注目の投稿

人類史の本流は中華秩序なのか、それとも西欧型秩序なのか

1)米国が露呈させた中国共産党政権の真の姿と日本の課題   日本が抱えている最重要な課題は、コロナ問題や拉致問題等ではなく、表題の問に対して明確な答えと姿勢を持つことである。短期的な経済的利益に囚われないで、現在が世界の歴史の方向が決定される時なのかどうかを考えるべきである。...

2023年8月8日火曜日

空虚な広島松井市長の平和宣言

 

8月6日は広島原爆の日。記念式典では、松井市長の平和宣言で「核抑止論からの脱却を」という核兵器廃絶の訴えがあったと、中国新聞他多数のマスコミが報じている。(補足1)

https://www.chugoku-np.co.jp/articles/-/343165

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230806/k10014154771000.html

 

 

この平和宣言文の中心は、「核による威嚇を行う為政者がいるという現実を踏まえるならば、世界中の指導者は、核抑止論は破綻しているということを直視し、私たちを厳しい現実から理想へと導くための具体的な取組を早急に始める必要があるのではないでしょうか」という主張である。(以下赤字は平和宣言中の言葉)

 

この文章中の「核の威嚇の存在は核抑止論の破綻を意味する」という部分は、理想論展開のためのごまかしであり、その論理こそが破綻している。それは、歴史と現実に学び、論理的に自国に平和を実現する方法を考えるというタイプの宣言ではなく、所謂空理空論の類である。

 

「核兵器を持てば、他国から核爆弾を落とされる可能性は低くなると同時に、核兵器で脅されることも防止できるだろう」という核抑止論は、核兵器の廃止が出来ないということを踏まえての現実論である。

 

核兵器廃絶がほとんどあり得ないのは、デジタル機器の廃絶やAIの廃絶があり得ないことと同じで、時間を過去に向かって進めることが出来ないということである。

 

 

2)広島に核廃絶は無理である:

 

ビーカーに一滴のインクを撤下した時の光景を思い出して貰いたい。インクは徐々にビーカーの隅々まで拡散し、一日も経てば全体を薄く色づけるだろう。世界に核兵器が広がるのは、インクの拡散と同じ自然な現象である。

 

インクを水から分離するには、吸着剤を投げ入れる必要がある。強力に吸着する化学的力を利用することで、インクの着色分子を取り除くことは可能である。単に平和文化や非核三原則をお経の様に唱えるだけで出来る訳が無い。強力な力が必要である。

 

広島が核廃絶の中心的力となると言うのなら、その巨大な力をどのようにして獲得するかを考えるべきである。もっと厳密な論理を用いて広く深く思考しなければ、仮に神が核廃絶のプロセスを用意してくれても、見つけることは不可能だろう。

 

一歩下がって頭を冷やし、貴方は何のために核廃絶を望むのですか?と自問自答すべきである。(補足2)それは、①「私と家族が平和に豊かに暮らすため」なのか、②「我が民族が平和に豊かに暮らすため」なのか、それとも③「全人類が平和に豊かに暮らすため」なのか?

 

それぞれの目標設定に対して、核兵器に関する別々の答を思いつくだろう。核抑止論は、②の目標設定での一つの答であるが、③の目標設定ではない。③の目標設定に対する答えは核廃絶である。つまり一つの敗戦国の地方都市の市長が、出来もしない③の目標設定を宣言しているのである。それは、広島と救世主イエスとを同一視するナルシシズムの所為なのか?

 

人間の歴史は、先史時代から部族と部族の殺し合いで始まり、主権国家間の戦争という形に変化している。歴史とは、それら多くの殺し合いが、章や節で区切られた文書である。どのように目標設定するにしても、先ずは、その歴史を冷静に復習することから始めるべきである。

 

 

3)平和への道

 

近代は、人種差別を乗り越えて世界中の多くの民族を主権国家として独立させ、民族自決の原則を各国が確認することで終わった。その中で、多くの戦争と犠牲者を出した。その後の世界の歴史としてグローバルな社会を考えるのは自然である。しかし、それは個人ではなく主権国家を構成員とすべきである。

 

つまり、全世界を単一の政治権力で束ねることは、〇〇〇の恐怖政治を想定しない限り無理である。その理由は、地球は均一ではなく、その表面で生きる人間の生活と歴史も広く分布しているからである。

 

政治制度で考えても、社会主義をとる国、“皇帝”による独裁国、民主主義を標榜する国々などが存在する。その地球世界を、例えば50年位の短期間の内に単一の政治権力で統合するには、恐らく、核戦争で人口の50%程度が死滅する位の恐ろしい歴史の一章が必要だろう。

 

そのような大変革を目指しているのが、〇〇〇の一派でありグローバリストと呼ばれている人たちだろう。それと対立している勢力が、民族主義者と呼ばれる人たちである。米国ではトランプ、ロシアではプーチン、中東サウジのムハンマドなどである。

 

インドのモディやトルコのエルドアン、そして 日本の安倍元総理なども、思想的には民族主義者だ。現在、多くの民族主義者は、暗殺の対象となっているだろう。実際、安倍元総理はグローバリストが牛耳るある国のCIAにより殺されたと国際政治評論家の田中宇氏は言う。

 

 

 

現在、グローバリスト勢力は、これまでにため込んだ金融資産を使って、民族主義者を疑似民主的インチキ選挙などで落選させ、戦前の大日本帝国や米国FBICIAを用いる米国現政権のように、司法を武器化してグローバル単一政権樹立を目指している。

 

このような巨大政変では、気が付いた時には殺される時か籠の中の鳥状態にされているかのどちらかだろう。今世紀の戦争から平和への道は、次期権力者が不要な人と国を破壊しつくして、更地にすることである。

 

中国の少将であった朱成虎は、世界の人口削減のために、人口密集地であるインドや日本を先制核攻撃するべきだと言った。それが朱成虎が考えた中国の為の平和への道である。

(ウィキペディアの朱成虎の項目参照)

米国民主党政権にとっての平和への道は、広島を原爆で破壊することだったことを知るべきだ。(補足3)

 

 

4)インド独立の父、チャンドラボース

 

平和宣言の中で松井市長は、かつて祖国インドの独立を達成するための活動において非暴力を貫いたガンジーは、「非暴力は人間に与えられた最大の武器であり、人間が発明した最強の武器よりも強い力を持つ」との言葉を残していますと言った。

 

その紹介の前に、松井市長は次のような歴史を勉強すべきだ。ガンジーは、イギリスが掲げていた植民地支配の正当性を砕くため武力によらない抵抗運動を行ったが、結果的にはイギリス軍によるインド人の無差別虐殺が発生した。(ウィキペディア参照)

 

一方、チャンドラボースは、「真に自由を欲するものは、自らの血をもって戦い取らねばならぬ」と言って、武装により独立を勝ち取るべく旧日本軍とも協力して英国と戦った。インドが伝統的に親日

的なのは、インパールなどで共に戦った歴史があるからだろう。

 

因みに、チャンドラボースは1945年に日本の敗戦直後に飛行機事故で死亡し、台湾で荼毘に付された。インドでは、"いまだボースは生きている"と信じている人が多く、その所為か彼の遺骨は 東京都杉並区の蓮光寺に眠っているという。

 

 

ガンジーの理想論を母とし、チャンドラボースの現実論を父として、インドは、独立を成功させたといえる。両者とも、血を流す覚悟の上での独立運動だっただろう。そのインドの政治段階を日本は未だに回復していない。

 

平和宣言では、「平和文化」を世界中に広め、為政者の心に届かせることで、武力によらず平和を維持する国際環境の醸成を目指していると言う。それは、米国によって日本を無力化する戦略の一環として強要された“平和憲法”の思想そのものである。

 

 

終わりに:

 

日本民族が50年後に平和裏に存続するためには、上記のような幼稚な“平和思想”を乗り越えなければならない。しかし、それはなかなか困難なように思う。何故なら、松井市長の平和宣言を批判する記事、この国のマスコミには皆無であり、彼らは全て山本七平が言う”日本教”の信者だからである。

 

日本人の殆どは、式典の中でも日常の中でも、空虚な言葉のなかで生きている。山本七平は実体語と空体語ということばでこの日本の言語文化を表した。実体語は現実的な言葉で空体語は理想論である。日本人がその二つに頼るのは、理想と現実の橋渡しを論理的に行えないからだろう。

 

山本七平によると、全ての人間はこれら実体語と空体語の支点に位置し、その支点が空体語に近い程価値の高い人間だと見られるという。その結果、日本人の殆ど全ては、葬式や法事での坊主のお経(音読み漢文)をありがたく聞いているのである。私はこの習慣が嫌いである。

 

(8:00 編集;12:15 編集、補足3に数行追加)

 

 

補足:

 

1)以前にも平和宣言について書いたことがある。少し異なった議論が出来たと思う。

 

 

2)平和の実現などの方法ではなく、「核兵器が憎いのだ。従って、核廃絶が最終目標なのだ」とは言わないだろう。しかし、今回のような平和宣言や核廃絶を訴える人たちの話を聞くとき、そのような心理で発言されているのではないかと疑ってしまう。

 

3)米国の圧力団体として有名な米国サイモン・ヴィーゼンタール・センターのアブラハム・クーパー副館長が、新潮社編集部の取材で広島と長崎への原爆投下について語った以下の言葉が「その冷酷な現実」を示している。「率直にお話ししますが、個人的に言うと、私は原爆投下は戦争犯罪だと思っていません」(「新潮45」2000年12月号)

米国のユダヤの人たちが日本を嫌う原因は、原爆投下の罪悪感の所為なのか、満州でのユダヤ人虐めシモン・カスペの誘拐殺人事件が原因なのかはわからない。

米国のユダヤの人たちが日本を嫌う原因は、原爆投下の罪悪感の所為なのか、満州でのユダヤ人に対する対応;シモン・カスペの誘拐殺人事件が原因なのかはわからない。 もう一つの例を追加する。8月6日の日曜日のザ・プライムで、被爆者の小倉桂子さんの言葉が紹介されていた。米国を訪問した際、ある方から「原爆を落とされてよかったね。一億の人が自決しないで済んだもんね」と言われたと話していた。(15:30、編集)

 

0 件のコメント:

コメントを投稿