1)小学校4年生の女の子が、両親に虐めの末に殺害された事件について、武田邦彦氏がネット動画で議論している。武田氏は、戦後教育基本法が、親や家族を大事にする方向から、個人を大切にする方向に変えられたことが、その主な原因だと言っている。
https://www.youtube.com/watch?v=MG51knR5FzI
この事件は、児童相談所の対応に問題があったのは事実であり、その詳細は個別の事件の分析において重要だが、その他にマクロな問題として、親子の絆や家族間の絆が壊れやすくなっていることも大きな問題である。武田氏は、そのマクロにみることの大事さを指摘しているのだが、問題の核心に迫る事には失敗していると思う。
一般に人の性格は、遺伝的なものと幼少期の環境により作られる部分に分けられる。人の場合、他の動物に比較して幼少期の性格形成による部分が大きい。しかし、教育基本法などの法律で、それほど簡単に変わるわけではない。それよりも、経済の発展により家族構成が大家族から核家族に変わったこと、それによる家庭環境と子供社会の変化の影響の方が大きいだろう。
この子殺しの親は、子供時代に上記両方の環境において、十分親族の愛情等を感じ咀嚼することがなかったのだと思う。つまり、忙しい両親に育てられ、他の親族からも遠く離れ、大事に育てられた記憶がないのだろう。更に、そのような子供たちの多い人が集まった地域、例えば団地などでは、子供社会の雰囲気も、人間社会から野生の猿社会に近くなるのではないかと想像する。
つまりその両親は、子供時代には虐めを受けたり、虐めたりする子供社会を経験して大人になったのだろう。子殺しや親殺し、更に、大人の社会でのパワハラやセクハラ、などが増加したとすれば、殆どこの家族や子供社会など社会の変化が原因だろう。
その根本的解決はなかなかできないが、このような家族環境と子供社会の環境を考えて、それらを大きく変える方向の対策を施さない限り、この種の事件を減少させることは無理だろう。
2)この裾野の大きい問題の根本解決或いは低減は容易ではないが、ただ、一つだけ思い当たることがある。それは、日本の社会全体を元気にする為の対策としても非常に有効だと思われるが、この問題にも大きな効果を及ぼすと考えている。東京一極集中の政治経済から地方分権(道州制)型に変えることである。
戦後、日本の田舎から職を求めて、東京、横浜、大阪などの大都会に移動した人たちの多くは、核家族化して大規模団地に住んでいるだろう。そのような家族形態から、再び故郷に土着した大家族の方向に家族形態を誘導することである。その方法として、道州制などは非常に有効だと思う。どちらが先なのか忘れたが、大前研一氏や橋下徹氏が提言したと思う。
現在の日本に元気がないのは、殆どの個人が無責任体制的、あるいはマニュアル人間的になっていることが原因である。個人が、所属する社会あるいは会社など組織において、とるべき役割を自分の頭で考えて、自分の責任でそれを実行するということが、トータルな組織の実力を大きくする。
社会主義経済がうまく行かないのは、殆どの個人が頭を使わず配布されたマニュアルに従って手足となって動き、ほんの一部が頭を使って経済の計画を立てるからである。中国の大躍進運動の失敗など、その典型である。
地方が独自に資本を蓄積し、その地方の特色を考えて、政治経済モデルを立てる。中央は、米国の連邦政府のごとく、国家の枠組みを如何に保つかを考えるだけに集中するのである。それが、日本国全体としての活力を取り戻すことになると思う。世界規模でも、グローバリズムが世界の調和を破壊しつつあることが問題だが、日本国内だけをとっても似たような状況があらわれている。
3)心愛事件に戻る。この事件は非常に特殊だと思う。親が実の子供を虐めの末に殺してしまうのだから、動物にも見られないケースである。それから何を学ぶかは非常に難しい。安倍総理が児童福祉司の増員などの対策を発表しているが、それは所詮政治的パーフォーマンスに過ぎない。https://www.sankei.com/west/news/190208/wst1902080019-n1.html
私は、このようなケースでは慌てて対策を取らないで、事件のプロセスや原因を十分調査研究してから、落ち着いてその対策を考えるべきだと思う。非常に特殊なケースでは、被害者は可哀想だが、上記(2)で述べたような一般的な対策以外は何もしない選択もあり得る。
新聞報道によると、心愛ちゃんの母親は、父親が娘を虐める様子をスマホか何かで動画撮影していたという。そのことを知るだけでも、この事件は非常に特殊だということがわかる。https://www.sankei.com/affairs/news/190209/afr1902090019-n1.html
むしろ、対策をとるべきなのは、報道機関特にテレビ局である。このような非常に猟奇的なケースを、連日朝から夜まで興味本位で報道することは、異常であり好ましくない。地上波テレビの免許授与の可否の審査を、放送法第1条を遵守しているかどうかに照らして、もっと厳格にすべきである。
報道関係者とそれを視聴する人たちは、心を痛める自分を優しい普通の人間と考え、心のなかで残酷な両親に石を投げつけるように非難しているつもりだろう。しかし、彼らはそれを娯楽にしているように見える。その、自分の残酷さ或いは軽薄さには、決して気づいてはいないだろう。社会の劣化を煽る放送であると思う。
付記:心愛という名前と、その娘の運命の残酷な結末の組み合わせは、神が日本人に与えた強烈な皮肉なのかもしれない。日本語という劣った言語が、日本人から論理的な思考を奪い、川柳、俳句、ダジャレのような慣習を与えたのだと思う。日本語をよく知る学者らを中心に、日本語教育や日本語の改良など、考えるべきである。
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