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2015年3月3日火曜日

日本経済の成長戦略:鍵は差し当たり教育改革では?

1)安倍内閣の成長戦略が議論されて久しい。第一の矢と第二の矢は、金融緩和と財政拡大であり、覚悟があれば誰が総理になっても出来る(注1)。第三の矢が的に当てられるかで、成否は決る。規制緩和などで、農業なども含む全ての分野での経済活動の自由度を増すこと、それに、労働市場の正常化、女性の力をこれまで以上に活用するなど、いろいろの案がある。

しかし、それはそれで一定の効果が期待できるが、本当にそれが出来るだろうか?もし、出来たとして日本は再び経済大国の路を歩めるだろうか?という疑問が残る。

例えば、労働市場の正常化では、同一労働同一賃金の原則の達成が期待される。実現すれば、中途雇用者も非正規雇用者も、正規雇用者と給与で差別を受けなくなる。また会社は、必要に応じた雇用が可能になり、自由度が増加する。また、労働者も正規雇用に拘る必要がなくなり、多様な働き方が可能になる。しかしそうなれば、例えば会社員の人生に於ける、会社の意味が変化することになる。例えば、退社後の“ちょっと一杯どう?”という文化が変わることになるのだ。また、同一賃金同一労働ということになれば、これまでの年功賃金制に変化が生じることにある。それは、30代に長期ローンでマイホームを得るという形の人生設計に、変化が生じることになる。

つまり、第三の矢は、日本文化の問題でもあるのだ。その点をもっと周知して、議論を国民の間に起こした後に、行なうのでなければ、途中で矢が折れてしまうだろう。ところで、最初の疑問に戻って、それらが実行されたとして、日本の経済がかつての繁栄を取り戻すか? 私はNOだと思う。

2)アベノミクスの中での定理として、“会社が元気になれば、やがて賃金が増加し、それが需要拡大を引き起こし、プラスの連鎖が生じて、日本経済が立ち直る”というのがある。そして、このトリクルダウンと呼ばれる定理は、成立しないという意見も多い。私は、その最初のステップである会社を元気にすることも、金融緩和という言わば頓服薬の服用を止めても続くかどうかが問題だと思う。つまり、日本のマクロ経済の問題として、この20年間の経済低迷を捉えることがそもそも間違いなのであり、もっとミクロな視点で考えるべきなのではないか。つまり、個々の細胞を元気にする健康法のような考え方が大切だと思う。それは、例えば上記例にも挙げた文化の問題とも言えるし、もっと具体的には人材の問題であるとも言える。

実行可能で、且つ、もっとも効果的なのは、国内に優秀なる人材を育てることである。その為の教育改革が、時間はかかるが大切な不況対策であると思う。

この種の問題を考える場合、強い経済の国、つまり米国を参考にすると判り易いだろう。例えば、米国の実体経済を支えている企業として、従来からあるエクソン、GE、ジョンソン&ジョンソンなどの企業の他に、株価総額一位と二位を占めるアップルやグーグルの他に、インテル、マイクロソフト、フェイスブックなどの新興企業が多いことは誰でも知っている。電子・コンピュータ技術からインターネットへの技術発展を背景にした、このような世界企業が、何故短期間の内に米国で生じたのか?それをもっと真剣に考えるべきである。これらの企業は、営業利益率(注2)が非常に高く、多少のドル高など問題にしないほど強靭な体力をもっている。

これらの企業が短期間の内に、米国で生じたことの原因を、アメリカンドリームという言葉で片付けがちであるが、本当は、優秀な大勢の学生達が大学で即戦力を身につけて社会に出てくるからだと思う。

今年一月に東大教授であった経済学の伊藤隆敏教授が、コロンビア大学に移られた。テレビ番組(モーニングサテライト)で、確か、東大の定年制に疑問を持ったのが一つの動機であったと聞いた。その伊藤教授が早速大学院での講義の準備をされている光景がテレビで放送されていた。その準備とは、講義で学生達と議論するために、受講者約40名の顔と名前を覚えることだった。

つまり、数年前に話題になったサンデル教授の白熱教室は、米国での常識的スタイルだったのである。日本の講義スタイルは、先生が教科書片手に喋り、時々黒板に式を書いたりするスタイルだった。学生達の理解度などは、テストするまで判らない。定期テストの前に一夜漬けではないものの2、3日かけて勉強し直してテストを受けるのである。日本の大学や大学院の講義は、高校の延長でしかない。専門分野に進んでも、本当に力をつけることが出来るのは、セミナーや学会で自分が喋ることになってからである(注3)。

人は社会的動物であり、周囲の雰囲気次第で、勉学でも仕事でも真剣度が全くことなる。大学教員の質と講義の真剣度、学生の大学における勉学態度両面から、日本の大学には改革すべき点が多いと思う。

中学校や高校での教育も、改革すべき点は多いだろう。橘玲氏の「知的幸福の技術」という本がある(注4)。その教育のセクションに、現在の底辺校のすさましい実態が書かれている。私はこのような状態で放置している政治の貧困に、昨今の残酷な事件と日本国全体の国力の低下の原因を見た気がする。その高校に奉職する橘玲氏の友人が、「自分の職場は教育機関ではなく、生徒の収容施設だ」と言ったと書かれている。

一般にはこのような現象をゆとり教育の所為にする。しかし、ここでもこの本当の原因は画一的な人生を要求する日本社会、つまり日本文化にある。高校教育を何故、殆ど全ての人が中学卒業後受けなければならないのか?退屈だと思う生徒は、一度社会に出て、後で興味が出た時に勉強すれば良い。おそらく、底辺校の生徒でも自分で動機を見いだせば、かなりの生徒は十分実力をつけるだろう。ただ、そのようなレールを外れた人生を日本社会は拒む。経済のグローバル化が将来の必然なら、徐々に文化もグローバル化しなければならない。

注釈:
1)金利が既にゼロ近辺なので、日銀が出来る金融緩和は国債買取などで行なわざるを得ない。これは放漫財政や、市場での流通量減少により正常な取引が出来ないことに因る価格異常(暴落)などの危険がある。また、不況にならない形での金融正常化が非常に難しい。
2)売上高に占める営業利益の割合が営業利益率である。これが高いことは、他の競争相手を寄せ付けない、オリジナリティーとブランド力を有することを意味している。
3)ことわざ、To teach is to learn. 教えること(前で喋ること)は、学ぶことであるを思い出す。
4)この本は決して教育に関する本ではない。人生に拘る多くのことを著者独自の視点で議論した面白い本である。

素人のコメントですので、ご意見ご批判期待します。

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