1)大相撲春場所は白鵬の全勝優勝で終わった。最後の取り組みでは、鶴竜が横綱の意地を見せ、まさに大相撲となった。その相撲で、白鵬は右腕の筋肉を痛めたようである。優勝カップも自力で持つことができなかった。
その後、優勝インタビューを受けた時、表題の場面となった。客席に向かってお決まりの発言をしたあと、三本締めを行ったのである。この件、そのような立場にない白鵬が、余計なことをしたと再び問題となっている。
大相撲は神への奉納相撲である。世界を支配する神に、奉納の相撲をとるのが相撲取(力士)の役割であり、相撲取には人々を指揮し、その神聖なる場を支配する立場にはない。(補足1)一般には今や形式だけに過ぎないという意見もあるだろうが、大相撲の立場(公益法人の資格を持つ)からすれば、白鵬の行為は大相撲そのものを否定する行為である。
白鵬には前歴がある。2017年の九州場所でも、優勝インタビュー後に万歳三唱の音頭をとり注意をうけた。この時の注意の意味が、白鵬には十分理解できなかったのだと思う。それよりも、大横綱の彼に、横綱審議委員会という訳の分からない連中が偉そうに注意してくる事が、腹立たしく強く記憶に残ったのだろう。
今回、再び横綱審議委員会が注意してくることは想像に難くない。それが分からない白鵬ではない。しかし、今回は「引退」という切り札があると、白鵬は考えただろうと私は思う。横綱審議委員会の厳重注意と白鵬の引退で、釣り合いが取れる。母国モンゴルの人たちも納得してくれるだろう。
単なる推測に過ぎないが、私の“読み”を続ける。今後相撲をとることを考えれば、今回の怪我はかなり深刻である。もう優勝はないだろうと、白鵬は判断したと思う。巡業も厄介なので、やめるだろう。無駄な治療の努力をするために、病院などに行くほどのこともない。日常生活のための回復は、それで可能な筈であると考えたのだろう。
2)上記2017年の九州場所での件は、異文化で育った白鵬には理解できなかっただろう。そして、以下のようにと思ったのかもしれない。
「現在そして歴史上も、トップに君臨する相撲レスラーなのだから、全勝優勝後に万歳三唱の音頭を取って何が悪いのか。しかし、あの時は甘んじて注意を受けた。」
「しかし、今回は短く“引退します”といえば終わりである。朝青龍が“もう帰ってこい”といったのだから、日本のファンにまで非難が広がれば、モンゴルに帰ろう。」
同じ相撲といっても、モンゴルの格闘技である相撲と、横綱審議委員会が神事であると考えている日本の相撲は、外形的には非常に似ていても本質において全く異なる。日本相撲協会は、その異なる文化圏から、金儲けだけを考えて相撲取を勧誘した。これは、大相撲は神事であるという公益法人にふさわしいやり方なのか?
これまでの大相撲における、モンゴル力士のマナー違反など数々の問題事の背景に、この根本的問題がある。私は、その原点から考えもしないで、嘗てのように朝青龍に対して、そして現在白鵬に対して、彼らが理解できないような注意をすることには反対である。(補足2)
つまり、それは相撲協会とそれを取り巻く横綱審議委員会などの人たちの身勝手であると私は思う。
相撲を今後とも、国際的なスポーツとするのなら、神事の部分を廃止し、公益法人の身分も返上して、新時代の大相撲に大変身してはどうか。どう見てもおかしい張り手などの技、怪我をしやすい土俵とその周辺の形、わかりにくい立会い、現代人には滑稽に映るチョンマゲなど、一気に変えればどうか。
もし、伝統行事にこだわるのなら、異文化の外国の人を相撲界に勧誘する事はやめた方が良い。少なくとも、日本国歌を表彰式のときに明確に歌える人のみを、相撲取にするべきだろう。
今回の件、今後問題が大きくなるだろう。大相撲は、モンゴルを世界の中でもっとも友好的な国にした(補足3)。それを相撲協会の、大きな業績として残すべきだろう。その為に、外国人相撲レスラーには、イントロダクション(初期教育)を徹底的に行い、契約書を交換することが大切だろう。更に、上記のように相撲協会の生まれ変わりをすれば、国民の理解が得られるだけでなく、グローバルなスポーツとして成長するだろう。(補足4)
補足:
1)人々を指揮するのは、神の意思にそった正統な人物の仕事である。大相撲という神事の場を仕切るのも、その正統なる人物から委任を受けた者(その場では、日本相撲協会理事長)の仕事である。この古い考えは、東アジアの伝統的思想であるが、それに根拠を持つのが公益法人・日本相撲協会という組織である。
ここで、神の意思に代わって人間を指揮する(つまり国を治める)のは、中国の皇帝や日本の天皇である。中国の史記や日本書紀は、まさにその人々を指揮する最高の立場の人間(皇帝)の正統性を書いた書物である。
2)白鵬の行った万歳三唱や三本締めは、横綱であっても一人の相撲取が行うことではない。それは、補足1のような理屈以前の問題である。ただ、日本文化の中に生まれた相撲取は、特別な教育をしなくても、あの様な場で三本締めなどする筈はない。それが本当の意味での異文化の壁である。異文化の壁は、学校教育や研修などでは克服できない。そもそも、見えない壁であり、その見えない壁は殆ど克服不可能な壁でもある。(今回の新移民法の問題点であり、EUが苦しむ移民問題でもある。その根本は、異文化の壁は見えない壁であるという事である。)
3)モンゴルは、東日本大震災の時、一人当たりのGDP比で、世界でもっとも多くの義援金を送ってくれた。
4)以前のブログ記事で、相撲の近代化と外国人力士の問題を議論している。それらのうち主なものは、以下の二つである。
①相撲と取り口についての考え方:
https://rcbyspinmanipulation.blogspot.com/2016/03/blog-post_28.html
②国際化への決断を促する:
https://rcbyspinmanipulation.blogspot.com/2015/07/blog-post_21.html
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