大航海時代に入り、西欧諸国からキリスト教の宣教師が世界各地に布教活動にでかけた。その目的は、結果から推測すると純粋に宗教的なものではなかった。つまり、スペインで創設されたイエズス会などは植民地支配に重要な役割を果たしたからである。米大陸は殆どポルトガルとスペインの植民地になった。
同じパターンの作戦が現在も行なわれているのではと最近考えた。ただし、布教の対象はキリスト教ではなく、人権や正義、そしてそれを基礎にした民主主義である。
民主主義が最高の政治形態であるとして、発展途上国に経済的、軍事的、諜報的な援助とセットで送り込む。その結果、支配していた独裁者にたいして、それまで抑圧されてきたと感じている人々は人権と正義を心に抱いて立ち上がり、独裁者は大衆の歓声の中で姿を消す。独裁国家であった国々が、民主主義思想で破壊された結果残されるのは、混乱と軍事的な西欧諸国への依存ではないだろうか。
経済的発展段階に従って、相応しい政治形態をとるという唯物史観の見方が正しいとすれば、発展途上国に民主主義革命をおこすことは混乱を招くだけである。アラブの春は、ひょっとして、そのような出来事だったのではないだろうか。それらの“作戦”が最終的には英米を中心とした西欧諸国の好ましい国家に導くというのなら、植民地政策の中でキリスト教が果たした役割と酷似しているように見える。我国が西欧諸国と歩調をあわして、国際政治に参加するには、そのことを十分承知すべきだと思う。
日本にも民主主義がもたらされたが、国民の中に努力して勉強をし、積極的に政治に参加するという人は未だに少ない。ギリシャ時代よりも遥かに複雑になったこの世界で、しかも、20歳(場合によっては18歳)以上の全ての国民が同じ権利で参加する民主主義が、表向き機能するには何らか別の骨組みが裏に必要であると思う。それについては既に書いた。
サボテン:環境によってはこのような植物が最適なものとなる。
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