北朝鮮による拉致被害者を救出する問題は、日本にとって大きな問題である。しかし、この問題は十分理解されていないと私は思う。その証拠だが、この問題は一般に拉致問題とだけ呼ばれていることである。
実は拉致の問題は二つある。それは、この問題は既に終わった「北朝鮮国家による日本人拉致事件」と、これから日本政府がやらなくてはいけない「日本人拉致被害者救出問題」の二つである。
前者の責任は日本政府にあるのだが、不思議なことにその追求をだれもしない。日本国憲法に違反して、日本政府は日本人の基本的人権を保証することに失敗したからである。その責任は日本国政府が取らなければならない。https://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/43631245.html
北朝鮮政府が日本人を拉致したのだが、北朝鮮とは国交はない。従って、それの原因は第一に日本の沿岸警備力がなかったことである。そのほかに、容疑者に協力できる人間がそのままで国内に多数在住していることも今や常識であり、それをそのままに放置したのも大きな問題である。
それを北朝鮮の責任だというのは、「戦争に負けた責任は、相手国が取るべきだ。なぜなら、相手国が強過ぎたからだ」というのに等しい論理である。
後の問題も、日本の防衛力の問題と関係している。つまり、拉致被害者救出は、普通の戦争をできる国としての体勢を整えて、北朝鮮と交渉すべき問題である。戦争も外交の一環であるとするクラウゼウィッツの戦争論を正しいとすれば、軍事力は外交、特に独裁国家との外交、のために必須である。
従って、憲法9条第二項の廃止に反対する与党の一部と野党の連中が、拉致被害者救出を大問題のように言うのは、論理的におかしい。野党の政治家と与党の一部には、米国戦略国際問題研究所のエドワード・ルトワックが書いた「戦争にチャンスを与えよ」(文春新書)を読んでもらいたいと思う。
補足:この文章は前投稿の補足を独立させたものです。
追補(4月23日午前):
1.上記議論についていけない人がいる可能性もあり、追補を書く。国際関係について一点だけ丁寧に書いておくべきだったことがある。それは現在の国際環境は、法と正義の支配する社会を形成していないという点である。国際法や国際司法裁判所などは、国内の法や裁判所に似ているが、超国家的な権力がないので形だけの制度である。つまり、国際環境は突き詰めれば、野生の世界である。
2.(蛇足)日本国はボスである米国の作る群れの端に居るに過ぎない。現在、適当に境界らしきものを認識して、幾つかの群れが棲み分けているが、いつ何時群れ同士の争いに発展しないとも限らない。もっとも、現在の群れのボスらも、争いは好まない。しかし、群れを乗っ取る力をつけた若いサルが現れれば、その危険性が増す。
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