中国の脅威が米国の強める対中強硬姿勢により大きくなり、それに応じて中国は戦争準備を進める一方、日本も米国による対中国作戦への協力体制が着々と準備&整備している。 http://www.world-economic-review.jp/impact/article1842.html
それらを列挙すると: 1.憲法改正; 2.中露朝との緊張増幅; 3. NATO 諸国の軍と共同演習; 4.防衛予算の拡大; 5.財政法無視の常態化; 6.人気の落ちた岸田総理から、女性初でグローバリストの総理大臣へのバトンタッチ?
6.の総理大臣の交代だが、自民党総裁選は 9 人の立候補を得て、 27 日の投票を待っている。その中で有力な議員が多くいるが、もう従米反中路線の高市候補にほぼ内定しているのではないかと 14 日の本ブログサイトで書いた。小泉進次郎氏は、大衆への人気と立候補会見での政策ともに抜き出ているが、落選するだろう。(補足1)
ほとんどの候補が掲げる中心的課題は経済振興であるが、河野氏と小泉氏以外は結局財政法(の精神)を無視して国債を大量発行する(日銀に半強制的に引き受けさせる)ことに頼るようだ。生産性向上に関して具体的且つ本質的な対策を述べているのは小泉候補のみである。(前回記事参照)そこで、いわゆる右派系を動員して大々的に小泉おろしキャンペーンがなされている。
中国及び米国の脅威に話を戻す。
今年 6 月頃だったと思うが最近の政治の動向を見て、ジェイソンモーガン氏は以下のように話している: 米国は戦争に先に黒人を送り込み、彼らが死んでから白人を送るという方法を、ベトナム戦争などで用いてきた。これから日本人が先に前線に送られ死ぬことになるだろう。 https://www.youtube.com/shorts/4IRBSSrCytI
これも少し古いが、今年 6 月 25 日の東京新聞のネット記事を引用する。“「自衛隊と他国との訓練」がこんなに増えている 対中防衛の最前線を「日本に任せたい」アメリカの思惑?” と題する東京新聞の記事がある。 https://www.tokyo-np.co.jp/article/335733
上記 対中国政策の 3 . NATO 諸国の軍と共同演習について書いた記事である。ここでは対中防衛と書いているが、それは対中戦争とも読める。石破氏を除いて、残りの候補はほぼすべてこの米国の意思を尊重しているようだ。
ただ、対中国防衛として進めている自衛隊装備と他国との軍事協力の増強が、日本の防衛というよりも集団的自衛権行使を可能にした安保法制に則り、米国の対中国戦争へ向けた 日本にとっては捨て身の協力体制 のように見える。
日本国と日本国民の生命と財産の防衛を論理的且つ真剣に考えれば、対中国防衛には全く異なった体制が必要である。 NATO 諸国の軍と共同演習をやるより、日本国内での核ミサイル迎撃システムや核シェルターの設置が必須である。そして、何よりも核抑止力としての核武装である。
米国との集団安保など日本国防衛には無意味である。米国は日本防衛に対して米国自体が核攻撃される危険性を顧みないで日本の敵を核迎撃する筈がない。核の傘は幻であり、敵は米国の核反撃を恐れて日本への核攻撃を踏みとどまる可能性は小さい。(第3節の朱成虎少将の言葉参照)
2.対中国防衛
中国の大量の核兵器が、仮想敵国に投下されるシナリオは多くあるだろうが、その中で非常に確率が高いのは、集団的自衛権の発動として対中戦争に参加する日本への核攻撃である。
日本国民は戦後平和国家として再出発を誓った。日本には通常兵器での武装さえ、戦争につながる可能性を考えて反対する人が多い。従って、日本人の純粋な意思によって政権が選ばれる限り、日本側の責任で他の国との間に戦争の種が発生することはない筈である。
しかし、21世紀に入り。日米安全を集団的自衛権を日本も行使し得る軍事同盟に格上げしたのが、小泉(父 )政権の時の有事法制と安倍政権の時の安保法制である。米軍への協力も含めて事態ごとに取りうる軍事行動を記述し、米国などとの集団的自衛権の行使を可能にする法律:「平和安全法制整備法案」と新設の「国際平和支援法案」を制定した。
これらは明らかに憲法の想定範囲を飛び超えている。
米国が中国の弱体化を狙って日本やフィリピン、そして ANZUS (オーストラリア、ニュージーランド、米国)らを動員して戦闘になることを予期しながら、今後中国を刺激していくだろう。それは、ウクライナ戦争に至るまでに、カラー革命、 NATO の東方拡大、ウクライナでのテロなどでロシアを 20 年間刺激してきたシナリオの中国版である。
現在中国経済はボロボロで、米国ネオコンたちは中国潰のチャンスとみているだろう。そこで中国を何かと刺激すると、経済がボロボロの中国、民衆の不満がたまっている中国は激しく反応する。その刺激する側に日本が入っていれば、歴史問題とその教育によって育成された彼らの敵意は一挙に日本に向かうだろう。
学校教育で日本は悪い国で日本人は悪人であると教えられてきた中国人には、現在既に日本人への憎しみが相当増幅されている。戦争となれば、まずは日本をターゲットにする筈。台湾統一は習近平の業績稼ぎにはなるが、同胞だと考えるので、あまり手荒なことはできないが 、日本に対してはどんなことでも可能である。
中国人民解放軍少将の朱 成虎は、今後核兵器は日本やインドに用いる可能性を公に発言している。ウィキペディアに書かれているが、朱少将の 2007 年 7 月の西側メディアに対しての発言を下に引用する。
3.中国による対日核攻撃
「我々(中国)は核兵器の先制攻撃により中国以外の人口を減らすと共に自民族を温存させる事に力を注ぐべきで、この核戦争後に 百年余りの屈辱に満ちた歴史を清算し未来永劫この地球を支配する様に成るだろう。 世界の人口は無制限に迅速に増加している。今世紀中に爆発的増加の極限に到達するはずだ。しかし地球上の資源は有限なのだから、核戦争こそ人口問題を解決するもっとも有効で速い方法である。
中国政府は全力で核兵器の開発に取り組んでおり、 10 年以内には地球上の半数以上の人口を消滅させるだけの核兵器を装備することが可能である。中国は西安以東の全都市が焦土となる事を覚悟している。米国も数百の都市が破壊される事を覚悟しなければならない」
「もしアメリカが中国と台湾との軍事紛争に介入し、ミサイルや誘導兵器を中国領土内の標的に向けて発射すれば、中国は核兵器で反撃する。現在の軍事バランスでは中国はアメリカに対する通常兵器での戦争を戦い抜く能力はないからだ」
「アメリカが中国の本土以外で中国軍の航空機や艦艇を通常兵器で攻撃する場合でも、中国側からのアメリカ本土核攻撃は正当化される。(アメリカによる攻撃の結果)、中国側は西安以東のすべての都市の破壊を覚悟せねばならない。しかしアメリカも数百の都市の中国側による破壊を覚悟せねばならない」(以上、ウィキぺディアより)
朱成虎の西欧メディアに対する発言は、西欧諸国に対する警告であり、当時の感覚では実行はしない可能性の方が遥かに大きいだろうと考えられた。ただ、中国高官の視野の中にこの核攻撃による市街でのホロコーストも選択範囲に入っていることが明確になった。
全体としての文意は、中国による台湾併合の際に米国が過剰な干渉をした場合、中国は全面核戦争になっても米国と戦う意思があるという内容だが、相当編集されているように感じる。この言葉で重要なのは第一節である。
特に注目すべきは、赤字で示した部分である。中国が考える「百年余りの屈辱に満ちた歴史」とは、主として日本による中国侵略の歴史である。アヘン戦争から西欧各国の中国進出は 200 年前に始まるので、朱成虎の視野の中心にはないだろう。
以前、ウィキペディアには、地球上の人口は益々増加し、有限な資源の中で人類が永遠に生存するには、人口密集地である日本やインドに核を投下して人口削減を行うべきであるという類の文章が書いてあったと記憶している。インドがかなりの核ミサイルを持つ今、将来の核攻撃の的の中心にあるのは日本である。
4.中国の「国恥の日」の行事とその教育の的は日本である
中国人は世界で最も優れた民族であるとの思想は、西欧や日本の侵略により侵害された。特に東夷とか倭人(小さい人の意味)とか言って蔑視していた日本人に侵略され、中華思想が破壊された恨みは骨髄に至っているのかもしれない。
中華民国が定め今も中国人に刷り込まれているとおもわれる「国恥の日」は、その恥辱を雪ぐという民族の目標を失わない様に制定されたのだろう。
国恥の日は一年に 8 日選ばれており、その日には国民にたいしてその出来事の意味等を教える儀式がなされていたようである。その効果が表れたのが、上記朱成虎人民解放軍少将の「 百年余りの屈辱に満ちた歴史を清算し未来永劫この地球を支配する様に成る 」という言葉だろう。
国恥の日と関係する事件等は(補足2):
1月28日 (昭和7年 =1932 )(上海事件) ;5月 3日 (昭和2 =1927 )(濟南事件)
5月 9日 (大正4年 =1915 )(21ヶ条問題) ;5月30日 (民国 4 年 =1915 )( 5 卅事件)
6月23日(民国 14 年 =1925 )(沙基街事件) ;8月29日 ( 1842 年)(南京條約)
9月 7日( 1901 )、(辛丑條約) ;9月18日 (昭和 6 年 -1931 )(満州事変)
である。それら各歴史的出来事に対する教育は、記念日における行事の中で行われるとともに、学校教育でも行われていた。(補足3)(山本 忠士著「中国の「国恥記念日」に関する一考察」日本大学大学院総合社会情報研究科紀要 No. 2, 107-116 (2001 ))
上記山本氏の論文には、共産党中国になって国恥の日は継承されていないと書かれているが、現在の中国では復活していると思われる。学校教育で中華民国時代と変わらない或いはそれ以上の反日教育が行われていることは周知である。
1972 年の日中共同宣言より前の 1952 年に設立された日中友好議連などで活動している国会議員は、果たしてこの事実を知っていたのだろうか? 知っていたなら、何故それを日本国民にも教え、本当の意味での日中友好関係の樹立に努力しなかったのだろうか?
日本の政治家は自分たちの利益と立身出世のためだけに日中友好を謳ってきたのだろう。国民と国会議員の間の垣根を取り壊す努力の跡等全くない。
そして国恥の日の 9 月 18 日、深圳の日本人学校の小学生が現地の中国人に刺殺された のである。
これらの事実を知れば、朱成虎少将の「将来のある時期、世界の人口削減のため人口密集地であるインドや日本を核攻撃すべき」という言葉の背後に、この「国恥の日」の制定という中華民国の歴史があった筈である。この言葉に戦慄を覚えない日本人は居るだろうか?
現在の反日教育の実態は、深圳での日本の児童刺殺事件との関連で朝香豊氏の youtube 動画が紹介している。 https://www.youtube.com/watch?v=JMhBeT3XP1c
VIDEO
5.日本は核武装の上で、単独防衛を目指すべきである
核武装は一番安上がりで効果の高い防衛法である。伊藤實氏は一貫して日本の防衛には核武装が必須であると訴えておられる。
https://www.youtube.com/embed/YAmRfo2vL7c
実は、その必要性は米国もとっくに気付いていた。何故なら、ニクソンが大統領だった時、彼とキッシンジャー補佐官は、佐藤内閣の時に日本に核武装を進めたからである。その経緯を少し書く。日本の政治の貧困が分かるだろう。
佐藤が総理になったときに、沖縄返還を実現した。その実現のために彼は米国に対して一世一代の芝居を行った。それは、「沖縄を返せ、米軍は沖縄から出ていけ」といったのである。それでニクソンとキッシンジャーは驚き、佐藤は独自防衛を考えているらしいとして、日本に核武装を進めたのであった。
つまり、日本のような小さい国が、中国とロシアという巨大国家に囲まれて独自防衛するには、核武装しか無かったのである。そのうえで、今後東アジアでの自由主義陣営の極となることを期待したのだった。しかし、佐藤と会ってみて、彼はそんな世界戦略を考える人物ではなく、単に沖縄返還というメダルが欲しかっただけだと分かったのである。
佐藤は愚かにも沖縄米軍がいつでも核ミサイルを運び込む可能性があることを承知の上で、「日本は非核三原則を国是とする」と言い放ったのであった。彼は国民に詐欺を働いたも同然であった。
(元スタンフォード大フーバー研究所上席研究員 片岡鉄哉著「核武装なき改憲は国を滅ぼす」を参照)
国際政治学者でもある伊藤實氏がキッシンジャーは一流の政治学者であったと言っている。彼がニクソン大統領の補佐官として日本に核武装を勧めたのだから、中国と日本の歴史的経緯も十分承知の上で、日本の独自防衛には核武装が必須であると考えたのだろう。
これも何度も引用したことだが、キッシンジャーは「アメリカの敵になることは危険かもしれないが、友人になることは致命的である」と国際政治学者としての本音を述べている。これほど今の日本に当てはまる言葉はない。
追補1: 深圳日本人児童刺殺事件を日本は非常に深刻に受け取るべきであると、中国から帰化された石 平 氏により解説されています。それを追補として引用します。(9月24日早朝追加)
VIDEO
https://www.youtube.com/watch?v=re9NjVxu0WY
追補2: 四川省カンゼ・チベット族自治州新竜県の副県長である黄如一という人物が、ウィチャットのやり取りの中で、日本人男児殺害に関して「そんなに大ごとか?」とか、(中国人にとって)「紀律とは日本人殺すこと」と発言したことが話題になっている。
黄如一は自治州の副県長なので地方政府要人である。上に自治体幹部とあるがそれは間違いで、正しくは自治政府幹部である。(9月24日18:30追加)
補足:
1)ネットでは小泉おろしが盛んだが、その一方、日本の民間の知性の一人と思われる堀江貴文氏との会見で最も話が深部に及び且つ意見の一致を見ているのが、小泉候補であった。 https://www.youtube.com/watch?v=xlSOFIAnZt4 と https://www.youtube.com/watch?v=2dpZ17hjwCE
堀江氏はほかに河野太郎氏、石破茂氏と討論しているが、どうも深くまで議論は及ばなかった。
https://www.youtube.com/watch?v=1IVPaKENzFM
https://www.youtube.com/watch?v=VtchFkWBbpE
2) 沙基事件 は、六二三事件とも呼ばれ、 1925 年 6 月 23 日に中華民国広東省広州市の沙基(サーケイ)という通りで反英デモ隊にイギリス軍が発砲して多くの死傷者を出した事件である。
南京条約 (ナンキンじょうやく)とは、 1842 年にアヘン戦争(第一次アヘン戦争)を終結させるため、清とイギリスの間で結ばれた講和条約。
北京議定書/辛丑和約 . 1901 年、義和団事件後に清朝政府が列強と締結した取り決め。
これら以外は中国進出を進める日本との衝突事件である。
3)「中国の「国恥記念日」に関する一考察」に以下のように書かれている。
戦前、日本側がまとめた資料によって、当時の中国での学校教育の一部を窺い知ることができる。 1963 年に国立教育研究所所長になった平塚益徳は、「国恥教育」が取り入れられた経緯について、中華民国第 1 次全国教育会議( 1928 年 5 月)で次のような方針が定められたことを報告している。
1. 国恥教材を十分に教科書中に編入すること。
2. 学校は機会ある毎に国恥事実を教育し、中国第一の仇敵は、何国なるかを知らしめ、これを反復熟知せしめること。
3. 国恥図書を設備し、学生をして機会ある毎に之を見せしめ、注意を喚起せしむること。
4. 第一仇国を妥当する方法を教師、学生が共同して研究すること。
当時の中国の小学校、中学校の教科書について調査した財団法人東亜経済調査局編訳『支那国定排日読本』(昭和 6 年 (1931)8 月刊)の序文によると、「中国における排日運動が、当初の感情的、無頼的雷同より、暫時理知的、組識的運動となり、国家的背景をさえ有するに至りし事は、吾人の深甚なる注意を要する所」とし、この当時の中国対日政策の根幹を成すものが「排日」であると指摘している。
また、政府当局は、排日思想の普及に手段を選ばず、努力しつつあると述べ、具体的に国定教科書に排日記事が羅列されており、これが「純真なる児童に排日の「毒酒」を盛りつつある行為である」と日本側としての危機感を募らせている。
今日でも、歴史認識、教科諸問題に見られるように、日本関係の歴史問題になると、感情を露にした厳しい姿勢が見受けられるが、そこに「国恥」をあえて記念日とした思いが、政権は変っても中国の戦前・戦後を一貫した対日観が感じられるのである。
(16:30、編集あり; 9/25/朝、追補1、追補2を本文下に移動させで最終稿とします )