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2019年4月4日木曜日

ある米軍用プロパガンダ映画とその解釈について

米軍用プロパガンダ映画 米国在住の方のブログ記事により、対日戦争にある米国の反日プロパガンダ映画の存在を教えてもらった。https://www.youtube.com/watch?v=zBIfnPyK4rw ブログ記事の表題は、「続・敵国から見た日本文化」https://blogs.yahoo.co.jp/kiko10da/MYBLOG/yblog.htmlである。

私から見てそのプロパガンダ映画の内容は、当然のことだが滅茶苦茶である。ただ、そのブログ記事(ハンドル名:chukaさん)では、そのプロパガンダ映画における日本文化の解釈を引用し、一定の評価を与え解説されている。今回は、その方のブログ記事の中で紹介された部分について、その誤りを指摘したい。以下に、chuka氏のブログ記事からの引用部分を緑字イタリックで示し、その後ろに私のコメントを書く。

この映画での武士道というのは権力奪取の道であり、その手段として奸計・裏切を常習とするとなっている。そして日本の歴史は武士階級が政権を握って以来、この熾烈な権力闘争のりピーとである、というのだ。



chukaさんは、この武士道の見方をユニークだとして引用されているので、一定の評価をされているのだろう。しかし、「武士道とは、奸計・裏切を常習とする権力奪取の道である」というのは、とんでも無い解釈である。武士道とは、儒教的な考えを柱にして、主人に仕える道である。諜報活動とそのための裏切りも、CIAやMI6並に行うだけである。(補足1)

天皇は、大昔は宗教および武力の覇者であったが、明治以前は太陽神の子孫として単なる宗教的継承者に過ぎなかった。



これも誤解であり、江戸時代でも天皇は現在の英国王室のような「君臨すれども統治せず」に近い。何故なら、江戸の将軍は、天皇より征夷大将軍の称号を受けて初めてその地位を得ていたからである。因みに江戸幕府とは、征夷大将軍の率いる軍の基地(城)の意味である。

日本人は八百万の神を拝んで暮らしてきた。それは今日も変わっていない。天皇家というのも庶民にとっては諸々の神の一つに過ぎない筈である。



これも誤解である。神が八百万も存在する筈はない。自然神が、様々な所に現れるというだけである。富士山を拝むのも、御嶽山を拝むのも、実は同じ自然神を拝んでいるのである。神を一つ二つと数えることなど、本来の神道ではしないだろう。(補足2)天皇は神ではない。神道の筆頭神主であり、カトリックで言えばローマ法王に相当する。

戦争中、「天皇陛下万歳」と言って玉砕したという反論があるかもしれないが、万歳とは長寿繁栄を願う言葉であり、神に対する呼びかけではない。天皇に父祖の神への祈願をお願いしているという意味である。

キリスト教は多神教を認めない、また神の前では人間は平等、を信徒に厳しく要求する教えであるから、日本的な宗教観が破壊されるという事もあって豊臣秀吉と徳川家康がキリシタン弾圧に走り、鎖国を強行した。



これも間違いだと思う。キリスト教ではキリスト教信者でない人間を、まともには人間と認めない。それはイスラム教でも同様である。上記chuka氏の考えの通りなら、西欧の国王は全てキリスト教を信じるわけにはいかない。

また、秀吉がキリシタンを弾圧したのは、キリスト教の人種差別的思想が日本文化と相性が悪いからである。つまり、秀吉がキリシタン弾圧に踏み切ったのは、イエズス会の“連中”が日本の薩摩などの悪党から調達した婦女子を、東南アジア方面に“輸出”することに加担したからである。(https://ja.wikipedia.org/wiki/バテレン追放令)

李氏朝鮮も日本と同じく鎖国を続けたが、開国後日本によって併合され滅亡した。

これも誤解が多い表現である。
動画では、19世紀末の東アジアに関して、「清国は開国したが、日本は鎖国を続けた」という語りがあった。それも、とんでも無い誤りである。清は、英国などの好きなように料理されただけである。更に、上記のchuka氏ブログ内の李氏朝鮮の滅亡だが、日本の所為だけにしないでもらいたい。

日清戦争と日露戦争の原因は、ロシアの南下から日本を防衛するための戦争である。朝鮮が独立国としての体裁を整えていれば、日本が場合によっては大敗することを覚悟して、日露戦争など始めなかっただろう。(補足3)その日本を見て、東アジアでの野心を具体化しようと考え、積極的に協力したのが米国である。その一環として締結された密約が、日本が朝鮮を併合し米国がフィリピンを植民地化するという桂タフト協定である。

このような複雑な国際史の背景を無視して、李氏朝鮮の滅亡を日本の所為にするのは、単純明快だが、日本側にとっては迷惑な話である。

chukaさんの記事では、最後にもう一つの動画について(https://www.youtube.com/watch?v=3TY6tnNGORU)の解説も追加されているが、それについては後ほど必要があれば、コメントを追加する。

補足:

1)武士道では、卑怯な態度を嫌う。一対一の戦いを好むのは、背後から敵を襲うことを卑怯だと考えるからである。「敵ながらあっぱれ」という言葉は、敵軍の戦士が実力を発揮した(つまり、自軍にとって大きなマイナスにつながった)時に送る言葉であり、裏切りや奸計が躊躇なく用いられる戦争文化の国には、そんな言葉などある筈がない。 また、1942年3月、インドネシアスラバヤ沖回線で撃沈された、イギリス軍艦の漂流乗組員422名の救助を命じ実行させた海軍軍人工藤俊作は、紛れもなく日本海軍軍人である。

2)多神教という言葉は、ほとんどの場合、神が多くの表現をとって(多くの神体に)現れるという意味だろう。神体とは神が宿る存在であり、神体が神自体ではない。そう考えると、古事記などに出てくる神話はインチキ臭い。それとの関わりで言えば、伊勢神道は本物の神道あるいはオリジナルな神道ではない。優秀な歴史家である岡田英弘氏は、古事記は偽書であるという立場をとる。

3)李氏朝鮮は、清国の属国であり、軍事に無関心であった。19世紀末、ロシアが南下して脅威となったので、朝鮮は清国にロシアとの戦いを強制されたが、ロシアに簡単に負ける。その後、王妃の閔妃を中心に親露派が勢力を増し、それに反対する勢力により閔妃は殺害されるなど、朝鮮の政治は混乱する。ロシアが強いと見た高宗は、一時期ロシア領事館に住み込んで、朝鮮の政治をする始末であった。このような朝鮮の状況を、上念司は強盗(ロシア)などに親近感を感じるストックホルム症候群という言葉で形容した。)武士道では、卑怯な態度を嫌う。一対一の戦いを好むのは、背後から敵を襲うことを卑怯だと考えるからである。「敵ながらあっぱれ」という言葉は、敵軍の戦士が実力を発揮した(つまり、自軍にとって大きなマイナスにつながった)時に送る言葉であり、裏切りや奸計が躊躇なく用いられる戦争文化の国には、そんな言葉などある筈がない。 また、1942年3月、インドネシアスラバヤ沖回線で撃沈された、イギリス軍艦の漂流乗組員422名の救助を命じ実行させた海軍軍人工藤俊作は、紛れもなく日本海軍軍人である。

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