1)政権を握る政治屋集団
日本の貧弱な政治の原因は、意見の相違で政党が出来上がっていないこと、そしてそれらの間の活発な議論の無いことである。つまり、日本の国会における政権政党の主なメンバーは、数世代にわたる家業を引き継いだ人で形成されており、政治思想を共有する人の集まりではない。日本の国会でまともな政党は、マルクス主義で団結している日本共産党のみとも言える。(追補1)
自民党の国会議員で家業を継承した人の所属政党は、当選前から決まっている。そのため党内での政治思想が不均一な形で分布している。彼らの間には派閥という集まりがあるが、その人的コネクションは政治思想とは別のものであり、ヤクザや相撲部屋にあるような主従関係に似ている。
天皇制の在り方についても意見の統一がなされていないし、対中国、対米国などの外交方針についても、同様である。それに、議論をして互いの考え方をブラッシュアップするという政治文化などない。それでも政治家としてやっていけるのは、日本の文化が関係している。
例えば、彼らの対中国外交の背景にあるのは私益であっても、政治思想や国益ではない。天安門事件で世界が騒いだ後、早々に中国に円借款を開始した海部俊樹、天皇訪中を行った宮澤喜一、ピンクトラップに掛かった橋本龍太郎などが次々と首相になった。しかし、日本が米国の不沈空母だと言った中曽根康弘は自民党から離党せず、何も言わなかった。これが政権与党の自由民主党の姿であり、その本質は上述のようにヤクザと変わらない。(補足1)
従って、政党としての体裁を維持するためには、どうしても党議拘束を必要とする。そして、その党議拘束に唯々諾々と従うのが自民党議員である。この点、党議拘束のない米国の政治と根本的に異なる。
衆参両院の議員数(括弧内)とともに日本の政党名を挙げると、自民党(372)、立憲民主党(140)、公明党(60)、日本維新の会(56)、国民民主(23)、日本共産党(23)などとなる。両院には9つの政党に所属する議員(約685名)と無所属議員(約25名)が存在する。彼らが本当に議論をすれば、3つ位の政党に纏まる筈である。この点でも、第3党や無所属議員の極めて少ない米国と際立った対照を為している。
更に言えば、日本の国会は法律を作る所ではない。後に内閣に入る政治家を養う牧場でしかない。法案の大多数は内閣から出されたものであり、立法機関は議論した振りの後、形だけの採決するのが仕事である。行政と立法の癒着が著しい。議員内閣制の特徴だと人は言うだろうが、それなら何故、三権分立というのだろうか? https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA12B660S1A810C2000000/?unlock=1
しかも、最高裁は完全に行政におもねった判断をしている(補足2)ので、日本には一権の存在しか明確ではない。それにも拘らず衆参両院で709名の議員(補足3)を抱えて、「1日で1ヶ月分の文書交通費の問題」を議論しているのは茶番劇以外の何ものでもない。
この劣悪な日本の政治は、一体何が原因で生じているのだろうか? 明治維新で持ち込まれた天皇制が、独裁権力の中心に成長した昭和史の名残なのか、それとも日本文化の特徴によるのか?
私は両方だと思うのだが、ここでは後者だけを取り上げたい。もちろん、両方が協奏的に停滞した日本を作っているとすれば、一方が改革されれば他方は自然とふさわしい形に落ち着く。つまり、本来の天皇制(政治から独立した日本神道の中心としての天皇)と健全な政治を実現できると思う。
2)主権国家としての体裁を未だ持たない日本
国家の政治には、先ず全体的・基本的な国家のかたち及び国家としての目標を立てることが不可欠である。
国家のかたちとしては、基本的人権と個人の自由を最重視する福祉国家の体制、国際社会に向けては主権国家「日本」と世界の平和と経済へ貢献できる体制、を夫々持つこと。そして、国の経済的繁栄と独立国家としての日本を長期維持することが、国家の目標だろう。
ここで、国家とは法治の枠組みとその維持のための権力と財政を持った国家組織のことであり、国とは国家、領土、国民、法人、文化などを含んだ日本のことである。
この国家の枠組みを、国の伝統文化などを考慮しながら明示したものが、日本国憲法である。その憲法の前文及び9条に、日本国の権力の構造が主権国家体制の実現維持が可能な様に明示されていないことが大問題である。中国共産党政権の膨張政策(戦狼外交による)で緊張している国際社会において、日本も主権国家を形成することや主権国家体制を支持することを、明確に国内外に宣言できていないのである。
その一方、「結党の目的が自主憲法の制定である」と自民党議員は言う。しかし、結党から65年たっても、自民党は自主憲法草案を国会に議案として提出していないのだから、憲法改正の意志が非常に薄弱なのは明らかである。上記自民党議員の言葉はブラックジョークだろう。
もう一つ例をあげると、日本の首相が“拉致被害者を取り戻す”という決意を表明してから久しい。しかし、その解決の手段を与える根拠である筈の憲法改正に向かって、上記のように一歩も進んでいない。つまり、“北朝鮮という国家”による日本国民拉致を、日本国の主権侵害の問題として考えずに、単に悪党の犯罪と歴代首相は考えているのである。彼らは何もわかっていない。
彼らは、家業の政治屋を継いでいる人々の業界団体である。それでも国民は懲りずに自民党に票を入れて、自分は何もせず発言もせず、ただ論理的でない不満をブツブツ言っているのである。
尚、自民党議員は憲法改正案は既に出していると言うかもしれない。しかし、法案は国会に提出したことで、「出した」と言える。内輪の出版物にだけにプリントして「憲法改正案を公表した」と言う神経の図太さと、言葉使いの杜撰さには呆れるばかりである。https://www.jimin.jp/policy/policy_topics/recapture/pdf/063.pdf
最初に支持が少数でも、国民を議論に巻き込んで郵政民営化法案を成立させた小泉政権のことを考えれば、「国会に提出をしても成立しなければ何にもならない」というのは、国会議員という職業を失うことを日本国の崩壊以上に恐れる政治屋の台詞であることを証明している。(補足4)
3)議論なき日本
上記日本国の体たらくは、国会議員を中央から利権を剥ぎ取ってくる役としか考えていない未発達な日本の政治文化の姿である。「小選挙区制導入は、政権交代できる2大政党を育てるため」というのは嘘で、小沢一郎は自民党の政権維持だけを考えて提案したのだろう。https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12466516222.html
この国には現在、論理を用いて政治的主張をするという130年前に導入した西欧型政治の伝統は残っていない。明治維新からデモクラシーの大正までの政治として学校で教えられた日本の議論する政治は、移植後枯れてしまったのだろう。
現在、日本人の多くは仕事以外で井戸端会議以上の議論をしないのではないだろうか。都会の老人も、国会における議員も、まともな言葉の交換で何か新しいものを構築・決定できない。(補足5)大勢が深いところから協力して、言葉の作品(憲法もその一つである)を作りあげることなど出来ないのである。
西欧型の近代社会においては、多くの優秀な人たちが「言葉の世界」を共有することで、社会と国家を改善するのが普通である。そのような“言語空間”が社会(個人や私的関係以外の空間)に一定の割合で存在しない場合、そのようなネットワークを持つ外国人(つまり米国人、中国人、朝鮮人など)に国を乗っ取られるだろう。
つまり、秀才が個人としてすぐれた議論をしても、それは限られた分野の限られたテーマにおいてだけであり、それを元にして知的空間を多くの人が参加する形で構築するまでにはなかなか至らない。しかし、そのプロセスなくして、日本の政治の成熟はないのである。
最近、茂木誠さんの日本が太平洋戦争に突っ込んだ理由というyoutube動画を紹介した。https://www.youtube.com/watch?v=RxcRfRiO20s
そこでは、人間の歴史には大衆の貧困が常にベースとして存在し、1930年代の世界不況が引き金になって共産主義という今では愚かな思想が世界を席巻したことが、語られている。その新しいが不完全な理論に惹きつけられた近衛文麿が、風見章や尾崎秀実などを近づけ、敗戦革命とという悲劇のシナリオに向かうことになった。(補足6)
ただ、その茂木誠さんの日清日露戦争に関する他のyoutube動画での語りは、私には貧弱に見える。何故なら、近代史の中でのユダヤ資本の働き、その一つとして日本の明治維新が存在すること、日露戦争にもそのユダヤ資本の意志が働いていることが十分考慮されていないと思うからである。https://www.youtube.com/watch?v=CUtb9nseHNk
もし、馬渕睦夫さん、西鋭夫さん、林千勝さんを加え、彼らが自分の高いプライドに優先して議論に参加すれば、もっと広い背景から日本の近代史が書けるかもしれない。その議論が、更に大勢の他の人たちを巻き込めば日本の近代史の総括が出来、それを背景に日本の政治文化も画期的に改善されるだろう。
4)日本は言霊文化の国か?
日本では、優れた人でも古代ギリシャの人のようには対話を欲しない。対話は、日本では議論から討論となり、最後は言い争いから喧嘩となる。得てして、人格を賭けた勝敗の世界のことになってしまう。それは、日本では言葉は戦いの道具であっても、建設の材料や道具と見なされることは極めて稀だからである。
その背景に、日本は言霊文化の国であることが存在する。ある人が言葉を発すれば、それは「その人の言葉」ではなく、その人物そのもの、つまり言葉=人物なのである。そのような言語文化の国では、安易に対話や議論は出来ない。(補足7)
人の言葉が公の空間に出た以上、その個人の内部と同一視され、場合によっては個人の尊厳まで剥ぎ取られる危険がある。四人が議論すれば、一人は勝利し尊敬されるかもしれないが、残り三人の尊厳は奪いとられる危険性がある。そして新しい見方が構築されず、ただ殺伐とした戦場の風景が残るのみに終わるのだろう。本当はそうとばかりは言えなくても、そのような誤解を大衆は持ち、それを押し切って議論するには、何か別の強い動機が必要である。
その結果、かなり知的な人物の間で話し合っても、知識の不均一な分布はなくならない。“知的建造物”の高さは、元々のもの以上にはならない。多くの知的人物がいても、そこに知識の都会ができあがることはない。それが多少とも存在するのは、国際的な基盤の上にある自然科学系の学会のみだろう。
この事態を克服するには、教育の改革が第一だろう。学校の授業は教師のイントロの後は、全ての時間を議論に当てる。そして、数人の議論からより優れた共通の考えを作る訓練をするのである。単なる暗記は、自宅ですれば良い。サンデル教授の授業風景として日本でも放映されたあのスタイルである。
編集:9:20、橋本龍太郎の件、政界はヤクザの世界という細川護貞の言葉の件、補足1に移動; 14:20 補足1を修正;12/28/5:30 小編集後最終稿
追補1:立憲民主は“反自民”の政党であり、従って考え方の分布は広い。国民民主と日本維新の会は、全国的には未だ十分認知されていないように思うが、将来が期待できる政党だと思う。(17時40分、追加)
補足:
1)橋本龍太郎が中国のピンクトラップに引っかかったことに関する記述:https://www.news-postseven.com/archives/20140826_269773.html?DETAIL
政治はヤクザの世界: あの戦争の最大の責任者とも言える近衛文麿の孫の細川護煕氏が政界に入る際、彼の父親はそれに反対した。そして「そんなヤクザな道に入るのなら、家とは縁を切ってくれ」と言ったという。(ウイキペディアの「細川護煕」参照)後に日本国首相になる細川護煕氏は、近衛文麿の日本近代史における役割を本当に知っていたのだろうか?
2)砂川事件の最高裁判決で示された、「日米安全保障条約のように高度な政治性をもつ条約については、一見してきわめて明白に違憲無効と認められない限り、その内容について違憲かどうかの法的判断を下すことはできない」(統治行為論)は、この行政の下に位置する最高裁の姿を示している。https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12466516114.html
3)衆議院は465人(小選挙区289人・比例代表176人)、参議院は245人(大選挙区147人・比例代表98人)
4)小泉純一郎と言う人は何かのためには、自分のかなりの部分を犠牲にする覚悟を持つことのできる稀有の自民党政治家だろう。しかし、その後彼は大きな仕事「自民党をぶっ壊す」を放棄した。https://www.nikkei.com/article/DGXMZO62969650U0A820C2I00000/?unlock=1
5)職場の上下関係や男女関係以外では、同郷や同窓の関係に瞬間的感覚(ウマが合う感覚)を合わせたものでしか人間関係が築けないのが、日本の現状ではないだろうか。宗教的関係は、それだけでは宗教戦争を避ける知恵は浮かばないので、本質的に知的言語的関係ではない。
6)この敗戦革命の筋書きは今年4月に紹介した林千勝さんの解釈とほとんど同じである。すこし違うのは、林千勝さんの場合は、「藤原氏再興」的な動機が語られていた点である。茂木誠さんの解釈では主導権は近衛文麿ではなく、完全に尾崎秀実や風見章にあったことも異なる点である。https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12670982397.html
7)般若心境の「色即是空」がありがたいのは、その言葉が真実を深いところから表現しているからではなく、その言葉自体がありがたいのである。従って、意味を考える必要などなく、ただ唱えれば良いのである。日本の仏教のお経は、日本人の言霊信仰の証明である。受験生のいる家庭では、ハンカチを落としても、「落ちた」という言葉を発してはいけないのである。うそのような本当の話である。
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