1)人間は言葉を話す唯一の生物である(補足1)。言葉を話すことにより人間に表裏ができた。発した言葉が表で心の中が裏である。「表裏の無い人」と言う言葉がある。「表裏の無い人」は表裏の違い、つまり、表で発せられた約束などの言葉と実際の行動とのずれ(補足2)の無い人を褒める言葉である。
そのような人は当然立派で褒めるに価する人ではある。その人は自分の発した言葉に責任を持つ人であるが、表裏が無いわけではない。一般に「表裏の無い人」というのは、本音は別にあってもそれを制御して、社会の中での自分の責任を承知し、それを果たす人のことである。上記タイトルの意味は、この表裏の差は本質的なものであり、むしろなくしてはならないという意味である。
直接関係はないが、細胞の内外(表裏)で大きなナトリウムイオンとカリウムイオンの濃度差がある。この表裏の差が神経での信号伝達など生物の命を支えているのである。生命は、そして人間の体も心も、そのように作られている。
人間の生活に目を転じても、表と裏や“ハレとケ”の区別が社会の構造を支えてきた。しかしそれが、経済発展とともに氷解するようになくなりつつある。個人も社会も、暑くなって衣服を脱ぎ捨てるように、表と裏の差もハレとケの区別もなくそうとしている。小泉内閣のとき、国会でもノーネクタイがクールビズとかなんとか言って推奨されたのもその一例である。
もう一つの重要な例が、性(セックス)が表の世界にしゃしゃり出たことである。性は人間にとって個人の裏(内部)に封じ込めておくべきことだったが、それが上記社会の変化に伴って、大手を振って外に出てきたのである。細胞内のカリウムイオンのように家庭の夫婦間に性を封じ込め、外での濃度を低く保つことが、人間にとっての性の意味とポテンシャルを維持しつつ、性のモラルを保つことになるのである(補足3)。それにより家庭という細胞の崩壊を防いで来たのだが、最近は家庭や家族の価値も低下する方向にある(補足4)。それは社会の崩壊の始まりである。
昨今、その人類が築いた知恵をないがしろにする場面を屡々テレビなどでも見る。外国に来て職をもらい、テレビに出演させてもらいながら、不埒な発言をする人物もいる(補足5)。
2)一旦発した言葉に責任を持つと同時に、他人が発した言葉をそのまま受け取りその人の意思の表明と考えるのが、先進社会のルールである。そして、言葉に信用を置けない社会では、社会のあらゆる機能:経済行為、契約行為、行政から司法までの国家の行為、さらに外交関係にまで、障害が生じる。外交でどちらにでも取れるような言葉を多用する日本国は、その点では後進国である。
言葉に信用が十分おけない社会とは、絶縁のとれていない基盤の上に組んだ電子装置のようなものである。少しでも漏電するような装置は満足に動くはずがない。社会機能を保つのは、人間の言葉の信用であり、それは屡々本音の一部を心の中でフィルターにかけることで保たれる。つまり、本音と建前を分離して、互いに建前を大事にすることが社会の機能を保障するのである。
しかし、言葉には常に意味の広がりや曖昧さが伴うので、正確な意味を互いに確認する作業が、混乱を避けるために必要である。そして、その言葉使いの歴史が、言葉を育ててきたのだろう。
3)同様のことが国家と国民の関係でもいえると思う。民主主義国家では、国民が国家の最高機関である国会の構成員を選び、その国会からあるいは別途選挙で行政府の長を選ぶ。その行政府の長が政府の上層部の人事を決定する。そして、国民の前に見せる国家の姿(表の姿)は、政府が発する言葉とデータ(実績)である。
しかし、裏から見た国家の姿は大きくことなる。政府内部で実質的に多くの企画や戦略策定などの仕事をしているのは、官僚である。官僚に対して情報を持ち込むのは、諜報機関(CIA, M16, KGBなど)や国家戦略研究所などのシンクタンク(補足6)などである。更に手足となる軍隊や警察などの組織もある。政府の発する言葉やデータを選挙民は選挙における投票の材料にするが、それらは上記の政府機関全体が作ったものである。
選挙民である国民は、政治の主人公というより客である。選挙で行うのは、政府の出したメニューに対する選択あるいは可否の判断である。その判断が的確であれば、政府はより国民の期待する方向に成長するだろう。それは、客の舌が肥えて来れば、料亭の料理人の腕が上がるのと相似形である。いちいち厨房に行って、内部を見る客はいない。
従って、この国家内部からみた官僚組織、諜報機関やシンクタンク、軍隊組織などが、それらしく成長していなければ、民主主義政治は混乱するだけで、衆愚政治となるだろう。アラブの春の失敗は最初から予想されていたはずである。その時点までに、国民からのフィードバックを政府が取り入れるプロセスを経験していなければ、混乱するだけだ。
補足:
1)他の動物では行動の延長上に発する声があるが、それは論理を伴う言葉ではない。論理がなければ嘘も真もなく、表裏も生じない。つまり、唯一人間のみが裏表のある動物である。
2)100円と1ドルの差は、ドルを円に換算しないと取れない。上の例では、言動から予想される行動と実際の行動の差でも良い。単純なことのようだが、本当は簡単ではない。例えば、「拉致問題解決のために全力を尽くす」という言葉と、北朝鮮の国連制裁決議の発議国となるという行動は、言行不一致に思える。つまり、表のことばと異なり、「拉致問題を軽視する」のが現政権の裏だと思う。しかし、行動から裏の言葉に変換するには知識がひつようだからである。
3)最近の性の乱れと同時に草食系と言われる人々の出現の理由は、この文章で自ずと明らかである。
4)下重暁子という元NHKアナウンサーの書いた「家族という病」が非常に良く売れている。
5)3日ほど前、朝のテレビ番組ビビットで金慶珠という怪しげな人が、「セックスもすてき」ということを雑談に紛れていっていた。こんな女に日本の電波が穢されることに不快感を感じた記憶がある。
6)米国のシンクタンクのリストがあった。https://www.spc.jst.go.jp/link/under/list_usa.html
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