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2022年11月29日火曜日

ワールドカップのサッカー場でのゴミ拾いについて

 

ワールドカップサッカーの日本人サポーターが、試合後に自分達の落したゴミだけでなく、競技場全体でゴミ拾いをしたことが称賛されている。国際サッカー連盟(FIFA)の公式ツイッターは27日、日本のサポーターたちがコスタリカ戦後にスタンドのゴミを拾っている写真を投稿し感謝した。

https://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2022/11/27/kiji/20221127s00002014873000c.html

 

このゴミ拾いに対して、カタールの運営委員会も表彰した。これがサッカーに深く関係している方々の普通の評価であり、サッカーを愛する人たちが非常に健全な社会を形成している様に見える。https://news.tv-asahi.co.jp/news_international/articles/000277168.html

 

一方、大王製紙前会長で実業家、井川意高氏(58)は、「こういうの気持ち悪いからやめて欲しい。ただの自己満足。掃除人の仕事を奪ってる」とツイートしたようだ。https://www.sanspo.com/article/20221125-WREQBXG4GRCUNCODAITDVPNO7Q/?outputType=theme_qatar2022

 

また、英メディア『football.london』のSNSエディターなどを務めるアンディ・ハー氏が、自身のTwitterを通じて公開した動画が、反響を集めているようだ。その動画とは、日本人サポーター2人がゴミ拾いをする姿を“逆再生”したもの。

 

この動画には海外ファンから手厳しい批判が殺到した。また、「ジョークだと分かっていても、他の国にはないことをしている。褒めたかったとしたらへたくそだ」といったコメントも見られたと言う。 https://news.yahoo.co.jp/articles/67fef39b38fcd1714d557f133f71964152515821

 

以上が日本人サポーターによる自発的なゴミ拾いに対する典型的な評価と批判である。もう一つ百田百樹さんの動画を引用したい。

 

 

西欧の方々の評価を考える場合に気をつけるべきことが一つある。それはは聖書のマタイによる福音書の6章にある言葉である。「自分の義を、見られるために人の前で行わないように、注意しなさい。」(日本聖書協会の聖書)

 

つまり、キリスト教圏では、神に評価される善行はかくれてするものという常識がある。公の場で皆に見える形での善行は、何らかの利益を考えてやっているのだろうと邪推される可能性が高く、注意が必要である。

 

私が偶々この会場に観客としていたとしても、自分の落したゴミなら拾うが他人の落したゴミは拾わない。ただ、ガラスの破片など危険なゴミの場合、自分が怪我をしないと思う範囲で処分するだろう。しかし、日本人サポーターの行為が他人から称賛されることを狙った安っぽい行為だとは思わない。

 

今日は、この日本人サポーターによるゴミ拾いの習慣について、井川氏や英国メディアの批判は適当ではないと思うので、特にその部分について考察する。

 

あのひろゆき氏のコメントは以下のサイトに報道されている。何時も健全なコメントをされており、ほっとする。

https://news.yahoo.co.jp/articles/0494fff43382490a989a232051389dc9b301d242

 

 

2)サッカー場は公の場か共同体的場か?

 

キリスト教の教育を受けて居なくても、「これみよがし」の善行は気持ちが悪くなるのは解る。しかし、日本人サポーターの行為が、サッカーに熱中する人たちの間ではそのように悪く評価されておらず、素直にプラス評価されているのは事実である。

 

多分、若干ネガティブな評価をする人達は、アラビア半島まで出向くほどのサッカーファンではないのだろう。そして、彼ら熱狂的なファンから見た場合、この件の門外漢ではないだろうか。(補足1)それら負の評価は、極冷静にワールドカップを見る人達による”斜めから見た評価”なのだろう。

 

例えば、家の中でのパーティーや、コミュニティーのお祭りなどを想定した場合、それが終わったあとにはゴミは各自が集めその場を掃除する。そこは共同体の場であり、清掃業者の入りこむ余地などない。そのお祭りの当事者なら、ネガティブなコメントなど思い浮かばないだろう。

 

もっとわかり易い例として、最も基本的な家庭という共同体を取り上げる。母親が料理をして父親に夕食を提供する行為は、飲食店から仕事を奪うという批判の対象とはならない。勿論、子供部屋を掃除しても、清掃業者の仕事を奪うことにはならない。

 

ただ、そのような共同体内部の仕事でも、共同体以外の場つまり公の場では、仕事を奪う嫌味な行為となりうるのである。以上の考察から、この日本人サポーターのゴミ集めは、共同体類似の空間での評価されるべき行為、或いは当たり前の行為と結論される。

 

井川氏らの批判も、現代的価値観を持つ人々の反応としてよくわかる。しかし、ゴミを散らかせば、それを掃除する人が必要である。先ず問題を起こして、その解決でGDPを増加させるタイプの経済活動がこの世界で普通であっても、何かを純粋に愛するひとたちの集まりでは、問題は内部で解決するのが当たり前である。つまり、井川氏は全く異なる空間を前提にして議論しているのだ。

 

因みに、私心を捨てた行為の積み重ねが、健全な社会を作ってきたことにもっと世界は注目すべきである。つまり、世界はもっと日本に学ぶべきなのだ。

 

例えば、パナソニックの創業者の松下幸之助は、会社は社会の公器と言った。その精神は、ホンダの創業者本田宗一郎にも、そして京セラの稲盛和夫にも共有されている。

 

ホンダ本社ビルの窓の外にはバルコニーがある。大地震が発生した際、窓ガラスが割れて落下するのを防ぐためだ。本田宗一郎氏が落下したガラスが歩行者を傷つけてはいけないと考え、当初作成された設計図の修正を命じたというのである。

 https://www.itmedia.co.jp/business/articles/1905/05/news001_3.html

 

日本のGDPを増加させるには、この平和で安全な街を壊せば良い。治安悪化でセコムや綜合警備保障の仕事が増え、株価は上昇するだろう。ケガをした人の治療のために多くの医療サービスが発生する。そして日本のGDPは伸び、国民は不幸になり不安になるのだ。

 

 

3)更に余計な議論かもしれないが:

 

国などの大きな社会は、無数とも言える個別の小さな社会を何重にも積み重ねて出来ている。その大きな社会が「ルールと取り締まり」で安定に存在するには、その構成員がほぼ全員善意を前提に集まり、そのルールをはみ出すメンバーが少数でなくてはならない。その為には、最も小さいユニット的な社会、そしてその次の集合体的などが、共同体社会と言えることがのぞましい。

 

例えば、成人前に所属する共同体が唯一核家族であり、家を出て所謂社会人となった時に、所属するのが完全な機能社会となっているところ(米国)では、一人当たりのGDPが世界一であっても病める社会となる。(補足2)

 

その結果、多くのメガシティには、廃人のような麻薬中毒患者がゾンビのように屯するケンジントン通り(フィラデルフィア)のような場所が見られる。米国の個人主義&能力主義が開発したグーグルマップのストリートビューを用いれば、散らかるゴミと朦朧とした人達を見ることが可能である。

 

一方、日本の場合は、本来機能社会であるべき職場までもが共同体的になっており、国際競争力に欠け、途上国化の崖っぷちにある。それを少子化が原因だとか言って、移民を多数受け入れるという馬鹿な政策を行うことで、米国化を最善と考える愚かな政府を擁しているのである。

(10:40 小編集)

 

補足:

 

1)幼少期を米国で過ごした生まれながらの事業家井川氏や英国のアンディ・ハー氏は、サッカー場で熱狂する人達や彼らがやり取りするSNSの場からは相当離れている筈である。彼らは、互いに家族のようになって純にサッカーを楽しむ人たちに、”場違い”なコメントをしたと言う事だろう。

 

2)それを補足するものとして、米国では友人関係が大事である。特にユダヤ人社会は、その強固なネットワークで国家内国家をつくっているという伝説もある。兎に角、米国を動かしているのはスカル&ボーンズのような秘密結社なのかもしれない。言い過ぎかもしれないが。

 

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