為となる。通常の刑事犯として処罰される。
4)個々の事象についての評価を、講和条約後にそれぞれ外交に反映すれば、戦後秩序の破壊に繋がる。
5)辞書によると、対峙とは「対立する者どうしが、にらみ合ったままじっと動かずにいること」である。当事者でないのに、対峙などできるわけがない。「対峙しろ、謝罪しろ、保障しろ」という韓国人のほとんども当事者でない。
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