1)日本企業が抱えた五つの大問題
表題は米国在住の冷泉彰彦氏(補足1)の記事の題名からとった。元の題名は、「もはや笑うしかない。日本の生産性をダメダメにした5つの大問題」である。MAG2NEWSの人気記事だという。https://www.mag2.com/p/news/426391/3
此方は全くの素人。小さい組織での研究という経験しかない元理系研究者には、議論も無理な課題のように思った。しかし、非常に大事な問題の議論でありながら、上記記事は問題の在処の中心にまで切り込んでいないと感じたので、自分の考えをまとめる意味もあり、短い文を書いてみた。コメントなどがあれば是非教えていただきたい。
この記事の主題は、日本の労働生産性(2017年)が先進国中最低で、OECD36ヶ国中20位の4733円(47.5米ドル)に低下したことの原因である。上記記事の分析は、以下のように要約される。
1。仕事が専門家に任せるという形になっていないこと。その部分に慣れた頃に、その従事者をローテーション人事で他の分野に移動させるので、使ったエネルギーの割に仕事の能率があがらない。
2。専門家化されていない人事の結果だが、権限が現場に降ろされていない。その一方、権限のある人には(アップデートされた)専門的技術や知識がない。そのために意思決定に時間がかかりすぎる。
3。一人当たりの会議参加時間が長すぎる。それは、幹部候補には全社的な動きを知らせるべきだとか、新企画はスタート段階から関連者の全員参加で会議しないと組織が動かないというような非合理な風土にある。しかも、現場の知識ある人が発言を控えて、素人だが権限のある人がダラダラ思いつきで喋って時間を取る。
4。コンプライアンスという言葉に踊らされて、規定や規則を増すため、文書量をふやしてしまう。これは、法令や社会正義の核を理解しない、コンプラ恐怖の経営者が規則を作って対応しようとすることに原因がある。
5。多国籍企業になっても、社内公用語が日本語の場合、文書は二つの言語で廻り、業務量は倍増化したり、誤解が生じたりする。
この5つの項目のうちの1−4は、要するに現場は高度な専門家として仕事をし、それを管理部門が統合するという形での会社経営が、日本では取り入れられていない。それは、会社の経営も同様で、専門家ではなく多くののセクションを経験した叩き上げがその仕事に就任する。
この日本の文化を引きずったままの企業では、国際競争が厳しい現在、勝ち残りは不可能だという指摘である。その問題提起が上記文章の全てであり、それでは、解決に向けた視点を読者に全く与えない。
2)カルロス・ゴーンの言葉
その解決には、西洋式の労働文化を取り入れれば良いのだが、日本では当然非常に困難かもしれない。兎に角、その理由を以下考えてみる。
日本では、労働つまり仕事が人生の中心あって、人生のほとんどを占拠していることが問題の核心である。従って、その問題の解決には、就業から終業までの労働時間と、それ以外のプライベートの時間を峻別し、労働を人生の中で相対化することが必要である。
その次に、会社と労働者の関係を、例えば国家がイニシアティブをとって、仕事の提供と報酬の受け取りという形の関係にする。よく言われている同一労働同一賃金の原則の徹底である。
人生における仕事の意味の相対化と、同一労働同一賃金の原則は、労働の流動性を高める。
仕事上の能力は、人的関係の束縛を離れて、お金と同様に社会の中をお金と逆方向に流れることになる。(補足2)
突然に職を失ったような場合でも、他の会社の同様のセクションがその仕事を必要としていれば、そこを新しい仕事の場とすることが可能となり、同等の報酬が得られるだろう。それは会社にも解雇という自由が増加して、経営の枠が広がる。年齢差別や性差別なども大きく減少するだろう。
人間として平等であるという関係が組織の上下で成立すれば、会議が解決しようとする問題が現場での双方向の議論で解決される。何処かで読んだのだが、あのカルロス・ゴーン氏が言っていた言葉が印象にのこっている。「フランスでは、トップが何かを決めた時、議論が起こるが、日本ではトップが何かを決めたら、議論は終わる」と。
社長と社員が就業時間内でもファーストネームで呼び合うようなフラットな人間関係が、上記西欧型の労働文化で可能になる。そして、各部門の専門家と管理部門の専門家の間での円滑な双方向の情報伝達も徐々に文化として定着するだろう。
3)運命論:
ただ、日本と西洋の労働文化は、二つの谷の流れのように、高い山で隔たれているだろう。それは、昨年書いた記事「国家の没落を我々は食い止められるのか:ロックインモデルを用いた考察」に述べた通りである。https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12560835048.html
日本型労働文化は、日本の武士階級が作った儒教を根幹に持つ労使の文化であり、それは多くの因子の調整の結果として日本に定着した。それは一つの整合性を持った日本型の株式会社という組織を作った。
そこから、西欧型の労働文化への乗り移りは容易ではない。それは日本そのものの否定にも匹敵するほどの大改革である。その解決の方向は、おそらく、日本人が嫌うグローバリズムかもしれない。この大問題は、問題提起しかできないようなレベルの人では、解決の緒さえ見つけられないだろう。
補足:
1)冷泉彰彦はペンネーム。あの藤原家の傍流の冷泉家とは無関係である。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%B7%E6%B3%89%E5%BD%B0%E5%BD%A6
2)自分が得意な分野で仕事をして、その報酬としてお金をもらうという労働文化の国では、必然的にその仕事は専門的になるだろう。そして、高い報酬は難しい仕事をこなす専門家に支払われる。
(21時20分、補足2追加)
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