1)大谷選手は、今米国大リーグ野球で大活躍している。米国でも日本でも大変な人気である。その人気とは一体なになのか?
自分自身が大喜びをしていながら、ふと「大谷が本塁打を打ったのを見て、いったい何が嬉しいのだろうか?」と疑問に思った。それは大谷選手の業績であって、自分の業績ではない。それなのに、何故大谷が大活躍して嬉しいのだろうか。そんな疑問を持ったのは、日本人だけでなく米国人の間でも、大谷が直ぐに人気者になったのを見たからだろう。
大谷が大活躍して、大谷の将来の推定年俸は大幅に上昇しただろう。その利益は、当然大谷周辺から流れ出る。その近くの人、例えば親や兄弟など、そして、大谷がよく買い物をする店などは、当然大喜びするだろう。そして日本人が勝手に、“我らがヒーロー大谷”と神輿に上げて大喜びする。そこまでなら、何時もあることなので何の不思議も生じなかっただろう。
しかし、テレビ報道によると、米国人も大谷翔平に興奮しているようだ。どうもスター選手の存在理由は、近くに見える利益以外にあり、人間の本性に由来するらしい。恐らく、無意識のうちに、そのスターの一部に自分がなって居る気分なのだろう。
そこで少し心理学の方の記事を見ると、自己同一化という言葉があった。これだと思い、大谷人気の謎が解けた思いになった。自己同一化は、恐らく群れる習性の動物が一般にもつ性格だろう。むしろ、群れる為に存在すると言った方が良いのかもしれない。
そして、そこから考えたことを以下に書く。オリジナルな部分を含む可能性もあるので、批判等あれば歓迎したい。
2)群の形成と機能化には、二つの力が原動力となる。一つは群れの結束を作る、個体間の共感であり、もう一つは群れリーダーへの自己同一化である。前者は、砂粒子の凝固と類似している。また後者は、上記スター選手への自己同一化に酷似している。
先ず、個体間の共感による集団化と砂粒の凝集との類似を説明する。石川啄木の歌集“一握の砂”に、次のような有名な歌がある。
「いのちなき 砂のかなしさよ さらさらと 握れば指のあひだより落つ」と、
「しっとりと なみだを吸へる砂の玉 なみだは重きものにしあるかな」である。
砂粒子だけでは、サラサラとして指にも引っかからない。その悲しき砂の粒子が、涙を吸収して玉のようになるのである。その涙の力を啄木は「重きものにしあるかな」と詠んだのである。人は一人では生きていけない、悲しい砂のような存在である。一人一人では何もできない、まさに乾いた砂の粒である。そこに、人同士の共感が加われば、集団となり生きることが容易になるだろう。
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自然科学系の知識のある方のために、砂粒子の水分による凝集の原理を補足に解説する。(補足1)この知識から、アポロ11号の飛行士が月面につくったという靴跡が偽物である可能性が極めて濃いと、ブログ記事に書いた。興味ある方は参照してほしい。
http://rcbyspinmanipulation.blogspot.jp/2016/12/11.html-----------------
一人が涙を流せば、隣も涙を流すだろう。一人が笑い出せば、周りも笑いだすだろう。他のグループの者を誰かが憎めば、周囲も憎むだろう。その集団に行き渡る感情は、目と耳と心で伝搬し共有される。それが言葉の助けを借りて、より広い範囲に伝搬するのが、山本七平の研究した「空気」だろう。いずれも非論理の世界の、人間の心理現象の本質であり、共同体を構成する原理だろう。
3)自己同一化は、集団の中からリーダーを選び出し、その集団を一つの方向に導くように機能化する。孤立した集団があり、且つ、リーダーが居ない場合、そしてその集団が危機的状況にある場合には、強い共感による集団化で、個体の境界さえ明確でないお粥のような状態が生じるだろう。
一旦は混沌状態となった群れの中から、自己同一化(或いは自己同一視)の作用により、ある特定の個体の周りに結晶化のように、リーダーシップが発生すると想像する。そのように機能化した集団は、鬼にも神にもなり得るくらいの強い集団となるだろう。全体主義的集団の発生のモデルである。
その自己同一化は、英雄への憧れの原理であり、英雄と行動を共にする心理を産むのだろう。生死を賭けて集団どうしが戦う古代史の世界における、宗教の発生メカニズムだと思う。(補足2)また現代では上述のように、個人の鬱憤や孤独感という限られた部分でのエネルギーを解消するための、英雄誕生のメカニズムだろう。
ここから日本の政治をこの視点で考えてみる。既に集団にリーダー予備軍がいるので、自己同一化と呼べないレベルの漠とした民意でリーダーが選ばれる。しかし、これまでの昭和の歴史が証明しているように、そのリーダーに本来の資質がない場合も多いので、政治集団はまともに機能化しないだろう。55年体制という事なかれ保守主義の体制が、米国の方を向いた官僚システムに政治を丸投げしていたように見える。
現在の日本のように、危機的状況とは程遠い状況下では、政治家は過去に形成された貴族階級(補足3)、スポーツやテレビタレントといった別の分野でリーダー予備軍になった者たちなどの中から、その階層内の順位に従ってリーダーが選ばれるのだろう。
その為、国民一般の自己同一化は、ほとんど生じて居ない。過去、小沢一郎、小泉純一郎、橋下徹、小池百合子などが、ブームを作りかけたが、結局国家を動かすレベルのリーダーにはなれなかった。貴族階級からリーダーが出る限り、そして比較的平和な時代が続く限り、国家が全体としてまとまるようなことにはならないだろう。
補足:
1)以下少し理科の方の専門的な話になるが、砂粒子はいくつかの種類の原子が多数集合して出来ている。カルシウム(Ca)、マグネシウム(Mg)、ナトリウム(Na)、シリカ(Si)、酸素(O)、炭素(C),などである。砂の内部の原子に比較して表面の原子は、エネルギーの高い状態にある。エネルギーが高いのは、それら原子が化学結合の不足により、例えば電子などの足らない不満足な状態にあることによる。粒子と粒子がぶつかれば、そのための多少の引力はあっても凸凹のある表面のために融合できない。そこで、次の瞬間には反跳する。しかし、そこに涙が注がれると、涙が境界面に沿って隙間を満たすことでき、その不満足状態が一部緩和される。それが砂粒子の凝集現象である。一般にどのような粒子でも、表面はエネルギーが高くなっており、面積あたりのそのエネルギーを表面張力という。
砂表面は普通親水性であり、それが硬く固まるには、通常水分が不可欠である。それが無い月表面で、アポロ11号のオルドリッチ飛行士がくっきりとした靴跡を残せるのか?というのが、アポロ月面着陸捏造論の根拠である。「足跡から足がつく」とはよく言ったものだ。http://rcbyspinmanipulation.blogspot.jp/2016/12/11.html
2)日本のアマテラスや、西方のヤハウェ神を想像するのは、恐れ多いことである。最近の全体主義的集団としては、オーム真理教がある。しかし、リーダーが誕生するまでは孤立集団ではなく、開放的集団として存在したので、このようなケースではないだろう。このケースで興味があるのは、奇跡がどのように集団形成に影響したかという問題である。
3)現在、日本の政治家には世襲制的な人が多い。日本では、政治空間が層状に出来ており、彼ら保守党の政治家たちは、封建領主のようにその地位を世襲している。その特異性を政治学の連中は指摘していないのだろうか。指摘しているとした場合、それが日本の政治に寄与しないのはどうしてなのか? この辺りは、自然科学系の私には全く知る由も無い。
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