2015年3月19日木曜日

近代史を教えない理由(2)

1)明治維新により国民の間の階級制は廃止されて、近代的な国民国家になった(注1)。戦前までの政府は立憲君主制であり、それは、大日本帝国憲法第1条に、「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」と書かれていることから明らかである。普通選挙が大正14年に導入されたことから、民主国家であるという誤解をする人も多い(注2)。

そして、先の対戦中軍部が旧憲法第11条「天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス」を根拠に、独裁体制を敷いた。そのことが、特別に悲惨な結果を招いた原因である。

明治維新から先の敗戦までの歴史を学ぶと、国民の中に国家という枠組みに対する反感を生じる可能性がある。国家の為という言葉を根拠にして、軍部独裁政府は多くの犠牲を国民に強いた。若い優秀な後継者を特攻隊などで亡くした家族、空襲で命を落した人々の家族、インドネシアやフィリピンのジャングルで補給もないままに放置されて戦死した兵士の家族、全てが国家とは何だったのかと考えるだろう。

そして注目したいのは、あれほどの悲惨な戦争の後にも拘らず、大戦前の国家の指導者層と大戦後の国家の指導者層に変化がなかったことである。国家の枠組みを維持するため(注3)かもしれないが、過去のあやまちは国民になるべく知らせたくなかったことが、近代史を国民から遠ざけた理由だろう。

2)西欧列強が日本国の周辺に勢力を拡大して来た時代故、国民の生命と財産を守る為に国民国家の枠組が必要であったのは確かだろう。しかし、兵士を無料で調達する手段として機能するその国家体制の下、指導者が不十分な能力しか持っていなかったため(注4)、多くの命を結果として無駄に消費したことも事実であった。

大惨事の総括は、戦後の早い時期に終えるべきであったが、時の為政者は1952年のサンフランシスコ平和条約後、戦犯全てを同等に赦免する決議を国会にて行なった。その事実を踏まえ、1978年には戦争を指導した者も、命を国家に捧げた戦死者が祀られている靖国神社に合祀され(注5)、日本は過去の過ちをまるで天災の如く“忘れること”にした様に見える。

岸信介元総理はA級戦犯として捕らえられ東京裁判に望むとき、「われわれは戦争に負けたことに対して日本国民と天皇陛下に責任はあっても、アメリカに対して責任はない」、そして、「侵略戦争というものもいるだろうが、われわれとしては追い詰められて戦わざるを得なかったという考え方をはっきり後世に残しておく必要がある」(http://ja.wikipedia.org/wiki/岸信介)と言ったという。

しかしその言葉を、戦争の全プロセスの分析総括により、実証するという責任を戦後の内閣は果たしていない。その総括には国民全てが参加すべきであり、その為には先ず学校で近代史を必須科目として教育すべきだったと思う。その結果を踏まえて、隣国との戦争中の関係を再考するのは決して無駄なことではないだろう。
(歴史や政治は専門ではありませんので、コメントなどお願いします。)

注釈:
1)国民国家とは、国家内部の全住民をひとつのまとまった構成員(=「国民」)として統合することによって 成り立つ国家。
2)戦前の政治体制が民主主義国家であると考える人も多く居る。学校でしっかりと近代史を教育していないことが原因の一つであると思う。例えば:
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1139529816
3)冷戦時代、インターナショナルという歌を多くの大学で聞くことになった時代、その思想に馴染まない国民国家の枠組みは破壊すべきと考えた若い人が多かった。
4)人間社会(特に日本国)では、実務能力よりも対人関係を人事で重視する傾向が強い。そのため、無能な者が上の地位につき、その組織を崩壊させることが多い。今も昔もそのことに変わりはない。”一流の人は一流の人を雇う。二流の人は三流の人を雇う。”という英語の言喭がある。
5)このことは戦争犯罪の存在を否定し、東京裁判で処刑された人も神として靖国に祀る根拠となった。この件で桜井よしこさんを批判したブログ参照:
http://rcbyspinmanipulation.blogspot.jp/2013/08/blog-post_29.html

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