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人類史の本流は中華秩序なのか、それとも西欧型秩序なのか

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2019年5月23日木曜日

日露平和条約交渉が上手く行かない理由、拉致問題の本質を誤解する理由などと、日本国民の国家意識について

台風などの自然災害で損失を被った場合、一般論としては、被害者は国家にその補償を求めることはできない。それは国家の行政が、国民共通の問題に対処するために存在するからである。その基本的考え方を、例えば北方領土問題や拉致問題に適用すると、国家の対応も関係者の要求も、本来の筋書きでなされていないと気づく。

今回はこの国家(の役割)と国民(の役割)の関係の基本から、北方領土問題と日露交渉の問題や、北朝鮮による日本国民拉致の問題を考えてみる。

1)先ず、国家の行為である戦争とその戦後処理に関し少し考えてみる。戦争は、国家全体の戦略に基づき、つまり国民の生命と安全、財産保持などの利益全体を考えて、他の独立国の利益と対立した形で、暴力的に行われる外交である。(補足1)そして、その損益の帰趨は、国民全てが平等になるように決定されなければならない(と思う)。

従って、戦争で土地や親族の命など、生活の基盤を失った場合、国民全ての名において、国家はその被害を補償すべきである。(国家の本来の機能に照らしての意味。本文最下段の追補参照)そのためには、戦後、戦争の結果と責任を、個人的責任に帰される部分と国民全てが等しく責任を負う部分に分割整理する必要がある。

個人的責任に関しては、処罰等を国家の名に於いてするべきである。そして、国民すべてが責任を負うべき部分は、その負担を平等になるよう調整すべきだと思う。この第二次世界大戦の総括に於いては、恐らく、明治以降の歴史の総括が必要だろう。しかし日本政府は、この戦後政治の最重要課題について、何もやってこなかったと思う。

この考え方を北方領土問題に適用してみる。第二次大戦の際、国後島などから島民が追い出されたことが、国家の責任に帰すべきなら、国家がその補償(つまり、戦争による負担の、国民の間での均等化)をすべきだった。しかし、過去の日本政府は、それに関する分析、総括、補償の何についても何もしなかった。

日露平和条約交渉が全く進まないのは、その日本側の処理がなされておらず、その所謂“北方領土”を失った責任を全てソ連(ロシア)側の責任とするという前提条件つきで始めたようなものだからである。一歩も譲らない前提つきでは、交渉など在りえない。

仮に北方4島の一部でも返還されたとする。そのとき、戦前旧島民が所有していた土地などの権利を、そのまま彼らに引き渡すとすれば、安倍政権の対露外交は旧島民の私的利益のためになされたことになり、国家の本来のあり方から考えて極めて異常である。

その辺りの基本的部分をどのように現政府は考えているのだろうか。

若干繰り返しになるが、このままでは、過去の対ソ連戦争の北方領土に関する部分の全て、つまり責任の明確化と補償を、全てロシア政府に丸投げしているに等しい。これは日本政府が、国後島等の北方旧領土に住んでいた住民を追い出したソ連(ロシア)に、その土地の権利を旧島民に返還させるという図式で外交をしている様に見える。国連などの形だけでも国家の上にある権威が主導するのならともかく、交渉の片方が、軍事的に遥かに強い相手に対して行う外交ではない。

歴史評価の点から言えば、先の大戦(第二次世界大戦)の一部、ソ連が日ソ中立条約を破棄して北方に攻め込んだ部分だけを完全に切り離して、それ以外の部分を無視して評価することが前提になっている。この対露外交は非常にお粗末である。

歴史認識においても、国家の役割に関する基本的理解においても、これまでの外交の手順においても滅茶苦茶に見える。(補足2)

それは、戦後の自民党政府が過去の清算を全く蔑ろにして、“政治や外交”と言える国家としての活動を何もやってこなかったことを示している。つまり、未だに日本政府も日本国民のほとんども、北方領土問題の本質が第二次大戦全体の中で把握されなければならないと、考えていない可能性が高い。

2)拉致問題に移る。韓国を外国と認め平和条約(基本条約)を締結する際、第二次大戦の戦後処理を含めて、日韓の諸問題はそのまま韓国政府に一任された。その戦後処理の費用を一括して経済協力金という名目で韓国政府に支払った。従って、旧日本政府を引き継ぐ戦後の日本政府は、韓国領土内においての一応の戦後処理を行なった。

日韓基本条約においては、韓国を朝鮮半島唯一の政府としているので、日韓両政府の立場からは、北朝鮮に関しては戦後処理の問題は存在しない。ただし、北朝鮮を承認して、基本条約的なものを締結する場合、常識的には何らかの経済協力金を日本は支出する必要があるだろう。(補足3)

北朝鮮による日本国民拉致の問題だが、それは上記経済協力金を減額する理由になるのだが、現在の日本政府では経済協力金で拉致被害者という人質の解放金として用いる可能性大である。そのようなことになれば、二重三重の酩酊外交である。強盗に入り人質を取った犯罪人に対してお金を支払って、人質を解放してもらい、更に、その後は仲良くしましょうということになるからである。

この拉致問題についても、その解決のために日本政府は何もしてこなかった。拉致問題の本質は、日本政府が「国民の安全確保という憲法に記載されている基本的任務」を果たさなかったことである。この件については、ブログ記事として何度も書いてきている。それによりまともな外交ができない日本政府を、「拉致問題に拉致されている」と形容した。(補足4)
https://rcbyspinmanipulation.blogspot.com/2018/04/blog-post_18.html
https://rcbyspinmanipulation.blogspot.com/2018/09/blog-post_10.html

この件、日本政府は責任の明確化も遺族に対する補償もしてこなかったのだが、一方の被害者遺族も国家の責任を追求するという基本的対応をしてこなかった。(補足5)これら全ては、日本文化の中に国民国家という思想がない(薄い)こと、或いは別の表現では市民革命を自力で行った経験がないことに原因があるだろう。

逆に言えば、明治維新と呼ばれる革命は、市民革命ではなかったことを証明していると思う。あるいは、仮に市民革命的業績であったとしても、それを過去の歴史や日本文化に接ぎ木することに、失敗したのだろう。これに類似した事情は、東アジアの国々全体の問題として存在する。西欧の政治文化は西欧のものであるから、日本を始め東アジアの国がそれを採用するときには、常に西欧文化を学び意識しなければ維持できないのだろう。

追補:以上は現行法令に照らしての議論ではなく、国家のあるべき姿に照らしての議論である。(拉致され日本海に投げ込まれた被害者親族に対して、直接賠償する法令はないだろう。)

補足: 1)戦争は外交の延長上にあるという考えは、クラウゼヴィッツの戦争論にあるが、最近のエドワードルトワックの「戦争にチャンスを与えよ」(文春文庫)もその考え方に従って書かれている。従って、ほとんどの国は、戦争にも国際条約というルールを認めている。それを認めていない国が近くに未だに存在するのは、日本にとって重大な脅威である。

2)このような論法で一切の妥協の余地を与えずに日本批判しているのが、ロシアのラブロフ外相だろう。ただし、日本側の手順の不味さは別にして、第二次大戦をまともにレビューすれば、ソ連の国際法に反する行為は批判されて当然である。従って、2島返還は日本の要求として正当であると思う。「何を根拠にその妥協点に到達するか」で、日本側の姿勢はラブロフ外相のそれと全く噛み合っていないということである。

3)日韓基本条約条文において、韓国を半島唯一の政府とすると記述したのは、日本政府の失敗だったと思う。何故なら、北朝鮮を別の国として承認する権利の放棄になるからである。この点、おそらく米国の指示があったのだろう。もし、日韓基本条約の改訂が必要だということになれば、それに際して、韓国は色んな問題を持ち出してくるだろう。

4)同じ論法を用いれば、「日露外交において、日本政府は北方領土問題に監禁されている」と言えるだろう。

5)日本国民は一般に、国家の存在を実感していない。それが諸外国との大きな違いである。この件については、何度も書いてきたので、そのうちの二つを引用する。
https://rcbyspinmanipulation.blogspot.com/2014/11/blog-post_19.html
https://rcbyspinmanipulation.blogspot.com/2014/12/blog-post_19.html

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