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2023年5月28日日曜日

異なる宗教の方と共住できるのか? イスラム教青年により蹴破られた八幡神社の賽銭箱

最近のニュースで、ガンビア共和国というアフリカの小さい国の人間が、神戸市垂水区の瑞丘八幡神社(補足1)で、白昼堂々と参拝客に「神はアッラーしかいない」と叫び、賽銭箱を蹴り破るなどの狼藉を働いた事件があった。https://www.youtube.com/watch?v=yCGnDVcMKFc

 

そのガンビア人に説教動画を発表したのが、歴史の予備校講師の茂木誠氏である。話全体は、茂木先生の豊かな知識が披露されており、日本人には非常に興味深い。しかし、その説教は逆効果しか生まないだろう。犯人であるガンビア国籍の男に対する茂木氏の説教の趣旨は以下のように要約される。https://www.youtube.com/watch?v=rs44_dxZAOo

 

 


 

「宗教の違いはささいなことである。どんな神の名であっても、どんな儀式であっても、祈り方の差であり、等しくこの宇宙を支配する大きな力に対する畏敬の念を表明することである。神は本質的に一つであり、神道の神も貴方の神も同じではないのか」と言ったのである。

 

更に茂木氏は、「人間が神を恐れなくなった時、唯物論或いは無神論がヨーロッパで生まれ、人が神になろうとする共産主義がはじまった。我々神を恐れるものが戦うべき共通の相手は、この無神論であり共産主義ではないのか?」と言った。そして、最後にイスラム式に祈りの言葉を口にしてこの説教を終わっている。

 

この茂木氏の説教が逆効果だろうと言うのは、犯人の男にとって、これらの宗教間の違いはささいなことではないからである。確かにこの宇宙を支配する大きな力に畏敬の念を表明することは、神道の中心である。しかし、犯人は彼の神が掌る範囲は、存在全てであり、この宇宙はそのほんの一部であると考えているだろう。(補足2)

 

全ての主である神(YHWHまたはYHVH)が物質界を作り上げ、その中に部分的に物質界を超越する存在である人間を住まわせたというのが彼らの宗教だと思う。この点で、日本の神道とは全く異なる。因みに、この神は、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教に共通の神である。

 

人間は、他の物質界の存在と異なり、神との合体(或いは神の世界に入る)が可能な存在であると彼らは考えるだろう。その資格を得るためには、入信とその後の祈りや生き方で自分を高めなければならない。

 

一方、日本の神道では、神は自然を作り上げたと考えても、神との合体などは考えない。人間はあくまで自然の一部であり、その点ではすべての動植物と同じである。それは仏教の影響なのかどうかは分からないが、少なくとも日本の神道では神との合体はありえない。

 

神道、そしてオリジナルな仏教も、天国は想定していないだろう。(補足3)
 

「日本人は、神の名もしらないで神をまつっているではないのか? それは本当に神なのか?」とガンビア人の犯人は言うだろう。しかも、最後に我々の神の名を軽々しく口にして、けしからんと怒るだろう。(動画の最後をご覧ください)


 

2)神との合体

 

キリスト教の聖書には、イエスが最後の晩餐のときに弟子たちに語った言葉が記されている。

「このパンは私の肉体である、この葡萄酒は私の血である」(補足4)というイエスの言葉は、そのパンを食べ葡萄酒を飲むことで、イエスと一体となることを示している。

 

この考え方がカソリックの主流の考え方だろう。三位一体説ではイエスは神であるから、この儀式は神との合体をあらわしている。このヤハウエ宗教では、殉教は天国に行く近道である。そして、イスラム教原理主義が自爆テロで死ぬのは、神のために戦って死ぬの最高の死に方なのである。
 

日本の神道では、自分たちの精神も神の創造によるとは考えていない。従って、神を知ろうとはしない。神はただ恐れる存在である。死は、自然に帰ることだと考えるが、神との合体ではない。(補足5)この根本的な差を考えると、日本神道とイスラム教との間には、共通の基盤がない。
 

なお、天地創造の神話が古事記に取り入れられたのは、恐らく渡来人の影響か何かでユダヤ教の創世記を借用したのではないかと思う。日本人の一部が好きなユダヤ人と日本人の同祖説(日ユ同祖論 )の起源も、同じだと思う。

 

徳島県にある古代ユダヤの痕跡も、後世の作り物だと私は思っている。何故なら、上述のようにユダヤ教と日本の神道はあまりにも懸け離れているからである。

https://himorogi.online/2021/11/shrine-temple/westarea-shrine-temple/633/


 

終わりに:

 

以上書いたように、日本文化とイスラム文化の間には大きな溝がある。従って、イスラム圏からの移住は、彼らが熱心な宗教心を持っているという安心感はあるものの、日本文化とは根本的に合わないという警戒心を持つ必要がある。
 

中国などの神の居ない国からの移住者には、別の意味で警戒が必要である。中国で行われている生体からの臓器移植などが、日本に持ち込まれる危険性が十分存在する。彼らは、何でもありの無神論者としての警戒が必要である。兎に角、異文化共住は非常に危険であることを日本政府はもっと真剣に考えるべきである。グローバリストたちは自分たちは伝統を守りながら、自分たち以外には中国的な行政を考えているからである。昆虫食やLGBTQの強要など、彼らには宗教心はない。


 

補足:

 

1)「八幡信仰は、稲荷信仰と同様、応神天皇の時代に大陸からの移住者である秦氏によってもちこまれた」など、有益な知識を伝授している。この説教は、本当は日本人に対するものだったと思う。茂木誠氏の豊富な歴史の知識は、我々に重要な歴史教育をしてくれていると思う。

 

2)「宇宙以外の存在なんてあるのか?」という質問される方がいるかもしれない。私は取りあえず、少なくとも精神界と物質界が存在すると考えている。我々が物質界を認識できるのは、その物質界から超越しているからである。その認識の主体が精神であり、物質界の外にある筈。物質界の存在に其々名前をつけて、それらの関係を理解すること(=科学という)は、物質界を超越した行為である。それが「初めにことばがあった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。」という聖書の一節の意味だろう。もし反論があれば、コメントしていただきたい。
 

3)オリジナルな仏教は、原始仏典として残っている。それに近いのが般若心経である。その中の「色即是空」の考えによれば、我々の肉体も他の動植物の身体も空なる存在であり、本質的な差はない。「天国」や極楽は、仏教が中国で変異して、浄土教などとなり仏教に入った新しい概念だろう。この分野も齧っただけなので、詳しい方のコメントに期待したい

 

4)これは要約で、詳細はマタイによる福音書第26章をご覧いただきたい。

 

5)日本の神道では、死は自然の中に帰ることであり、それによって永遠の安寧を取り戻すと考えるだろう。そのあり方を最もよく記述するのが、楢山節考でのおりん婆さんの往生の姿である。70歳になった年のある日、祝いの宴をした後、息子の背にのり楢山の頂上付近に運ばれる。そこで、降りしきる雪の中に座して、振り返る息子に手で「早く帰れ」と合図して、その夜凍え死ぬ。死体は、鳥やそのほかの動植物に再利用されることで自然に帰るのである。自然は神の大きな懐の中にあるが、神ではない。

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