近年の経済発展と政治経済のグローバル化は、米国が牽引車としての役割を担っている。世界中でFTAやTPPのような自由貿易協定が結ばれれば、生き残れる企業は一つの分野で数社という寡占状態に行き着き、その競争から脱落した企業は生き残れなくなる。その筋書きは、一部でユダヤ金融資本により作られたと言われているが、私にはわからない。
生き残り企業に乏しい国では、多くの人が世界企業傘下の現地法人の従業員として採用されたとしても、その企業のほとんどの利益はその企業の資本家、つまり主にその企業を輩出した国の資本家のものとなる。つまり、その様な国は外国資本の植民地と言える。一次産業が主だったころの植民地は、土地を奪われるタイプのものだったが、近年の植民地は資本による支配を受けるタイプのものになったのだ。
その様な資本の植民地となった国の役割は、その国特有の資源をグローバル企業に差し出すこととなる。そして人々は、地域密着型の農業等一次産業に従事する人、グローバル企業の資本家として勝ち残った少数の人、その企業での労働者、小売業など従業員などとして、細々と生きる。
現在、一定の技術を持ち一定の顧客を持つ日本のトヨタのような会社は、そしてその様な企業を一定数持つ国家は、外国資本の植民地には差し当たりならないだろう。しかし、米国資本等は新しいタイプの技術や産業(補足1)でもって、戦場を拡大し、世界制覇を狙っているように見える。
また、環境保全(補足2)や地球温暖化(補足3)という新しい概念は、決して人間の健康や世界の気候の安定を考えてのことだけではない。それらは、新しいルールを世界に強要して、途上国に多く存在する限られた資源の保存と、中程度工業化国家の企業を淘汰するためであると考えている。それらの技術面と政治面の両方向からの企みにより、最終的にはグローバル資本が世界中を支配するような地球になるかもしれない。
そのような世界で世界資本に支配された国々は、米国の調教による“自由と民主主義を重視する社会”を形成するものの、繰り返しになるが、米国以外の国の役割はその国特有の資源(補足4)を米国企業に差し出すだけとなる。現在でも既に中東諸国は、政治体制は違うもののそのようなタイプの国となっていると思う。石油などの資源がある場合は、かなり裕福な生活がさしあたりできるが、資源が枯渇すると未来は暗い。資本家だけが生き残れるが、それも米国等へ逃げるしか生き残る道はないかもしれない。
更に資本植民地候補として、韓国などの国である。経済評論家の三橋氏などが指摘する様に、サムソンや現代は韓国の企業ではないという根拠は、それらの株の大半は外国人所有であることを意味している。日本の大企業の株主の30%以上も既に外国人となっている。日本の場合、多額の資本投資を外国に行っており、現在の所貿易終始が赤字でも経常収支は黒字である。
補足:
1)具体的に、トヨタを考えてみる。トヨタのさしあたりの課題は問題化する順で、1)環境を配慮した車での競争で勝ち残れるか、2)自動運転車の技術の競争に勝ち残れるか、3)自動車の個人所有が不要になる時代がこないか、の3つである。1)は、プラグインハイブリッドの競争である。燃料電池車が主流になればトヨタは有利である。2)は、グーグルとフォードが提携するので、やはり一歩遅れているのではないか。3)は、アマゾンなどの会社が自動運転車を一定数保有して、いつでもネットからの発注で配車してくれるため、社会が必要とする自動車の数が激減するのである。このように考えると、日本もそして代表的企業であるトヨタも安心してはおられない。
2)クジラやイルカの保護、森林保護、サンゴ礁の保護も大切ではあるが、それよりも人間社会の平和と繁栄が大事である。
3)地球温暖化が急激にすすむとした有名な論文(Mann, Bradley and Hughes: Global-scale temperature patterns and climateforcing over the past six centuries, Nature, 392, 779-787, 1998.)に捏造疑惑がある。なお、この問題については以前のブログで議論したので引用しておく。
http://rcbyspinmanipulation.blogspot.jp/2014/08/blog-post_26.html
重要な点は、気温測定ポイントが都市化してもそれを変更せず、地球の気温を測定しているのか都市化を測定しているのか分からない杜撰さを放置していることである。
4)観光資源もその一つである。ギリシャなどはこのタイプの国の一つだろう。
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