前回記事で引用した参政党神谷代表の動画で、今回の参政党の内紛の殆どが明らかにされ、参政党は再出発できることになった。先ずは一安心である。しかし、今回の参政党の内乱を見ての感想だが、日本人は政党などの組織を作り運営する能力に劣っているように見える。
私は神谷氏の内紛のレビューの真意が党全体には行きわたらず、将来再度このような深刻な内紛があるような気がする。以下、前回に引き続いて、この件を考察する。
先ず、参政党を応援する一人が投稿した動画を引用する。その前半は、今回の内紛の経緯を「武田の乱」と名付け、正しく整理している。https://www.youtube.com/watch?v=9t21rwzd1AM
しかし、その原因は他者による干渉であると結論されており、本質的な誤りがあると思う。それは、韓国が自国の弱点を日本の悪業の所為とすることで解決したように錯覚するのと同じで、結果として言論空間の風通しを悪くし、外部との関係を徒に悪くするのみである。(補足1)
このyoutuberが知的でない結果だと考えるのなら、或いは問題は無いだろう。しかし、同じような総括を党内で求心力を増したと思われる松田学氏も行なっており、しかも上の動画がより要領よく纏めているのである。
仮に内紛の原因が本質的に外部の工作によるとしても、そのような隙を与えたのは内部の責任であり、その隙の議論による解消が無ければならなかった。「一難去って、皆互いに許し合い、より強く結束しました」だけでは、以前批判した桜井よしこさんによる靖国参拝の論理と同じである。(補足2)
内部での不正や歪をあやふやにして丸く収める日本型解決は良くない。内部の和を最重要だとしてそれらを看過し、外部からの良からぬ干渉を招くのは良くないし、その結果を確認しても単に外部批判に終始するのは、愚かだと思う。
安易に外部を攻撃するのは、参政党の今後の外部との協力の幅を無くすだけであり、やるべきではないと思う。現在、参政党第二の実力者かもしれない松田学氏の動画を以下に引用する。 https://www.youtube.com/watch?v=yyLiz9Z48lk
2)松田氏の誤解
松田氏は街頭インタビューで、「武田氏と神谷氏は党の理念では一致しており、今回は党の運営の仕方における対立であった。そして外部からその対立を増幅する働きかけがあり、亀裂が広がってしまった」と話している。つまり、外部の悪しき働きかけが、武田氏をあらぬ方向に動かしてしまったという分析である。
武田氏を慕って入党したた党員に対する政治的発言と考えれば、配慮ある総括とも考えられる。ただ「今回の経験を元に、外部からの侵略に強い政党になろう」と言うが、内部での原因をうやむやにしてどの様にして外部の侵略に強くなれるのか。
そして、「昔の石原慎太郎をリーダーとする集まりの様に、一人の政治家について行くという政治は現在の政治スタイルではない。今は、みんなでやりましょうという時代である」「皆でやろうという象徴が5人に中心人物(ゴレンジャーと言う様だ)だった」と話す。(補足3)
このセリフは、「主役はあくまでも党員であり、ゴレンジャーは単にシンボルに過ぎない」という発言と整合的であり、武田氏の「党員が主役であるから、民主的な党運営をすべきである」という意見と重なる。
松田氏の発言は、みんな参政党の理念を受け入れて一致しているのだから、自分たち二人(ゴレンジャーで党に残った二人)をシンボルにして、今後も一緒に力を合わせようと言っているのである。しかし、このシリーズの最初で言ったように、民主的運営は政党という機能体に相応しくない。衆愚政治の堕落に終わるだけである。
「外部の邪な奴らが悪いのだ」という結論は、ある意味で心地よいし、それなりに党員を団結させる力ともなる。既に述べたように、意味のない団結はむしろ組織の今後にとって有害である。
この話の結論を言えば、今後参政党は現在の3-4倍の勢力となるだろうが、そこで再び大きな内乱を経験する可能性がある。それは今回の内乱から党員は何も学んでいないからである。言ってよいものかどうか迷うが、その中心にM氏がいる可能性もゼロではないと思う。
3)今回の”武田の乱”の原因
今回の武田の乱の原因は、神谷代表が考える党の目指す方向が執行部周辺でも十分には理解されていないこと、及び幹部の中に非常に名誉欲と自己顕示欲が強い人が混じっていたことである。
一般に、人を性善説で見るのも性悪説で見るのも間違いである。ある場所ある瞬間においての悪人と善人が、場所と時間が変れば、入れ替わったりするのが人間社会である。メンバーが善人として活躍できる様、配置するのが人事である。人事は一般に非民主的になされる。
政党は政権を目指し、政権を執り、国政を担当して、国民のための政治をするのが本来の目標である。参政党は党員のためのものだという言葉は聞こえが良いが、そこに上記のような人事の考えがなければならない。
そして、「安易な党員への過剰な配慮」は、党を潰すことになる。「民主」という言霊に幻惑されるのは愚かである。https://www.youtube.com/watch?v=3xP_delEkcs
上の動画を視聴してもらいたい。この素晴らしい演説を聞いても、その内容が理解できない人が多いのが現実である。「日本が滅びて(海外に居る人も含めて)日本人が幸せになることは絶対にありえない」という言葉も、海外在住の経験が無ければ難しいかもしれない。フランス在住で談論風発のひろゆきさんにも聞かせてあげたい。(補足4)
神谷氏は、自分自身をプチ権力者と位置付けている。ゴレンジャーの多くも、この動画が分からなかったのだろう。この小さな芽が、日本文化と日本人という政治砂漠の中で育つかどうかは、やはり微妙である。
そのような事を全て熟知しているのは、企業で言えば創業者である神谷氏一人である。勿論、成長した後には新しいリーダーに相応しい人が複数現れ、次の目標設定などで議論になるかもしれない。今回の内紛は、そのようなレベルの高い内紛ではなかったと思う。
「人をさばくことには抑制的でありながら、行為としての悪は厳重に罰する」ことで、人は集団で生きられる。(補足5)そのことが、参政党の一部でも、日本文化の中と同様に、殆ど理解されていない様だ。何とか、気づいてほしいものだ。
補足:
1)欧米の知恵のかなりの部分は聖書によりもたらされていると思う。このような内紛関連に対する言葉としては、「人をさばくな、自分がさばかれないためである。」(マタイ、7章)があるが、これは人を正しく罰するのは困難なことだという戒めである。それは、7章ー5まで読めばわかる。一方、「すべて外から人の中に入って、人をけがしうるものはない。かえって、人の中から出てくるものが、人を汚すのである。」(マルコ7章‐15)外に原因をもとめる気持ちは分からないわけではないが、外部の人を裁き自分の内部の穢れを免罪するのは正しくない。
2)桜井さんの論理は、A級戦犯を裁いた①東京裁判の結果を受け入れるという条件で連合国と講和を結びながら、「あれは②事後法による裁きであり間違いであるから、東条英機以下は許されて靖国に合祀されることは当然であり、そこに首相や閣僚が参拝することも正しい」として、③自国の為に命を犠牲にした人たちに尊崇の念を表明するのは独立国として当然であるとして、首相の靖国参拝を正当化している。 桜井さんは、外交上約束①を、国内の論理である法理論②を基準に無視している。更に、戦争に至った近代日本の歴史のレビュー無しに、③の一般論を引き出して、日本国民に敗戦という行政上の大失敗の責任まで消し去っているのである。https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12704328039.html
3)この発言は、参政党の中心である神谷氏の独走にブレーキを掛け、党の運営は今後ゴレンジャーとして残った自分と神谷氏との合議制とすべきだという主張にも聞こえる。
4)唐突にひろゆきさんを出すのは、彼はネット社会で活躍する若い世代を代表する数少ない日本の知性の一人で、フランスに逃げてしまったからである。少し年長の似たような感じの人に橋本徹氏が居る。彼は、日本に恩恵を感じていないのか、国政に関与したくないと神谷氏の申し入れを断った。日本維新の会が、人事で新陳代謝を正しく行って、神谷氏と橋本氏がコンビを組んでいたなら、日本維新の会は今のような体たらくした存在ではなくなっていただろう。
5)人を裁くことは人の尊厳を破壊することである。人の行為を裁く(罰する)こととは次元が異なる。「人をさばくことには抑制的でありながら、行為としての悪は厳重に罰する」ことは、人が社会をつくり協力して生きていく上での知恵であり、ルールである。日本人が安易に行う「人にラベルを貼って評価すること」は、人を裁くことであり、それはその人を汚すことになる。
(10:30、12:00;18:30、かなり大幅な編集;申し訳ありませんでした。)