1)国家の権力と国民との関係:
人間の社会は、文明の発展とともに複雑化し、そのスケールも大きくなった。社会に秩序と安定をもたらすのは、構成員の意志とそれが社会において具現化した権力である。その権力の構造と機能は、文明の発展と社会の構造変化と伴に変化してきた。
西欧の文化と歴史は、社会の構造に主権国家という骨組を創りあげた。日本もその西欧文化に同化する努力を古くから行った。現代民主社会の視点では、①社会(国家)の安定維持と②構成員の福祉確保が、国家の役割であり目標である。(補足1)
国家の安定を害し、国民の福祉を害する要因には、内部で発生するものと外部から来るものがある。従って、国民は国家権力の主体であるが、その客体の一部でもある。もう一つの客体は、言うまでもなく外国勢力である。その権力発動を円滑に目的(上記①と②)に沿って行うのが、国家機関(政府)である。
国民の福祉が一応の基準で確保されていると仮定すれば、その外部要因、つまり外国による主権侵害への対処が国家権力の大きな役割となる。ただ、外国は、直接侵略の直前までは、内部から国家を操る方法、つまり諜報活動による間接的侵略で準備をする。それは、国内政治の“乱れや汚れ”であり、それは内部要因とも言える。(補足2)
まとめを感覚的なモデルで書く。国家権力は国民に由来し、その国内での行使の対象は国民である。国民が潜在的(本質的)に持つ権力を、国家機構の最上部にポンプで揚げ、それを国家機構が下流である国民の隅々まで流すのである。その権力の流れの中にあって、国民の棲む空間から上記の“乱れや汚れ”が除去される。その“国民による国家掌握の意志と実感”が、国家を正常に保つ。
2)王室や皇室の存在意義:
国民が持つ国家形成の意志を集合させ、その意志を具現化、エネルギー化したものが、本来の国家権力である。その国民が持つ国家形成の意志は、ナショナリズムと呼ばれるが、その中心にあるものがナショナリズムのシンボルである。そのシンボルに国民が心から誇りを持つ時、国家の内外からみた信頼性が増し、外交の力となると思う。
米国では、合衆国憲法が謳う、個人の独立、自由と平等や、米国史の中の開拓者精神、多様性とその連合などだろう。英国も、産業革命とその後の大英帝国の栄光や、議会制民主主義の発展などがあると思う。そして、英国の場合には、その歴史の中心に王室がある。
米国は直近の大統領選挙のとき、既に何者かに乗っ取られていて、彼らの株式会社の米国となっているような情況に観えた。少数の富裕層とその周辺は、その株式会社米国の手足を縛る「米国の建国の歴史」など消し去るのが良いと考えているようだ。米国のキャンセルカルチャーである。
それは国家の衰退或いは分裂の前兆の可能性がある。米国は多民族国家であり、元々国家のシンボルを持ちにくい。素晴らしい国歌と国旗を掲げても、それを見る目は、千差万別である。その株式会社米国が、世界の株式会社(普通の意味での)群の中に消滅する歴史の流れから“一昔前の米国”を救おうとしたのが、トランプでありポンペオであったと私は思う。
英国の7つの海を制覇したころの栄光にも、本質として同じような部分があったと思う。何故なら、世界覇権は、経済の中心にいたユダヤ金融資本の協力で為し得たと考えられる。例えばその支援で、スエズ運河を買収したことなどがその例である。
ユダヤ資本の米国移住とともに、世界覇権は米国に移った。そこから、英国は中心に王室を掲げて一つの民主大国となった。産業革命を成し遂げた科学技術文化、宗教改革から議会制民主主義を築き上げた政治や哲学の歴史は、人類に与えた偉大な財産である。(補足3)立憲君主国の中心の英国王室と、人類史の中の偉大な足跡などの誇りの上に、英国という国家は成立している。
国家が、その中心に残っている誇りある部分を維持しなければ、国民の心は分裂し、国は衰退するだろう。それが英国の王室であり、米国の建国の歴史であり、そして日本の皇室であると思う。
(4月5日、6:15 小編集)
補足:
1)この西欧文化を完全に取り入れることを拒否している国家がある。中国共産党(CCP)が支配する国は、上記①と②の社会の目標のうち②を軽視している。
2)この外国組織に諜報活動を仕掛ける方法として利用されてきたのが、社会主義思想や共産主義思想など所謂左翼思想、或いは、各種理想論である。これらの活動の主なる部分は、ある離散民族(ディアスポラ)により創出され、米国を基地として世界で展開された。
3)筆者は歴史には素人なので、この西欧近代史に関する理解は、伊藤貫氏と西部邁氏の対談を聞き、ブログとしてまとめたものです。https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12466516726.html
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