昨日のテレビ番組“そこまで言って委員会”で、出版が始まった昭和天皇実録とその内容、特に先の大戦における天皇の立場、についての議論があった。
大日本帝国憲法下での天皇の権力について:第1条の天皇主権の条文、第4条の天皇は国家の元首であるとの条文、第11条の「天皇は陸海軍を統帥する」という条文などで、権力が天皇に集中している印象を受ける。ただ、統治は憲法に基づいて行なわれ(第4条)、第55条の「国務各大臣は天皇を輔弼しその責に任す」という条文が根拠となり、実際は各大臣に行政が任せられていたことから、帝国憲法下の天皇に関するパネラー達の理解は、「権威はあっても権力は行使されなかった」というのが支配的であった。
ただ、津川雅彦氏と竹田恒泰氏は、戦争責任が天皇に向かうことを過剰に警戒してか、帝国憲法下の天皇権力を過小化する主張をしていた(注1)。竹田氏によれば、天皇が政府決定に関与したのは、ポツダム宣言受諾の時と、226事件の時くらいだったという。前者は御前会議での所謂“ご聖断”であったが、後者は天皇の暴徒鎮圧の意志が軍首脳に伝わり、結果として軍を鎮圧に導いたという間接的なものだった。従って、在位中の権力行使は合計しても1.5回程度であったということである。更に、竹田氏は旧皇族らしく「昭和憲法の下の天皇も帝国憲法下の天皇も実はたいして違わないのだ」と、主張していた。現憲法下でも天皇の国事行為として大臣の任命などがある(注2)が、帝国憲法第1条と第11条を考慮すれば、違いは明白であるにも拘らずである。
一方、実際に政府決定に強く関与したことがあったという事実や、帝国憲法第55条の条文の意味は、各国務大臣は天皇に“助言する”だけなのだから、最終的権力は天皇にあると解するのが言語上正しい筈である。この文字通りの理解で天皇の戦争責任を主張したのが、日本共産党や日本社会党である(注3)。
実際は、これらの意見の中間、つまりパネラー大半の理解である、”憲法上の天皇の権力と内政や外交において実際に“行使された権力”の間に、大きな差があった”というのが現実に近いと思う。
私の考えだが:昭和天皇個人に戦争責任を問うべきではないが、天皇という地位が軍の暴走の根拠として利用されたという事実により、戦争責任があったと思う。そして、新憲法で天皇にそのような権力を置かないという形で、”天皇と言う地位”が責任をとったのだと考えればよい。この考え方は、美濃部達吉の天皇機関説的な戦争責任の解釈なのだろう(注4)。
一方、占領軍が戦争責任を問わなかったのは、「権威があっても実際上権力行使は無かった」という理解によるのではなく、占領軍の政治的思惑によるものであったと思う。
昔から、権力者はあらわな権力誇示を嫌う。例えば、江戸で幕府をひらいた徳川家康は、全く権力の無かった天皇から征夷大将軍という地位を貰って、自分の権力を正当化した。このときの天皇は将に、“権威あれども権力なし”の状態だった。英国にも、「国王は君臨すれども統治せず」という慣習法としての憲法があるという。つまり、本当の権力者は如何に失政の言い逃れをするかについて腐心してきたのだ。それが責任論を複雑にする理由だろう。
注釈:
1)津川氏は「権威はあったが、権力はなかった」とパネルに書いたと記憶している。竹田氏は“昭和憲法下の天皇とたいして違わない”(以下の文章参照)という表現を用いていた。
2)竹田氏は、現憲法下でも天皇が大臣任命を拒否する特別の場合があるかもしれないと言っていた。しかし、憲法4条に規定する天皇の国事行為は、憲法1条の「天皇は日本国民統合の象徴である」を具体化するためのものと私は考える。従って、竹田氏の言うveto(拒否権)はあり得ない(象徴に国家元首のvetoはおかしい)と思う。竹田氏は憲法学者を名乗るなら、明確にこの件雑誌等に書いてもらいたい。
3)元共産党議長の宮本顕治氏の国会での発言が放送されていた。パネラーでは田嶋陽子氏が、帝国憲法の字句通りの解釈を行なっている。
4)この点、専門の方の意見を聞きたいと思います。
(2015/3/30;am10:55;同日17:20語句修正)
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