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2018年5月5日土曜日

「他の命は厄介なもの」という視点と戦略的外交

1)人は他の人と協力して生きる社会的生物である。その方法として、自分を大切にする感情を他人など他の生命の上に投影する特技をもっている。対象が人間ならば、それは人間愛という言葉で表現することになるし、動物なら動物愛護となる。

それを道徳に一般化した「命は尊い」という言葉があり、普通それが絶対的道徳(又は真理)のように言われている。しかし、それは文明が作り上げた一つの思想であり、自然の原理からは普遍的ではない。「命は尊い」は、単に上記人間の社会性を誤って普遍化したものだろう。

例えば、自分以外の命は、自分の利益を侵害するまで近づいた場合、厄介な存在となる。そして、その「命は尊い」という思想が具現化していない場面が常にどこかで発生している事実に、意外と人は無頓着である。つまり、「命は尊い」の部分で普遍的なのは、「自分の命は尊い」に加えて、「自分と利害を共有する命は尊い」の部分だけである。

例をあげると分かりやすいかもしれない。「人を殺してはいけない」はモーゼの十戒の中の6番目に書かれている。それは旧約聖書では神との契約としてある戒めであり、従って、基本的に同じ神の下にいる人間を対象とした話である。聖書にはいたるところに、異教徒に対する戦争が出てくるのは、従って不思議でも何でもない。

また、他の生物の命の危機を対象にして、普遍的な道徳基準としての「命は尊い」を持ち出すのは、大きな間違いである。その感情は冒頭の「自分を大切に思う感情を他人など他の生命の上に投影する特技」の自然な(しかし正常な)副作用に過ぎない。つまり、他の生物の命の危機を見て、自分の存在が危うくなる場面を連想するという作用である。誰でも、自分の命が軽視される場面を見たくないからである。

  命は自身の存在を主張し、そこに障害になるものが現われれば排除しようとする。私が他の命(例えば人)の障害になったのなら、目の前の他の命は私が消滅すれば良いのにという感情や欲望を持つ筈である。その命が何故尊いのか?その言葉を金言のように言い伝えるのは、少なくとも論理に生きる近代人にはふさわしくない。 

2)命は、他の命を厄介な存在だと見做す。それが自然な姿である。鯨が哺乳類でその命が尊いと考え、捕獲して食べる他国人の文化を攻撃し、捕鯨船に体当たりをする人間が西欧諸国でもてはやされた時期が続いた。西欧が其の愚に気づくのに、長い時間を要した。 http://blog.livedoor.jp/zzcj/archives/51887652.html

自分の命を大切に思う感情を、近くの動物園の可愛いイルカに投影することの方が、恐ろしいチンギス・ハーンに似た、見知らぬ東洋人を対象にするよりも簡単だからである。それを悪意に解釈すれば、「歴史的にも厄介な存在だった東洋の異国人の命よりも、近くの動物園で芸をするイルカなどのクジラの命を大事に思う感情があったからである」となる。 

我が国の人間にとって、生存上ライバルとなる他国の人たちは、第一近似として鬱陶しい存在である。その逆も正しい。その考えを「善隣友好なる普遍的国際道徳に反する」という理由で、門前払い的に否定しようとするのは愚かなことである。その感情は正常であると認める一方、それが行き過ぎると互いに害をもたらす可能性が大きいので、現実的な利害調整で抑えるべきである。 

ここ数年、韓国が主張している徴用工問題も慰安婦問題などと並んで鬱陶しい話である。何故なら、日韓基本条約締結後には、問題としては最早存在しえない話の筈だからである。「元徴用工には日本政府に対して個人としての賠償権が存在する」と主張する文在寅大統領の非論理的な姿は本当に鬱陶しい。 

しかし、先ずすべきは「生命の原理から考えると自然なことである」と、相手の愚行に対する冷静な理解である。つまり、幼稚だが自然な行為であるという理解である。その次に、近代法治主義に反する韓国の上記企みを破壊する上で、日本は諸外国を味方に着け易い有利な立場にあると考えるべきである。 

そして、国際的な場を積極的に利用し、戦略的外交の展開により彼等の思惑を破壊すべきなのだ。それが出来ないとしたら、それは韓国の責任というよりも、日本の無能力の所為である。 

徒に感情に走り、戦略を忘れてはならない。韓国と反対側の日本の隣国にとっても、生存上競争相手となる日本は、本来鬱陶しい存在だからである。日本が戦略的に無能なら、韓国のバカな企みに、上手く相乗りされてしまうだろう。日本に正論を返されたなら、「韓国が、近代法治主義の原理に反して主張していたことなど知らなかった」とシラを着られるのが落ちである。

補足:

上記は、人間一般が関係するマクロな話である。それと、以下の例のようなミクロな話とは混同しないでほしい。

人間は、「自分を大切にする感情を他人など他の生命の上に投影する特技をもっている」と書いた。その特性により、特別な事情のときには自分の命を犠牲にできる唯一の高等動物だとも言える。例えば、小説「大地の子」中の、日本人残留孤児の主人公を連れ、養父母が共産軍の設けた関所(チャーズ)を抜ける際の話が印象的である。主人公の中国語がおかしいと思った守備兵に対して、養父が「自分が残るから、自分の子供を通してやってくれ」と頼み込んだのである。チャーズを抜けなければ死を意味するので、その覚悟を見て兵士は三人を通した。

(一部編集、補足追加、5月8日13時)

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