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2019年5月31日金曜日

川崎児童送迎バス襲撃事件犯人に対する志らく発言:「死にたいのなら一人で死んでくれ!」に対する議論について

1)川崎市の名門小学校の児童送迎バスを50代の男が襲い、合わせて19人が殺傷された。児童らに切りつけた男(岩崎)は、現場で自殺した。この事件で殺された小学校6年性の女児の父親の、苦しい胸の内を語る姿をテレビで見て、日本中の人々は怒り、悲しみ、そして苦しんだ。5月28日の朝の事件である。

その衝撃の中で出たのが、有名人立川志らくの表題の発言、「死にたいなら一人で死んでくれよって、そういう人は。」(5月28日テレビ番組ひるおび!)であった。志らく師匠は、その後発言に対して弁明を行ったが、それは多くの方の反論があったからだろう。

代表的な意見で簡単にアクセスできるものを一つ紹介する。教育評論家の尾木直樹氏は、ブログ記事(5 月30日)で、「出来るだけこの種の犯罪を少なくするために、犯人と似た孤立状態にある人間を連鎖的に同じ類の事件へ導かないように、“どうせ自殺が目的なら、他人を巻き込まないで1人で自殺してくれ”的な発言は止めることが大事だ」と書いている。https://ameblo.jp/oginaoki/entry-12464871443.html(補足1)

尾木氏は加えて、被害者やその家族へのメンタルケアの大事さ、更に、防犯意識を強めるとともに、人を孤立させない社会的サポート体制をつよめることが大事だと指摘している。

立川志らく氏は29日、自身のツイッターを更新して、「学校に行こうとしていた子供の命を奪った悪魔に対し、子供を巻き込むな!ひとりで死んでくれ!の言葉は普通の人間の感情だ。この怒りをどこにぶつければいい!この言葉が次の悪魔を産むから言うな?被害者の前で言えるのか。何故悪魔の立場になって考えないといけないんだ?でもそれが真実なら謝ります」と記した。

この文章を見る限り、何故「死ぬのなら一人で死ね」という言葉をテレビ電波で流すのは良くないと多くの人が言うのか、彼はわかっていない。下線部の表現が示すように、彼は社会の中に悪魔と自分たちという分断線を持ち込んでいる。

志らくは子供の命を奪った犯人を悪魔と呼び、自分を善人に区分けして、「何故悪魔の立場になってかんがえないといけないんだ?」と書いている。知的な人なら、何が犯人を“悪魔”にしたのか?と発言の前に考えるだろうし、上記志らくの発言を聞いたのなら、志らくは未来永劫“悪魔”にはならないと一人で決めつけているだけではないのか?と考えるだろう。(補足2)

2)この記事と関連して、「誰が罪を償うのか?容疑者死亡の川崎殺傷事件。。。」と題する記事が“めざましテレビ”の記事として掲載されている。その文章は、“容疑者死亡のまま、裁判は行われないだろうし、賠償要求も不可能だろう”という内容である。https://www.fnn.jp/posts/00046551HDK

注目されるのは、一般からのコメントである。

①ある人(みかんねこ)は、犯人は悪いとしながら、子供時代の犯人について当時同級生だった男の人が話す場面を印象深く紹介している。“喧嘩の時、「捨てられっ子」などと酷い言葉を浴びせられても、「その通りだよ。」と言い返す「ふてぶてしい態度だった」”と上から目線で彼を紹介していたと。

②更にno nameと名乗る人は、次のように書き込んでいる。“まず池袋の飯塚様は無実です。新車も購入予定で何の問題もないです。登戸の岩崎(犯人の姓)の件は動機以外解決済みでは?”



善と悪は一つの社会と言える空間の中でのみ不動の概念である。しかし、社会が二つに分断されれば、ある行為に対して善悪のラベルが貼れなくなる場合が生じる。更に、その二つの分断が明確になり、二つの部分社会が敵対関係になれば、片方での善の行為はもう一方からは悪の行為となる。

つまり、社会の分断あるいは社会から個人の分断が、このような悲劇を生むことになる。この分断される部分が個人の領域なら、今回のようなテロリズムを産む。その社会から撥ね退けられた者たちの間に連携が生じると、一気に社会不安が強く大きくなる。最後は内戦まで繋がる。

日本において、現在社会の分断は、貧富の差の拡大が進むのと同時進行的に、様々な形で進んでいる。その一つは3年ほど前に話題になった「保育園落ちた 日本死ね」という書き込みが象徴している。その「日本死ね」は、自分たちを苦労する側と考え、日本本体から分離しつつあると感じたことへの攻撃的告白である。https://haken.rikunabi.com/discovery/article/495/(補足3)

繰り返すが、出来るだけ社会に、自分たちは差別されたマイノリティーであるという意識、あるいはもっと極端に、「自分は社会のハグレものである。社会は自分にとって敵でしかない」などという分断意識を持つ人の数を減少させる工夫が必要である。

もちろん、そのような人はゼロにはならない。従って、今回のような事件は常に起こり得る。我々ができることは、その当事者にならないように工夫することと、社会にそのような種ができるだけ少なくするような工夫をすることである。その工夫を放棄した言葉が、「死にたい奴は一人で死ね。他人を巻き込むな」という類の発言である。

補足:

1)立川氏を29日のツイッターのような意見に導いたのは、それまでになされたこれと同種の発言だろうと考え、時間的に逆転したのだが紹介した。

2)悪魔と普通の人間と言う風に、社会の人を二つのグループに分断している。悪魔なら、子供を殺すことは悪魔連中に賞賛されるだろう。一方、尾木氏は、今後犯人となるかもしれないと現状考えられる人たちも、我々との仲間意識に目覚めてもらい、そのような危険な領域からこちら側にもっと来てもらおうと言っているのだ。

3)この発言は、その主のこの時の心理を反映している。つまり、まだ日本社会の中でしっかりと助けてもらいたいという気持ちで、なされた攻撃的発言である。もし、完全に日本社会から切り離されたと知る(信じる)なら、そのような言葉は言わずに、黙って今回のように攻撃するだろう。

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