岡田英弘著「歴史とは何か」には、「歴史は物語である」と書かれている。物語(歴史)の著者は、その歴史の舞台である国或いは地方を統治した者である。アジア最古の歴史書である司馬遷の史記は、前漢の武帝の指示により書かれた物語である。同様に、日本書紀は天武天皇の指示により書かれた大和朝廷の物語である。それら歴史書では、前者では漢、後者ではヤマト朝廷の正統性が主張されている。
そして外交は、これまでの両国家の物語としての歴史(或いは改竄した歴史)を前提にして行われる。"真実の歴史"を明らかにし、それを主張するのは学者の仕事であるが、それをそのままリアルタイムで政治の舞台で主張することは、プロパガンダと見做され、陰謀論という言葉で逆襲される場合が多いだろう。
同じ地域でも王朝が交代すれば、新たな歴史が出来上がる。そこで過去の歴史を持ち出すことは、現王朝により犯罪として裁かれるだろう。王朝は、彼らが正統とする歴史の延長上で政治を行う。地下にゴミが埋まっていても、それを掘り返すことに専念していたのでは、森友学園の建物は永遠に建設できないのと似ている。(補足1)
この現状に至った経緯を、素人ながら考えてみたので以下に記す。西欧で出来た19世紀の政治文化は、過去の遺物であることを知るため、そして同時に、現在とその延長上に出現するだろう政治文化について考えるためである。
1)西欧の主権国家体制下に出来上がった戦争文化の発生について
主権国家間の戦争は、自国を善とし敵対国を悪とする、善と悪の戦いである。この戦争のモデルは、国民が戦争参加する上で必須である。有史以来かなり長い期間、戦争での決着は相手側の人間を完全に殺すか奴隷にすることで着けられただろう。その場合、勝った方が善となり、負けた方は悪ということになり、勝者の歴史は自然と正史として定着する。これが「力は正義なり(Might is right)」であり、「勝てば官軍」の意味である。
この戦争のあり方(戦争文化)が、徐々に変化したのは、経済構造の変化による。(補足2)農業や工業の発達により、国家も巨大化し権力の移動のサイクル、つまり歴史サイクルが長くなった。また、文明の発展は、限られた能力の人間に様々な仕事を要求し、それが必然的に仕事の専門化と分業の原因となる。異なるタイプの人々が協力して社会全体を支えることになる。
戦争はそれを専門とする兵士が行う。政治は政治家が行う。畜産は、畜産専門の農家が行う。家畜の屠殺と解体は専門とする肉屋が担当する。その結果、社会を構成する大部分の人々は、血なまぐさい現場から離れることになる。戦争間の期間も長期となる一方、個々の戦争は大規模になり、悲惨な光景を見ることになった。それに嫌悪感を感じるのは、本来社会をつくり協力して生きる存在の人間なら当然である。
近代史の主舞台である西欧では、皇帝たちは婚姻関係を結ぶことで自国の安定を考えた。
そして同じキリスト教という文化の基盤を持つこともあって、人道を重視するようになる。そのような結果として出来たのが、19世紀の西欧における戦争文化だと思う。(補足3)
主権を互いに認める国家群のなかで、戦争の決着に影響をしないような悲惨な事態は避けるという事前の約束が、1899年のハーグ陸戦条約である。捕虜虐待の禁止や一般市民の殺傷禁止などのルールが戦争に持ち込まれた。そして、19世紀から20世紀の初めまでの西欧では、「戦争は外交の一形態」(クラウゼヴィッツの戦争論)という”戦争文化”が出来上がった。
戦争は勝敗が着いたと当事国が判断した所で講和を行い、敗者が勝者に紛争の原因となった利権を渡すことと、一定の賠償金を支払うことで決着をすることになる。多くの場合、仲介国があって、このような講和が実現しただろう。この情況は、個人を構成員とする社会と似た、主権国家間の社会“国際社会”の発生である。国際的権力はないものの、条約という権威だけの社会が出来上がっていたということになる。
2)西欧の戦争文化の退化と破壊:
その戦争文化の部分的な破壊は、“国際政治経済”に西欧以外が多く参加したことが誘引となったのだろう。あらたな参加者は、ヨーロッパから遠いアジアと呼ばれる地域(トルコより東)や米大陸の人たちである。民族としては、流浪の民として世界に散らばったユダヤ人や極東に生きるモンゴリアン(蒙古人、中国人、日本人)たちだろう。
経済が金本位制(或いは銀本位制)での成長を終え、紙幣と云う“金(gold)の預り証”が取引を仲介する金融資本主義の時代になると、金融取引に長けた人たちが大きな力を持つようになった。17世紀に出来上がったと言われる主権国家体制だが、次第にその主権の一部を返上して国際条約を締結する時代に入る。以上の世界経済の変質(貿易や国際金融の進展)は、世界史の舞台を西欧からアジアや米大陸を含む世界全体に拡大した。
西欧という狭い範囲でのキリスト教文化は、遠く離れた野蛮人の地に向かうことで、神通力を失う。異教徒は元々敵だが、野蛮人はそれ以下であり、強姦、強殺、アヘン漬けの対象になったのだろう。“化外の地”では、人間は手錠を外された獣に先祖返りするのは、洋の東西を問わない。
その結果、これまで欧州限定で成立していた戦争文化は変質し、①国際関係の原点は野生の原理であること、②歴史はそれまで生き残った戦勝国の成功の物語であること、③講和は自国の戦争モデルの放棄であること、が世界の戦争文化となり、人類の政治文化は原始時代に向かって大きく退歩したと思う。そこでは真実は主役から完全に沈み、「力は正義なり」の野生のルールがそのままの意味で主役として復活した。
3)講和条約の意味を日本人はもっと深く考えるべき
それでも敗戦国の国民が全員殺されたり、奴隷になったりする時代までは未だ戻っていない。現状、戦争が決着すれば、敵も味方も、講和条約により新しい出発点に就く。講和条約の本質は、戦勝国のモデルが嘘を含んでいるとしても、それを正史として採用し、戦敗国は自国の作ったモデルを放棄することである。
講和条約後の敗戦国は、未来志向で新たな出発をしなければならない。勿論、歴史の検証を自国で行うことは可能である。しかし、それは歴史家の仕事であり政治家の仕事ではない。講和条約で一端受け入れた勝者の歴史はキャンセルできない。それを政治家が主張すれば、過去の戦争をもう一度やり直さなければ成らなくなるからである。
日本と同じ敗戦国のドイツが、安定な戦後外交を構築できたのは、ナチスを殲滅したからである。それはドイツにとって決死の決断であり、そして何よりも旧体制に関係した人たちとその周辺にとっては、新しいドイツで生きることは苦痛を伴う服従とでも云うべき毎日だった筈である。
数年前に、ナチスの収容所で門番をしていた93歳の老人が有罪の判決を受けて服役した。この件を5年前に「ドイツの狡賢さと日本の愚かさ」と題して記事を書いたが、それはドイツが20世紀後半に復活した「力は正義なり」の原則に改めて屈服したということだろう。
日本は、その屈従を味合う機会を奪われた。この戦後処理は、苦痛を伴うので歓迎できる訳がないが、再出発には必須のプロセスである。それはドイツのメルケルが来日したときに安倍総理に進めたことであった。https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12466514445.html
上記引用の記事を書いたとき、それを報じた韓国のメディアの厚顔さに呆れたのだが、もし他国が言ったのなら、筆者はその時点でもそれに耳を傾けたかもしれない。この日本が独自に戦後処理をする機会を奪ったのは、米国占領軍と吉田茂以下の日本の支配層であった。米国はそれにより、日本を再起不能にする事ができるが、吉田茂はそれに協力した売国奴ということになる。
その結果、日本は、あの戦争体験をまるで天災のように感じることで過去に葬りさった。それが広島の原爆慰霊碑の「あやまちは繰り返しませんから」という訳のわからない言葉の意味である。日本人にとって、靖国に参拝しないことが罪深きことではない。あの戦争の処理をやり過ごしたことが罪であり、そして何食わぬ顔で靖国に参拝することの罪深さに、全ての日本人は気づくべきである。
戦争の再評価をしないで、当時の戦争を指揮した人物の子孫たちが、未だに日本の政治を支配している。そして、台湾有事のときには集団的自衛権で日本も参戦せざるを得ないだろうと言い出す始末である。(補足4)そして、それへの不満であらわれたのが、直前に紹介したブログ記事「中国の対日本先制核攻撃論」である。https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2021-07-05/QVSOPEDWRGG201
最近youtubeで国際問題を語る及川幸久氏やHaranoTimesさんらの動画を観る時、合間に、日本の右派の方々による近代史の解釈変更を主張する出版物の宣伝が非常に頻繁に入る。それらは、林千勝氏、藤井厳喜氏、西悦夫氏などによる「国際共産主義に毒されたFルーズベルトが、卑怯な手段を用いて日本を戦争に誘い込んだ。それが太平洋戦争の真実である」と記述する出版物の宣伝動画である。
勿論、この考え方は米国でフーバー大統領の著作「裏切られた自由」に書かれているモデルを含む。しかし、それは米国では正史として受け入れられている訳ではなく、依然としてFルーズベルトは米国の英雄である。日本の場合、降伏とその後の講和の段階では、当時の軍事政権に対する絶対悪という連合国側つまり米国側の評価を受け入れて講和した。差し当たり、その講和を重視すべきであり、それが日本が国際社会で生き残るために必須だろう。
差し当たりとは、この歴史の検証は米国の仕事であり、日本の仕事ではないということである。つまり、日本側がFルーズベルトの罪を主張出来るのは、米国側の歴史見直しがあったときである。真実が大事なのではない。日本人にとっては、日本の安全と平和が大事なのである。
エピローグ:「力は正義なり」から「金は正義なり」への世界の変化
真実が世界を制覇する時代が来るだろうか? これまでの歴史が、捏造の歴史であることを発見してしまった以上、古代からの歴史を再検討しなければ、まともに「真実は軍より強し、ペンは剣よりも強し」の時代は来ない。
実は現在、我々の世界は「力は正義なり」から「金は正義なり」へと既に変化しているのである。そして、それとバランスを取るように現れたのが、米国で生じた真実こそ大事だという運動である。所謂「キャンセルカルチャー」運動である。
キャンセルカルチャーを奉じる人たちは、栄光の米国建国の歴史も否定する。その運動は、誰かが米国を完全に乗っ取るためである。それを企んでいるのは「金は正義なり」を心底から信じている人たちである。彼らが、理想主義者という少し頭の足りない人たちを利用して、兵士として用いるために作り上げたのが、キャンセルカルチャーである。アルファベット三文字の運動も同じ人達による。彼らは、「金は正義なり」を奉じる人たちのサーヴァントでありソルジャーである。soldierの語源には、金のために働くの意味があるので、頭が足りないというのは筆者の誤解かもしれない。
この先、世界の戦争文化が、更に野蛮化する恐れは十分にある。上記soldierの雇い主が後押ししてきたのが、国際共産主義運動であり、その結果が、欧州にあった戦争文化の完全破壊であり、核兵器による人口削減計画の出現である。日本やインドがその犠牲にならないことを願いつつ、この文を閉じる。
(19:00 編集あり)
補足:
1)安倍総理の時代の一大スキャンダルである。その解決もろくに出来ないのが日本という国である。
2)生物のこれまでの進化は、突然変異で生じた様々な変化のなかで、生存に適したものが生き残るという自然選択説で説明できる。それがダーウインの進化論である。社会の構造変化の理論は、食物、衣類、住宅や乗物などの生産技術の進化とそれに伴う経済構造(下部構造)が、上部の政治構造(上部構造)の変化の原動力になるという思想である。これは史的唯物論の基本的考え方であり、カール・マルクスの著作『経済学批判』の序文に書かれた理論である。
3)これも筆者自身による仮説であり、何処かの書物からとったものではない。
4)この麻生副総理の言葉を知ったとき、厚かましいにも程があると思った。一般人が云うのなら兎も角、これを麻生氏や安倍氏が云うべきではない。彼らは、戦後の政界に居てはならない人物達である。何故なら、彼らは吉田茂や岸信介の孫であり、その七光で政界に入った人物だからである。
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