1)「固有の領土」という言葉が示す貧弱な政治
日本国は、民主党系の米国に支配されており、ロシアと対立しなければならない。そのために用いているのが、「北方4島は、日本固有の領土である」という標語である。同じ表現を竹島や尖閣諸島などにも用いて、国民に現実的な外交問題として考えないように仕向けているのである。
「固有の領土」という強い表現を用いるのは、これら領土問題に対する現在の対応を、現実的合理的だとして説得する能力が無いので、その議論を門前払いするためである。そして、“宗主国”の意向に沿って、現在の対応を続けなければならないと考えているからである。
この種の言葉の用い方は、日本政府だけでなく米国のDeep State(政治的大資本)なども頻繁に用いる手法である。陰謀論やBLMなどの没理性的表現は、大衆を操縦する方法として用いているのである。BLMと言えば泣く子も黙るように、マスコミで言霊コート(被覆)するのである。
一般に予め一つの単語に、論理を用いずに価値をもたせるのは(そのような言葉を創作するのは)、宗教的行為である。その筆頭の言葉が「善と悪」である。善と悪は、緻密な論理と長いタイムスケールで、社会が決定した評価に対して、便宜的に貼り付ける宗教的”ラベル”である。
「固有」という言葉も同様の“ラベル用語”である。例えば、西欧の数百年の歴史の中で発生した「基本的人権」という概念を、「人が持つ固有の(=生まれながらの)権利」と翻訳すれば、「固有」の言語としての重みが分るだろう。それは、人=歩く「基本的人権」 のように強く二つの言葉を結びつける。(補足1)
ここで、固有の領土に話を戻す。日本はサンフランシスコ条約で国後島や択捉島は放棄している。その事実は、政府に提出された質問とそれに答えた当時の西村条約局長の言葉でも明確である。つまり、ソ連に戦争の結果として獲られたのであり、それを連合国全体に対して日本は受け入れたのである。その後の日ソ共同宣言では、国後と択捉は問題になっていない。(補足2)
日本政府はそれにも拘らず、その二島を固有の領土だと言っているのである。つまり、二島が日本に帰属しなければ、日本を名乗っていても、本来の日本ではないと云う意味で、これは、外に向かっては、ロシアとの関係が悪化しても良いという意志表明していることになる。そして、日本国が国家としての体裁などから全てにわたって依存している米国の現政府(民主党系政府)がロシアと敵対関係にあるので、ロシアとの国交を前身させることができないという現実を、国民から隠蔽するためである。
対米関係を維持しつつ対露関係を正常にするには、本来、領土問題を含めてゼロから論理的且つ戦略的に議論し、両国関係を構築しなければならない。それには、最初に国家としての体裁を取り戻す(本当の独立国家となる)などのプロセスを経るなど、大変な努力を要する。その能力のない現政権と自己の利益を優先する官僚たちには、そのプロセスは、仮に日本が滅んでも避けて通りたいのである。
日本政府が、国後と択捉の両島は日本固有の領土であるという主張を繰り返せば、サンフランシスコ講和条約、つまり第二次大戦後の国際政治秩序を、日本国は否定することになる。そのように、当時の連合国側に評価されることは、日本国には極めて危険である。国民は、この外務省の主張は、将来の自分たちに壊滅的打撃を与える可能性があることを知るべきである。https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/hoppo/hoppo.html (補足3)
「固有の領土」という言葉だが、有史以来、そんなものは存在しない。領土を奪ったり、奪われたりしたのが、歴史上の全ての国の姿であった。更に、これまで一度として外国の支配下に置かれたことがないという事実が仮にあったとしても、それが未来永劫その国の領土であると保障してくれる権威や権力は、どこにも存在しないのだ。(補足4)
国際関係は、本質的には未だ野生の関係である。その事実を直視することが日本人に欠けている。もし、そのような国際社会を理解した上で「国後択捉は固有の領土」と主張しているとしたら、それは日本国が世界のリーダーとなるという本心の吐露ということになる。そのように国際社会に誤解されてはたまらない。
もし仮に、日本は世界のリーダーになる野心を持っていると、悪意に連合国側諸国に解釈されたのなら、日本国を潰す口実として利用され、まともな防衛力を持たない現状では壊滅的打撃を受けるだろう。そのことを、日本国民は知るべきである。
2) 講和条約の意味
独立国家の間で例えば領土の帰属をめぐり戦争となったとき、一方が壊滅的打撃を受けた場合、第三国を仲介にして講和を申し込む場合が多い。講和しなければ、一方の国民は皆殺しになる可能性すら存在する。その国民の皆殺しや領土を奪い取ることを罰する権威と権力は、神のみに存在する。つまり、神がいなければ、それを罰する権威は何処にもない。それが国際間における究極の原則(野生の関係)である。
命と財産の一部の確保をするには、直接或は第三国の仲介で講和をする以外にない。その場合、通常は負けた方が勝った方の考え方を受け入れて、これまでの経緯を過去の歴史としてファイルに仕舞い込むことを条件に、その後の関係を構築する。その約束が、講和条約である。その単純な原理の理解すら、現在の日本国民には無い。
従って、講和条約で過去の歴史として送り込んだことを、再び掘り返して相手国に見せつけるのは、再び戦争をする意志の表明ととられる可能性がある。過去の戦争に陰謀の真実があったとしても、それを認めるか認めないかは、戦勝国の都合である。敗戦国は、戦争を再開する覚悟がなければ、それを指摘して問題化することはできないのである。
このように、歴史は将に捏造の産物である。戦勝国が自分の都合に合わせて作り上げた物語である。利益につながれば、理不尽な物語をその後も作っていく筈である。(補足5)そんな実情を知らず、国際政治の原点をおろそかにして、日本人一般は外交を考えているのである。このことを、最近二つの記事の中で指摘したのだが不人気であった。(補足6)
その文章に示した出来事の一つを再度紹介する。それはドイツのメルケル首相が日本に来て、当時の安倍首相に言った「ドイツの様に歴史を乗り越えたらもっと外交が楽になる」という進言が、安倍さんだけでなく、日本では全く理解されなかったことである。上の文章を最初から理解した人なら、メルケル首相は嫌がらせではなく、親切心で安倍総理に教えたことが分るだろう。(補足6に引用の後の方の記事の「3)講和条約の意味を日本人はもっと深く考えるべき」のところに説明した。)
論理も真実も、現実の世界に存在する訳ではない。それらは人間が作った「言葉という世界のモデル」(補足7)の中に存在するだけである。その過去の世界のモデルに存在するのは、我々日本民族と、日本と敵対或は協調する他民族及び、それらの間の争いを記述したファイルである。それらファイルは“歴史”ではない。歴史の材料であり、夫々の国がその材料と虚構を混ぜて、それぞれの歴史をつくる。
歴史は科学ではなく文学である(歴史学者の岡田英弘先生の言葉)。
敗戦により講和したとき、日本は自分達の歴史ではなく、戦勝国の作り上げた歴史を受け入れた。それは自分達の命と生きる空間を守るためであった。今頃になって、国際政治に利用するという目的で、悪いのはFルーズベルトだと言う資格は日本国にはない。
右翼の方々は、それを知っているのだろうか。勿論、わたくしもFルーズベルトの策略とそれに協力する日本の政治家などにより、日本が戦争に導かれたと思う。しかし、そこから学ぶべきは、自分たちの愚かさである。それを米国批判のために喧伝するのは、中国に協力する政治的プロパガンダである。https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12684304810.html
(8月6日午前5時 編集)
補足:
1)我々が用いる言語には、複雑な意味が込められている。それは長い時間の言語活動の結果であり、地域によりその人々の属する社会により異なる。社会が大きくなるに従って、言語は共通に使えるように進化するが、それでも社会全体を一定の方向に動かすには、複雑な論理ではなく、ハッシュタグのようなラベルを必要とする。それが善、正義、陽気、固有、悪、醜悪、陰気などの“ラベル語”である。
2)北方領土問題は何度も議論した。国後択捉問題:https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12466516752.html 尚、竹島問題も同様に日本の主張は非論理的である。その指摘は:https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12658433723.html
3)この外務省の解説には根本的欠陥がある。それは国際関係が野生の関係であるという「外交の基礎」を無視していることである。ソ連が日ソ中立条約を無視して参戦し、南千島を奪いとったことを理由として、日本の固有の領土と主張しているのだが、その主張は、講和条約で連合国側の要求を飲んだ時、日本国が放棄している。日本がそれを主張するなら、戦争を再開する覚悟がなければならない。因みに、日本も多くの国際条約違反を第二次大戦中に行っている。例えば、重慶市を空爆し一般市民を殺害した行為は、米国による日本の大都市空襲同様、国際条約違反である。それらを全て政治的に今後取り上げないという約束が講和条約である。勿論、厳密な意味で歴史学として研究する自由は存在するが、政治的な主張と取られない様に慎重にすべきである。
4)法やルールは、それを定める権威とそれを実行させる権力があってこそ意味がある。世界政府など存在しない現状では、国家間での真実とか善悪とかの争いは本質的には意味がない。もちろん、プロパガンダとしての意味はある。しかし、こちらが仮に真実を主張し、相手国がでっち上げで対抗しても、プロパガンダの応酬として、互角の争いであることが普通である。
5)韓国が慰安婦問題を世界にばらまくことが可能なのは、それが韓国の現政権の利益だけでなく欧米の国の利益でもあるからである。それに対抗していく為に必要なことは、日本の辛抱強い真実の説明ではなく、軍事を含めた日本国の実力である。
6)https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12681571863.html (6月19日、新型コロナパンデミックのモデル大転換から歴史の作られ方を学ぶ)と、https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12686901508.html(7月17日、世界史は混乱の中に入るのか? 捏造の歴史と今後の世界の政治文化)である。
上記記事のなかで、講和条約の意味と副題を立てたところが、私の重要な主張である。
7) このヨハネによる福音書の冒頭の言葉を利用して、私は自分の知的ファイルを整理している。しかし、私はキリスト教徒ではない。
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