1)近藤紘子さんの反戦活動:
ヤフーが紹介した神戸新聞の記事に、“「憎むべきは原爆を落とした人間ではなく、戦争」 生後8カ月で被爆した女性、広島で祈り”と題する記事が掲載されている。多くのことを考えさせる記事である。ある76歳の被爆者(つまり当時ゼロ歳)の近藤紘子さんが、牧師の父と米国のテレビに出演し、そこで「エノラ・ゲイ」の副操縦士ロバート・ルイス氏にあった時の話を紹介している。https://news.yahoo.co.jp/articles/6809a5fb51f99b3bd47196a25e90d3175fa8b5f7
ルイス氏は、消えた広島の街を見て「神様、私たちは何ということをしたのか」と飛行日誌に書いたことを明かした。近藤さんがにらみつけていたルイス氏の目から静かに涙が伝った。「ショックだった。多くの人を殺した鬼だと思っていたのに。自分と同じ人間だった」。近藤さんは「憎むべきは原爆を落とした人間ではなく、戦争。彼に出会わなければ、こうしておばあちゃんになっても気付かなかったかもしれない」と振り返った。
その後、近藤さんはその思いを国内外で講演しているという。ウィキペディアにも近藤紘子さんとその活動は紹介されている。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BF%91%E8%97%A4%E7%B4%98%E5%AD%90
そのウィキペディアの記事によれば、2016年に広島を訪問したバラク・オバマは、演説で紘子さんについても言及して、「被爆者には、原爆を投下した爆撃機のパイロットを許した女性がいます。なぜなら、本当に憎むべきなのは戦争そのものだとわかったからです。」と述べている。
オバマはこの様な意見を持っている訳ではない。このような意見を世界に宣伝することで、世界中の国々をある一部の勢力の支配下に起きやすく洗脳したいだけである。何故なら、近代に於いて戦争は、無知な後進国を近代的な強国が支配するための道具であった。大航海時代以降の西欧諸国の米大陸やアジアなどへの進出(侵略)を思い出せば、それは明らかである。戦争には明確な行為者が存在する。戦争が悪いというのはマヤカシである。
戦争の原因を追求すれば、必ず特定の国、そして特定の利益集団が現れるだろう。その追求を避けるセリフとして、戦争そのものに責任を負わせることは非常に便利である。オバマのセリフは、無知な老婦人の言葉を利用して、そのような意図のもとに発せられたものである。(補足1)
そのオバマが同意した論理を今回のパンデミックを対象にして再現すれば以下のようになる。今回のCovid-19肺炎の被害を前にして、叔母楽氏は「その原因となるウイルスをばら撒いた奴が悪いのではない、そのCovid-19という肺炎が悪いのだ」と言った。
2)昨日の再録記事についてコメント:
昨日の記事の要点は、① 核廃絶は現実問題としては不可能である。「世界平和のために核廃絶を目指す」という方針は、従って間違。② 核兵器の存在を条件に、日本も生き残りを賭けて同盟関係構築など現実的対応をすべきである。
21世紀の現在、地球上の諸民族或は諸国の全てが、文明を享受しつつ生きる程の空間と資源を人類は持っていない。従って、地球上の国家群は、表通りでは”平和共存の国際社会”という看板を掛けながら、裏通りでは生き残りをかけて、出来るだけ有利なポジションを確保すべく争う、野生の世界を成している。そのポジションの文字通り核となるのが、核兵器を中心とした軍事力である。
② の提言は、①の前提を基にして、自由と人権を重視する政治文化を共有する国家間で連合を作り、その中に日本も参加すべきであるということである。その中心となるべき米国が「民主主義と主権国家体制を重視する人たち」の支配下にあり続け、決して独裁を目指す人達の下に置かれないように、日本は協力すべきである。(補足2)
昨日の記事に、以下のようなコメントをもらった。これも日本人特有の間違いが含まれているので、返答でそれを指摘した。その概要をここで紹介する
私も、開発してしまった以上、核兵器の廃絶は不可能と思います。世界で唯一核爆弾を受けた日本、身をもってその悲惨さを世に示した日本こそ、核兵器を保有する権利があるとさえ、私は考えています。それを認めることこそが、核兵器を使用した国の贖罪になるとさえ思います。些か暴論かもしれませんが。
このコメントへの返答で指摘したのは、国際空間には本来、権利も義務も罪も無いということである。当時の米国は敵国であり、完全に共同体の外にあるので、米国の原爆投下は野生の生存競争の中の出来事と同様である。ハーグ陸戦条約などは“裏通りの紳士協定”のようなものである。
一般的に共同体の外では、共同体の運営とそのためのルールに関係して発生した言葉と概念は、意味を失うか意味が変化する。権利、義務、罪などのその典型例である。
この様に、言葉の意味の適用範囲を明確に意識することが、外交及び国際政治を考える上に非常に大事である。それと同様の境界が、私的空間と外の共同体の空間の間にも存在する。その境界でも、善と悪、罪と罰などは、主として共同体内部だけに定義されるので、解釈には注意が必要である。(補足3)
このように、言葉には適用域が限られた部分が存在する。適用域が非常に狭い言葉を使う場合には、特に意識して使う知性が必要になる。それを間違うと小泉環境相のように、外国或は日本、場合によっては両方の世界で、恥をかくことになる。https://www.fnn.jp/articles/-/14039
補足:
1)バラク・オバマの発言が悪質なのは、エノラ・ゲイの乗組員を許した老婦人の「戦争そのものが悪い」と云う間違った結論に同意し、それを利用したことである。原爆を落とした行為の主格(主語)が米国であり、その張本人でありながら、このような発言をする人間には、吐き気すら感じる。 近藤さんは、その命令に従ったパイロットに会って、兵士は任務の間は人格の無い存在であることを直感的に感じ、許したのだろう。しかし、そこから「戦争が悪い」と短絡的に結論したのは、日本の間違った戦後教育にもよるのだろう。GHQの日本人洗脳教育は非常に効果が高かった。何故なら、東大法学部教授すら、日本国憲法の軍事力放棄の条項を守るべきだと言っているのだから。
(最後の方に書いています。)
2)世界政府が出来れば話は随分変わるだろう。ただ、世界政府も現状の延長上では、独裁以外の形では出来ないだろう。独裁者として考えられるのは、WEF(世界経済フォーラム)も関連しているかもしれない「ユダヤ系+その他」の大資本家群(米国deep stateの世界版)、共産党中国、或はそれらの融合体の三択問題である。何れにしても、人口削減計画などが実施され、少なくとも普通の日本人には、恐ろしい世界となるだろう。何故なら、現在の価値基準で“人間的な生活”を77億人の人に与えられるほど、地球は広くはない。独裁世界政府が出来れば、何らかの形で人口抑制が地球規模でなされる可能性がある。そのテストケースが今回のパンデミックかもしれない。パンデミックとワクチンのセットを受け入れる様に、今世界中で人類の調教がなされていると見ることもできる。最後の段階で、そのワクチンに密かに混ぜられたもので、何らかの計画が実行されるというのも、一つのシナリオだろう。
(追補8日午後5時10分追加:この補足は不十分な資料に基づく過激な内容です。しかし、人類の人口を5億人以下に維持すると宣言したジョージア・ガイドストーンが、今だに堂々と存在する米国には、このガイドストーンを護る強力な組織があると推定されます。また、前回の大統領選挙の大規模な不正、ホンジュラスからの大量の移民の組織的送り込みなどを企んだ勢力、ケネディを暗殺した勢力など、米国政府を持ってしても解決できない不自然な大事件が多すぎる。このような不安な心理の下に、ここに根拠を示せないものの悪夢のシナリオ記した。)
3)言葉は社会と宗教とともに3本鎖のDNAのように進化したと、私は考えている。その考えは「言葉の進化論」として書いてきた。その解説記事を引用する。
その中で書いた考え方を、親鸞の言葉「善人なおもて往生を遂ぐ、いわんや悪人おや」を例にして説明する。死を前にしたとき、人は共同体(社会、世間)から完全撤退し、”私の世界”に限定される。「あの世では欺瞞に満ちた世間(社会)の善と悪からは自由になり、阿弥陀仏を受け入れる宣言をすれば、そんな善悪の無いあの世に転生できますよ」と、親鸞は言っているのである。(蛇足:この宣言という部分に、キリスト教の影を感じる。)
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