日本の敗戦した日は韓国が独立を取り戻した日である。それを韓国人が祝うのは当たり前のことであるが、その式典(光復節)が日本国内のしかも日本の終戦記念日式典が行なわれている近くで開催されることを、腹立たしく思う。まるで、日本の敗戦を日本国内で祝っているように感じるからである。またそれだけでなく、その式典に日本の国会議員が大勢参加(http://ameblo.jp/typexr/entry-11910493335.html)したことは、国民の1人として不可解に思うと同時に尚一層腹立く思う。共産党や社民党は元々反日政党だからさもありなんと思う。そして、公明党議員の参加も、別の理由からそんなに意外感はない。これらは、普通の国の視点でみれば、独立国として独り立ちしていない日本国だと知っても、異様な光景として映る筈である。
社民党や共産党は、未だにインターナショナルという歌を唱い、万国の労働者よ団結せよなんて言う、そんな頭で居ると思えなくもない。しかし、それは違うだろう。社会党元委員長の勝間田清一氏や今共産党で有名な志位さんかだれかの伯父さんが、ソ連のスパイであっとことがレフチェンコ事件で明らかになっている。従って、それらの政党は元々日本国に敵対する組織なのだ。そのような反母国政党の人たちが未だに、国会に席をもち、NHKの政治討論番組に顔を出す国は日本だけだろう。平和とか安全保障とかいうのなら、先ず、仮想敵国(ロシアよりも近い国々)のスパイが大勢居る可能性の高い、この国の姿を変えるところから手をつけるべきではないのか。集団的自衛権行使を可能にするように解釈改憲するなんてその後でよいし、どうせ独り立ちの日本を望のなら、それよりむしろ憲法を改訂して、名実ともに自衛軍を持つべきである(1)。そして、海外派兵などは国連の指揮下(2)に入る以外は、憲法において禁止すべきである。
この国の人たちは、表では日本の良い所、日本人の活躍をマスコミなどで報道して、自己陶酔になり易い。そのくせ、裏では老後も経済も政治も何もかも悲観して、ひたすら節約と貯金に精を出す。それは、表でつくる人の輪に入らなければ、生きられないと感じる幼児性を持ち、未だに積極的に社会を変えるのは自分達であるという民主主義になじまず、お上と下々の関係での下々としての立場に甘んじているのである。つまり、日本国を国民国家として意識することは明治時代も戦中も無かったのではないか。そしてそのような日本国民個人個人の感覚は、そのまま日本国の性格を決めてしまう。
独り立ちしている国はどのような国か? それは生きている人はどのようなものかを考えれば解る。自分の足で自分の考えた所に行き、自分で働き食を得る、自分の体や財産は自分で守る、そして自分に感染するバクテリアやウイルスを排除する免疫機能を持つ。しかし、現在の日本は独り立ちしていなので、経済力以外は独り立ちした国のこのような機能を殆ど持っていないし、持たなければならないと言う切実感もあまりない。その様な国で、集団的自衛権行使などを言いだすのは、むしろ恐ろしいものを感じる。いったい一人前に成長していない国家と仲間になる一人前の国は何を考えるだろうか?
出来るだけ早くそのような国にしなければならない。そのための全く新しい政治勢力の成長を望む。米国は、論理的且つ対等に議論でき、独立した人格を感じる指導者が率いる国に日本になれば、最終的に独り立ちする日本を受け入れてくれるだろう。
注釈:
1)この際、自国領土の防衛以外に、自衛軍の行使はしないと、憲法9条の一部は温存すれば良い。自衛軍を、海外に在住の日本人や外国を航海する船舶などの保護などに用いるとした場合、その拡大解釈は軍事的行為に歯止めがかからなくなる。そして、そのような除外規定は、日本の平和国家として築き上げた信用を守ることになると思う。8/15の夜に、NHKで報道されていた討論番組、日本の平和を考えるで、日本船舶の中東などでの護衛を自衛隊が行なうなどの議論があったが、それには反対である。集団的自衛権行使は、自国領土の防衛以外には拡大すべきではない。
2)国連が、唯一の世界政府の前身であると言えるような場合における、そこの安全保障理事会或いは総会が決議する平和維持活動などである。
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